3.

 始まって、まだ3分と経っていない筈なのに、点数は既に4点差になっていた。
あたし達のチームは未だ1点も取れていない。このままでは、無得点で終わるかもしれない窮地の状況。

 でもこんな不甲斐ない展開でも、不思議と焦りはなかった。覚悟が出来ていたからかもしれない。メンバーを見比べれば、力の差は一目瞭然。この展開に納得出来る理由は十分にある。

 ただ、1つだけがっかりするのは、大して役にも立ってないあたしの体力が既に限界に来ているという事だ。

 道明寺達の体力は、まだまだ衰える気配が無いというのに、この違いは一体何なんだろう。これではまるで、あたしの方が20も30も年上みたいじゃない。あたしの方が1つ年下の筈なのに。

 和也君もなかなか調子が出ないのか、相手にボールを奪われる度に「おかしいなぁ」と首を捻っていた。2人で顔を見合わせては、思わず漏れる、苦笑い。

 そんな中で花沢類だけは、流石と言うべきか、道明寺達と対等に戦っていた。身長も身体能力も、相手とほぼ同じ分だけ恵まれている花沢類は、やっぱりあたしとは動きが違う。

 ドリブルだけ見てたって、左右の手でボールを行き来させるのは自由自在。たまにそのボールを背中側に通したり、股下で8の字に回しても手元から全く離れない。体の一部のようだ。

 そんな難しい事をやっていながら、視線は周りの状況の変化を追っている。そうしながら、数秒先も同時に見つめているのだろう。だから幾ら力のある道明寺達でも、容易にボールは奪えないようだ。

 花沢類がボールを持ったら、何度でも点が取れそうな気配はあった。それなのに未だ0なのは、きっとあたしと和也君が足を引っ張っているせいだ。せっかく正確なパスを貰ったって、そこから始めるドリブルが酷い。両手を上手く使いこなせるなら、少しはましな動きが出来るのかもしれないけど、現実は利き手の右手だけで精一杯。周りの状況は全く読めず、眼前に迫るディフェンスが怖いからと、そこから一歩も前に踏み出せない。

 結局自分ではどうにもならないからと、苦し紛れでボールを誰かに回そうとすれば、直ぐにその動きは読まれ、カットされ・・・。

 3人対1人でやっているようなこの試合に、勝てる要素は何処にも見当たらなかった。だからあたしは既に諦めモード。「もう無理だよ」なんて、ついつい弱音を吐いてしまう。
でもそんな矢先の事だった。動きがあったのは。

 攻撃権が再びこちらに移行して、ドリブルを始めた花沢類。その花沢類がふと気づくと、既にゴールを見据えて立っていた。コントロールに自信が無ければ諦めてしまうその距離で、あんなに自信に満ち溢れた顔をしているのは、その位置でも十分、ゴールを狙える位置だと思ったからなのか。ボールを上に掲げ、両足で地面を蹴ったと同時に、道明寺も西門さんも飛んでいた。2人の長い腕は確実に放たれたボールに伸びている。それにも関わらず次の瞬間には、そのボールはゴールリングのど真ん中へ。

 点が入った後、花沢類はホッとするように天を仰ぎ見ていた。サラサラと風に揺れる薄茶の髪。

 あたしは、そんな花沢類の姿にすっかり見惚れていた。一瞬動けなくなって、ハッと我に返ったその時には、「凄い凄い」と和也君が花沢類の側で飛び跳ねている。

 あたしも少し遅れて2人に駆け寄ると、そこで自然と始まったハイタッチ。まるで逆転したかのような盛り上がりだった。

 道明寺はというと、酷く仏頂面でこちらを睨んでいた。でもあたしは大して気にも留めなかった。それよりも、一方的だった試合がようやく動き出した事が妙に嬉しくて、あたしは急に奮起する。

 「お前、なんかウゼェ」と、西門さんに思わず言わせてしまうぐらいに、しつこくなったあたしのディフェンス。そんなあたしの後方からは、美作さんと和也君のにぎやかな声が聞こえて来る。

