2.


 あたしがこれまで見て来た道明寺邸の庭は、ミュージアムを髣髴させるような豪華なものばかりだった。 噴水があったり、花のアーチがあったり、彫像があったりで、庶民のあたしにとっては、足を踏み入れるのも申し訳なくなる程上品なお庭。

 でも、今立っているこの場所は、それとはまるで違う。何故こんなところに、バスケットコートがあるんだろう。1つだけ設置されたバスケットゴールは、汚れや傷が見当たらず、全く使われた形跡が無かった。地面に引かれた白いラインは、引いたばかりで乾ききっていないようにも見えた。もし本当に新しかったとして、道明寺がバスケに興味があるとは今まで聞いた事が無かったあたしには、わざわざこの時期にコートを造る理由が分からなかった。

 分からないといえば、あたしを何故ここに連れて来たのかも分からない。

「なんでこんなとこに連れて来んの?」

 何の前置きも無く、いきなりバスケットコートに連れて来るなんて、よっぽどの理由が無い限りおかしな話だ。一体道明寺は何を考えてるの?

 あたしを見下ろした道明寺は、つっけんどんな喋り口調でこう言った。

「バスケコートに来て茶会なんかするのか?バスケやるに決まってんだろ。3on3。」

「は?3on3?」

 意味が分からず首を傾げる。あまりに唐突で言葉も出ない。実は、あたしのように首を傾げてる人間は他にも存在していた。

「何だよ、急にお前ん家来いっつーから、大事件でも勃発したのかと思ったら、3on3だと?意味わかんねぇんだけど」 と、肩を竦めながら言ったのは西門さんだ。

「俺だって一応心配しながらここに来てやったんだぜ。なのに3on3って・・・。ほんと、拍子抜け・・・」 と、続けて言ったのは、やれやれという顔付きの美作さん。

 美作さんも西門さんも、喋るのも馬鹿馬鹿しいと思うのか、声に力が感じられなかった。

 原因はもちろん、今聞いた3on3にもあるのだろうけど、決してそればかりではない事はあたしも薄々感づいている。さっきからずっと、「あちーあちー」と、うなされるように繰り返し、その度に太陽を恨めしそうに見上げているところを見ると、この気温の高さにも原因があるのだろう。移動は全て車や飛行機。家に居ても朝から晩までエアコン漬けになってしまってる2人の身体にとっては、容赦なく照り付けるあの太陽は敵に見えて仕方ないのかもしれない。もう少ししたら、溶けて無くなるんじゃないかって程脱力し切ったこの2人に、あたしは思わず同情してしまう。

「僕だって、もしや婚約破棄するのかと思って慌てて来たのに!」 と、急に響いて来たのは、和也君の声だった。

 和也君の声は誰よりも一際大きくて、地響きがしそうなぐらいだった。しかも『婚約破棄』なんていう、縁起でもない言葉を発するものだから、あたしは本気でギョッとする。その後ボソリと零した一言が、「残念」と聞こえたのは、きっとあたしが動揺のあまりに聞き間違えた言葉だったのだろう。

 誰もが道明寺に不服そうな表情を浮かべるその中で、ただ1人だけ静かだったのは花沢類だけだった。何も異論が無いからそうしてるのか、それとも、異論はあるけど、切り出すタイミングを見計らっているのか。あたしはきっと後者だと思っていた。美作さんに西門さん、そして和也君の様子を見ていれば、全員道明寺から無理やり呼びつけられたのは明らかで、それなのに花沢類だけが、何も異論は無いなんて到底思えなかったからだ。

 自分がどうでもいいと思った事には、何時だって興味無いと、ストレートに意思表示する花沢類の事だ。きっと、今直ぐにも「帰る」って言い出すんじゃないかって、あたしはとても気になっている。だけど、どんなに待ってみたって、一向に口を開く気配がない。あたしは我慢出来ずに、とうとう自分から聞いた。

