師走:旧暦12月のこと。
    普段は落ち着いている先生やお坊さんまで、忙しさのあまり走り出す・・・
    というところから付けられた。

 師走:アルバイトと勉強が重なった受験生がヒステリーを起こしやすい時期。   
    周囲の人間は注意が必要である。



     全く例外ではない、牧野つくし、17歳の12月。














 「・・・であるから、このaには12が代入され・・・」


 


 「・・・以上のことより、三次曲線Yの式が・・・」


 


 ・・・非常にわずらわしい。
 もうかれこれ5分は経っているのではないか。 
 机の横にぶら下げたバッグの中で、延々と振動し続ける携帯電話。
 
 ほんと、いい加減にして欲しい・・・

 着信が誰からかなんて、見るまでもなくて。
 こんなにしつこく何度も何度も電話してくる奴は、私が知る限り1人しかいない。
 本当なら文句のひとつも言ってやりたいところだけれど、そんな時間も無くて。 
 こうして黙殺するしか術が無いのだ・・・

 「・・・では次、今説明した事を踏まえて例題を解きなさい」

 講師がそう言うけれど。
 ケータイのバイブ音が気になって、ノートすら取れなかったわよ。
 大学落ちたら、どう責任とってくださるのかしら、あの偉大なお坊ちゃまは・・・






 『今の成績じゃ、国立大学は難しいね』

 教師にそう言われたのは、ほんの数日前。
 関東圏の国立大学を目指していた私に、それはもう冷たく言い放ったっけ・・・

 『地方で下宿も考えているのなら選択できるけど、関東近辺じゃね・・・』

 四国とか沖縄とかどう?

 なんて言いながら、受験ガイドをぺらぺらとめくる担任を見ながら、もう顔面蒼白状態。
 どーするよ、つくしさん。
 関東圏の私立大学なんて、逆立ちして体振って、でんぐりがえりしたところで
 授業料が払えない。
 だからって、1人南国へ旅立つかい?
 不安定な生活してる家族おいて、1人逃避行、憧れないわけじゃないけど・・・
 だめだ、私にはできない。

 どうしようかと思いあぐねている時に、必ず救いの手を差し伸べてくれるのは優紀で。

 『今行ってる予備校、冬季講座に友達紹介すると、受講料が半額になるんだよね』

 もちろん、半額になるのは優紀なんだけれど。
 うちの経済事情も全てわかってくれてる彼女は、その権利を私に譲ってくれた。
 これで晴れて予備校生。
 今まで足りなかった部分を、この2週間で取り戻さなきゃ・・・

 って意気込んではみたものの。
 必ずいるのよね、こういうときに邪魔する奴って。

 冬休みに入ってから。
 朝から夕方まで予備校の冬期講習へ通って、夕方は団子屋
 ――― 優紀はやめてしまったけれど―――でバイト。
 夜はファミレスで再びバイト。
 勉強してたってお金が儲かるわけじゃないから、バイトは絶対に外せない。
 こんなハードな一日の中で、道明寺にかまけてる時間なんて作れるはずが無くて。
 申し訳ないとは思うけれど、どうしても彼を後回しにしてしまう。
 会いたいし、話もしたいと思うけれど、そんな甘えは許されなくて。
 だからこそ、道明寺にも協力して欲しいと思うのに・・・・・


 ・・・なんなのよ、この徹底した嫌がらせは・・・・・


















 午後4時。
 授業終了の合図とともに教室を飛び出す。
 講師も驚く速さで走って、走って。
 息切れしながら団子屋に到着。
 息を整える間もなく着替えて店に出る。
 
 「今日は暇だと思うから、年末に向けてお店の掃除してちょうだいね」

 女将さんに言われたとおり、ショーケースを磨いたり、外のガラスを磨いたり。
 さすが12月だね、こんな薄着で外へ出ると、流石に寒さが身にしみる。
 凍りそうな指先に、息を当てて暖を取る。
 