「お前、ちょっと近過ぎんだよ!もっと離れろよ鬱陶しいな!」

「嫌だね。僕だってつくしちゃんにいいとこ見せたいんだから」


 どうやら和也君も花沢類の勇姿に触発されて、頑張って美作さんの動きを封じているようだ。だけどちょっと気になったのは・・・

「あぁー!マジお前鬱陶しい!っつーか、気色わりぃんだよ!これじゃまるでストーカーじゃねぇか!」

「ストーカーなんて人聞き悪いな。『タイトなディフェンス』って言ってよ」

「何がタイトなディフェンスだ!お前のディフェンスはただの変質しゃ・・・うわっ!何処触ってんだよお前は!」


 こうして声だけ聞いてると、ついつい有らぬ想像をしてしまいそうになる。

 審判がファウルを取らないという事は、大した事をしてる訳では無いのだろうけど、それにしたって、随分と切羽詰った印象を受ける美作さんの言葉は、いちいちあたしの好奇心を擽り、その度に後ろを振り返りたくなった。その誘惑に耐えながら、あたしは西門さんのボールにちょっかいを出していく。

 何処か隙が無いものかと、願うような気持ちでボールを見つめ、そんな時に訪れる、意外な変化。

これまでずっと、細かく突いていた西門さんのドリブルが、何故か急に緩慢になった。気になって西門さんの顔を覗き見ると、そこには、何時に無く頬の緩んだ顔があって。あたしの後ろをやけに気にしているのは、きっと美作さんと和也君のやり取りが面白くて仕方ないのかもしれない。

 これは、最大のチャンスだった。手元から意識が離れてる人からボールを奪うのは割と簡単。

「あ、やべっ」と今更焦ったってもう遅い。あたしは奇跡的に、自分の力で攻撃権を得る事が出来た。

この権利を、無駄にはしないのが花沢類だ。あっという間に点を重ね、差を縮める事に成功する。

「ありがとう。花沢類!」

 あたしがお礼を言っても、「牧野と和也が頑張ったおかげ」と、逆に言ってくれる花沢類は、まさしくあたし達のヒーローだった。

 誰が言い出す訳でも無いのに、自然とまた交し合った、花沢類中心のハイタッチ。

 ただ、あたし達が明るく騒げば騒ぐほど、それに比例して不快を露にするのが道明寺だった。点を取られた事がそんなに気に食わないのか、まるで刺してくるような鋭い視線。ボールを右脇に抱えながら、ズンズンと、音を立てるようにして迫り来るその姿には、何か因縁でも付けてきそうな気配がある。

 それだけに、何も言わずに横を素通りした時には、拍子抜けする思いだった。一体今のは何だったのだろう。でもそれから直ぐの事だった。道明寺にファウルが増え出したのは。

 確実に何か不満を抱えている様子なのに、それを表に出そうとしないのは何故なのか。決して楽しそうにしている訳でもないのに、「やめる」と言い出さないのも不可解な事。よっぽどこの試合が大事なんだろうかと思ってみたって、それでは腑に落ちない。

 妙にモヤモヤとするあたしを他所に、マイペースな花沢類は相手のファウルを活かし、何時の間にかシュートを決めていた。

 道明寺側にとっては、明らかに雲行きの怪しい試合展開だったけれど、あたし達にとっては逆にありがたい。

 だからまた集まってハイタッチをしたけれど、今度は舌打ちしながら転がったボールを蹴った道明寺に、あたしは思わず眉根を寄せる。

 なんであんなに苛立ってるんだろう・・・。

 西門さんも流石に黙っていられなくなったのか、「おい、ちょっと落ち着けよ!」と、真剣に宥める。それでも変わらない道明寺の荒れた態度。

 ただ、こんな道明寺でも、決して西門さんと美作さんの邪魔になっている訳では無い。
たとえファウルを繰り返しても、それで失った点数はしっかり自分で取り返していた。
シュートを放てば、その殆どを決めていく道明寺は、むしろ西門さん達にとっては必要不可欠な存在に違いない。

 その道明寺が、またも簡単にシュートを決めた。今の技は何というのだろう。一度ゴール下を走り過ぎてから、後方に放った鋭いシュート。自分には出来ない技だったせいか、

「カッコいい・・・」

あたしは不覚にも呟いてしまった。試合はもう終盤。敵を褒める余裕など無かったのに。でも道明寺の動きもまた、花沢類に負けず劣らずかっこいいのは認めざるを得ない事。
道明寺だけじゃない、西門さん美作さんも、舌を巻くほどバスケが上手い。それなのに気が付けば接戦になっていた事に、あたしは今更ながらに驚いた。

 もしかすると勝てるかも?