「花沢類も迷惑なんじゃないの?あいつの気まぐれに付き合わされてさ」

 聞きながらも、あたしはチラチラと道明寺の様子を窺っていた。花沢類にこんな事を言ってるのを気づかれたら絶対怒られるからだ。道明寺は今、西門さんから猛抗議を受けている最中だった。

「ほんと意味不明だよね、この集まりって。花沢類も帰りたいんだったら今のうち帰った方がいいよ。ここに残ってたってろくな事ないかもしれないし」

 あたしは冗談抜きでそう思っていた。道明寺が急に発症する我侭病で、いい思いした事なんてあんまり無い。ところが花沢類は、思わぬ事を口にする。

「嫌ならとっくに帰ってるよ」

 余裕綽々な顔してあたしに微笑んだ。夏だというのに、なんて涼しげな顔。着ている淡いブルーのTシャツも手伝ってか、その爽やかさはまるで、ミントアイスを思わせた。

「それより、大丈夫?」

「え?」

 逆に問われてあたしは一瞬戸惑った。もしかして、今日呼び出された理由を、婚約破棄だと思ったのかな。でも花沢類は、「いや、何となく」とだけ言って、詳しい事は何も言おうとしなかった。それならあたしもそれ以上は追求出来なくて・・・。

 だって、いきなり道明寺に右肩を引っつかまれて、そのままズルズルと花沢類から引き離されてしまったから。

「2人でウダウダとつまんねぇ事喋ってんじゃねぇよ。それよりチーム分けするぞ」

 何故か棘のある道明寺の声。それに『ウダウダ』ってどういう意味だろう。あたしと花沢類はまだほんのちょっとしか喋ってないのに、何でそんなムカつく言われ方されなきゃならないのかな。こいつは、自分の思うとおりに周りが動いてくれないと、急に機嫌を悪くするから厄介だった。

「おい、やるなんてまだ言ってねぇぞ俺達は!」

 未だ怒りの収まらない西門さんは、ここでもまた真っ先に反論し始めた。この人も相当我の強い人だから、黙って言いなりになる事なんて出来ないのだろう。

「あきらだって類だってやりたかねぇよな?」

 美作さんに同意を求めて、縦に頷いたのを確認すると、今度は花沢類に視線を移した。恐らく直ぐに同意してくれると思ったに違いない。だけど、そうはしなかったから西門さんは驚くように目を大きくした。

「俺はやってもいいよ」



 これだけ不服を露にしてる人が居る中で、花沢類だけが、3on3に賛同する。それがあたしには信じられなかった。賛同しながら道明寺をチラリと見た。道明寺の方もどういう訳か、意味深に花沢類を見て小さく頷いている。何だか知らないけれど、さっきからこの2人が目だけで会話してるように思うのはあたしの気のせいだろうか。

 ひょっとして花沢類は、道明寺が何故いきなり3on3をしようしてるのかを知ってるのかな。この集まりは、単なる道明寺の気まぐれという訳じゃなく、花沢類と一緒に決めた事なのだろうか。出来れば当人達に理由を聞きたいのは山々だけど、そのタイミングがなかなか計れないこの状況。あたしがあれやこれやと真剣に考えてるさ中、

「ニッシー!なんで僕の意見は聞いてくれないんだよ!」

 いきなり西門さんに向けて怒り出したのは、和也君だった。何を急にと、一瞬あたしは身を仰け反らせてしまったけれど、直ぐに、あぁそういえば、と思い出す。和也君も居たんだった。

「お前がニッシーって言うな、気色わりぃ」

「そんな事は今はどうでもいい!僕が今聞きたいのは、何故僕を無視するんだって事!」

「お前が居るのをすっかり忘れてた」

「忘れてた?うわーん!酷いよニッシー!僕ずっとここに居たのに!」

 和也君は悔しくて仕方ないという形相で子供みたいにその場で地団太を踏んでいた。

「酷い・・・」

 和也君の、蚊の鳴くような小さい声があたしの耳に触れた。可哀相な事に、すっかり覇気をなくしてしまった和也君。そんな和也君を励ます間もなく、道明寺は言い放った。

「いいか。俺のチームには、牧野と、それから総二郎に入ってもらう。あとの3人は、自分らで勝手にリーダー決めろ」

 西門さん達のこれまでの抗議は、一体何処へ消しちゃったのか。道明寺は1人で勝手に、どんどん話を進めていく。きっと今でも、花沢類以外は誰も納得していないと思うのに、全くそれを意に介さない、道明寺のふてぶてしさ。ただここまで来ると、もうどうにもならないって事は、長年付き合ってる西門さんと美作さんだったら十二分に知っている事だ。2人は申し合わせたように諦めの溜息を吐いて、どうにか自分のモヤモヤした気持ちに踏ん切りをつけようとしているようだった。あたしも、とっくに諦めはついていたから、何も言わない。

 ところが、ここでいきなり「ヤダ」と反論し出したのが、さっきまで1人で道明寺寄りだった花沢類だ。これには流石の道明寺も、ちょっと唖然としてるみたいだ。

「お前、何が嫌だっつーんだよ」

 道明寺が花沢類に聞いている。あたしも同じくそう思うから、道明寺と一緒に答えを待ってみる。

「俺だって牧野と同じチームがいい。勝手に決めるのは我侭すぎ」

 花沢類らしからぬ、妙にやる気を感じさせるこの発言。いつもなら、こんな場面で積極的な発言するなんて殆ど無い事なのに。そしてまた不思議な事に、

「分かったよ。じゃあ、じゃんけんで先ずリーダー2人決めようぜ」

 呆気なく花沢類の意見を聞き入れた道明寺が、これまた珍しくて・・・。やっぱりこの2人には、何かがあると訝しく思いつつも、どうしても中に割って入れない。何時の間にやらリーダー決めのじゃんけんに参加しているあたし達は、すっかり道明寺のペースだ。

 リーダーは、道明寺と花沢類に決定して、メンバーは、道明寺側には西門さんと美作さんが、花沢類側にはあたしと和也君が入る事になった。気がつけば、以前の試合と全く同じメンバー分けになったけれど、これは、先に選択権を得た花沢類が望んだ事だ。

「以前やった3on3は有耶無耶なまま終わったから、また同じチームでやりたいと思ってさ」

 それが、あたしと和也君を選んだ理由。あたしが一番に花沢類に選ばれた時、何故か道明寺が一瞬不機嫌になったけれど、その時もまた、本気で食って掛かる事はしなかった。あくまでも花沢類には逆らわない・・・そんな意思が見えたような気がしたのは、あたしの単なる思い過ごしだろうか。

 メンバーが無事決まり、審判はたまたまそこに居た庭師の人が引っ張り出され、そして始まった3on3。和也君は突然テンションが上がったのか、「張り切っていこうー!」なんて、両腕広げて素っ頓狂な声を張り上げていた。だけど、悲しいかな、誰もそれに対して、「おぉー」と返せる人は存在しなくて、またも1人でいじけている。

 西門さんと美作さんは、コートに立ち手足を回しながら軽く準備運動。道明寺は、モノトーンのTシャツの両袖を巻くって、いきなり本気モードに入っている。ただの遊びだとは言っても、負けるのはやっぱり、こいつとしては許されないからなのかもしれない。

 先攻は道明寺チーム。即席審判が試合開始のホイッスルを吹くと、ボールを手にした道明寺がドリブルをしながらゴールを見据えた。

結局、この3on3にどんな意味があるのかは今もまだ分かっていない。こうしてメンバーに入ったからって、別に乗り気で居る訳でも無い。でも不思議な事に、目の前でボールが動き出せば、自然にその方へと走り出す自分が居た。


NEXT→