 そんな事を思うと、益々やる気になるあたしは、なんて単純な性格なんだろう。

 だけど、やっぱりというべきか、にわか仕込みのこのディフェンスじゃ、何時までも相手に通用する筈も無かった。

 ドリブルしてる西門さんの側に再びついて、さっきのようなチャンスを待ったけど、ほんの一瞬で置き去りにされて意気消沈。気がつけば、もうボールは美作さんに渡っている。美作さんには和也君がついていたけど、とうとう体力に限界が来たのか、簡単に抜かれて、今は地面にへたり込んでいた。

 こうなると、頼みの綱は花沢類しか居なかったけど、幾ら花沢類だって、3人相手に1人でディフェンスじゃかなりきつい。

 あたしも何とかしようと走り出してはみたものの、相手の動きの方が断然早くてどうにもならない。結局、最後にボールを持ったのは道明寺だった。

 ワンハンドでダンクシュートを決め、その余韻でゴールリングにぶら下がる格好になった道明寺は、まるでこちらに自分の存在を大きく見せ付けるようだった。


『俺に勝てると思うなよ』

 言葉にはしないけど、そう言っているような気がして、あたしの背筋には冷や汗が流れていく。今のシュートでまた点差が開いてしまい、時間は、あと2分を切る。たかが遊びだと思っていたのに、思いの外緊迫したムードの試合。あたしはその時、ふと、ある疑問が湧いた。

 勝っても何の得にもならないのに、どうしてあたし達はこんなに真剣なんだろう。以前のように、負けたら退学なんていう過酷な条件がある訳でも無いのに。でもそう思いながらも、実は1つ、気づく事があった。試合を思い切り楽しんでいる自分が、何時の間にかここに居る事に・・・。

 こんなに動き回って、汗掻いて、声出したのは、一体何時振りの事だろう。今までに抑制してきたものを、一気に解放したような爽快感と自由感。ここにはあたしの行動を縛る人達が居ないから、自分が自分で居られた。

 ふと見れば、和也君もあと少しだからと思うのか、何とか残る力を振り絞って美作さんの側で暴れているようだった。その姿があまりにもおかしくて、ついつい吹き出してしまったあたしを、ここでは誰も咎めたりしない。

 あたしの笑い方が、たとえ、エレガントじゃ無かったとしても、ここに居るみんなは、それがあたしなのだと認めてくれている。

 あたしにフェイントを掛けた西門さんに、「ちょっと!今のズルい!」って怒鳴ってみたって、「今の顔、キレた猿みてぇ。怖えぇ〜」なんて悪態を吐きながらも顔は笑顔。絶対に軽蔑しようとはしない。不意に、花沢類と視線が合った。花沢類はあたしに、優しく笑いかけてくれていた。

 今度は道明寺と目が合った。そしたら道明寺も、穏やかな顔してて驚いた。さっきまでずっと、ご機嫌斜めだった道明寺なのに・・・。でもあたしは、そんな2人の表情が何故か嬉しかった。

 道明寺が3on3をやろうとした理由は、相変わらず分かっていない。ただの気まぐれか、それとも何か意図しての事なのか。

 でも今は何となく思っている。もしかして何かしらの意図があるのかもしれないって。あいつの今の顔を見たら、益々そんな気がした。

 時間があと1分を切った時点で、美作さんが、初めてファウルを取られた。執拗に付き纏ってくる和也君に、相当苛立ってしまったらしい。それで得られた攻撃権。最初にボールを持ったあたしは、下手くそなりにも必死でドリブルをした。

 このボールを目掛けて、近づいて来たのは西門さんだ。最後のチャンスになりそうなこの攻撃。あたしは西門さんが与えるきついプレッシャーに耐えながら、懸命にボールをキープしていた。どこかに点に繋がる道は無いかと辺りに視線を彷徨わせて、そんな時に、一瞬だけ見えた、ゴールへの道。それは花沢類が、道明寺のマークを振り切った瞬間だった。

 あたしはそこでドリブルを止めて、花沢類にパスを渡そうとしていた。
このパスが通れば、絶対に花沢類が点を取ってくれる・・・そう信じて疑わないで。



それなのに・・・

あたしってひょっとして、ここぞという時の運が無いのかもしれない。

あたしの目の前に、突然迫って来た固い地面。

ぶつかる!

そう思ったのは一瞬で、次の瞬間にはあたしは激痛の中でもがいていた。

特に右頬が痛いのは何故だろう。あまりに唐突な出来事で、それさえも分からない。

「わりぃ牧野!」

 西門さんの声が、頭上から降って来る。あたしはその顔を見ようと顎を上げた。
ところが、視界に入って来るのはどうしてもジーンズを履いた両足だけ。
あたしの今の体勢では、それ以上上を見ようとするのはとても困難なようだった。

 今あたしは、地面にうつぶせ状態なのだという事に気づいたのが、それからやっと数秒後。

上半身をなんとか地面から引き剥がして、取り敢えずその場に座ってみると、ようやく現れた西門さんの顔。

「おい、大丈夫か?」

 西門さんはあたしの顔を覗き込んで言った。

「ほんと悪かったな。けど、俺は別にわざとお前に足引っ掛けようとした訳じゃねぇからな」

言われてやっと、あたしが何故こんなに無様な格好になったのかを理解する。花沢類にパスを渡す事で必死だったあたしは、あの瞬間、確かに西門さんの足には注意していなかった。地面に倒れるその最中でさえ、両手で抱えたボールを手放そうとしなかったあたし。顔から地面に突っ込んだのはそのせいかと思うと、自分が情けなくて仕方が無かった。

「おい、大丈夫か?」

 いきなり目の前に現れたのは道明寺。面に跪いて、あたしの顔を心配そうに見つめていた。あたしが「大丈夫大丈夫」と軽い調子で頷くと、一度は「そうか?」と安堵したけど、右頬にあったあたしの手を外した途端、ギョッとした。

「おい、血が出てんぞ。全然大丈夫じゃねぇじゃねぇかよ」

 言いながらあたしの身体を軽々と抱え上げると、そのまま、みんなの間をすり抜けて、邸の方へと歩き出す。別にあたしは歩けない訳じゃないのに、横抱きにされてるのがどうにも調子悪くて、

「あ、あのさ、ここまでしてくれなくても、あたし、大丈夫だから」

 必死で訴えてみても、道明寺は全くの無視。そんなあたし達を追いかけて来る、西門さんの声。

「おい!俺達はどうすりゃいいんだよ。試合だって中途半端だし!」

 そしたら道明寺は、信じられない事に「帰れ」と言い放った。当然西門さん達はブーイング。

「ちょっ、マジかよ!一体誰の呼び出しでここ来てると思ってんだよ!」

「3on3だって無理やりやらされたんだぞ俺達は!」

 西門さん、美作さんの不満は、あたしの耳にも痛かった。

「そうだそうだ!」

 和也君も黙っては居られないのか、2人のブーイングに参戦する。静かなのは、やっぱり花沢類だけだった。でも心の中では怒ってるのかもしれないと思ったら、こいつの勝手さを放置はするのはあまりにもあの人達に申し訳なくて。

「ねぇ、『帰れ』っていうのは流石に酷いんじゃない?みんなあんたの我侭に付き合ってやってんのに」

 あたしは痛い頬に顔を歪めながら道明寺を嗜める。擦り剥けてるのか切れてるのか。怪我の具合はまだ分からないけど、ちょっと口を動かすだけでもヒリヒリする。おまけに、「誰のせいだと思ってんだよ」という、道明寺の意味不明な発言。誰のせいって、誰のせいよ。もしかしてあたしのせいとでも言いたいの?

 あたしは道明寺に言い返したかった。3on3やりたいなんて、あたしは1度も言った記憶は無いのに。

 でも傷が痛むせいか、たったそれだけを返すのも億劫になって、
結局あたしは、コートに残される4人の役には立てず、素直に道明寺の部屋まで運ばれていった。


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