 「・・・・・・・」

 しかし。
 今日は妙にカップルが多いこと。

 ガラスに反射する街の風景。
 幸せそうな男の子やら女の子やら男の人やら女の人。
 いいなぁ・・・私も、道明寺とあんな風に歩けたらな。
 あと3ヶ月の辛抱か・・・

 と、不意に人の気配を感じた。
 ガラスを見てみれば、私の後ろに背の高い人の影。 
 もう、これは振り返るまでもなくて・・・

 「・・・俺の電話無視しといてバイトとは、いいご身分だよな・・・」

 ・・・当たって欲しくなかったけど、ビンゴ。
 いつもより低い声で、いつもより震えた声で。
 かなりやばめ?
 
 「・・・あ、あれ道明寺?いつから居たの?」

 その不機嫌さには気付かぬ振り。
 明るく彼に声をかける・・・・・けれど、やっぱりダメだよね・・・


      


 急いで作った笑顔は、彼の表情を見るなりみるみる崩れた。
 それはもう、後ずさりしたいほど怖くて。
 ガラス戸が邪魔をしてできなかったけれど。

 「何度かけても無視、無視、無視。まさかと思ってここへ来てみりゃ案の定だ。
  お前、俺になんか恨みでもあるわけ?」

 「・・・滅相もございません」

 とりあえず、必死で否定する。
 恨みなんてございません・・・しつこい電話を除けば。
 それにしたって。
 こいつ、今日に限ってどういうこと?
 
 「・・・今日、約束なんてしてないでしょ?」

 「・・・・・・」

 無言で私を睨みつける道明寺。
 一体何なの?
 
 「・・・・・?」

 さっぱり要領を得ない私。
 これ以上睨みつけても無駄だと悟ったのか、道明寺は私の横を通り過ぎ、店へと入る。
 そして、カウンターにいた女将に一言。


 「ここにある和菓子全部と、外にいるあの女、くれ」


 ・・・なんか、どこかであったよね、このシチュエーションって。
 しかも、私はモノかいっ?!

 ・・・とまあ、そんなこんなで団子屋から(何故か)解放された私。
 一息つきたいところだけど、そうも言ってられないでしょう?
 着替えを済ませ、急いでファミレスへ。

 「お先に失礼します!」

 女将に元気良く声をかけ、走り出した・・・・ところで、むんずと掴まれる腕。
 もちろん、そんなことするのは1人しかいなくて。

 「・・・何?」

 振り返って、聞き返した。

 「・・・聞くのが怖い気もするが、あえて聞く。お前今からどこ行くつもりだ?」

 「・・・バイト」

 ・・・はっきり言って、鬱陶しい。
 道明寺が何を言いたいのか、何を期待しているのか、さっぱりわからない。
 普通の状況ならそれもいいけれど、今はそうじゃない。
 1月中旬のセンター試験に向けて、死ぬ気で勉強しなきゃいけないのに、
 それなのに、当面の生活費も稼がなきゃいけない。 
 確かに、彼氏をないがしろにしていたのは申し訳ないと思うが、
 彼にはきちんと説明したはずだ。
 『学外受験をする』、つまりエスカレーターには乗らない、と。
 それを了承してくれた以上、この生活を・・・
 手放しで奨励しろとは言わないが、黙認してくれたっていいじゃないか。

 「・・・時間ないしさ、あたし行くよ?あんた、何が言いたいのかさっぱりわかんない」

 道明寺の手を振り払い、今度こそ本当に走り出した。
 なんか、ちょっと体がだるいかな・・・
 あいつが来たからかな・・・
 そんな事を考えながら。












 裏口から入ったファミレス。
 その厨房は、いつもよりも忙しない。
 ホールからのオーダーと、コック同士の呼び合いで、いつも以上に騒がしい。
 のんびりしてる場合じゃないね、急いで着替えなきゃ。


 ・・・・しかし。
 着替えを終え、戦場と化したホールへと飛び出すと、なにやら不穏な空気が。
 ざわめく客席と、困り果てた表情の店長。

 「・・・ですから、その様なご注文は・・・」

 両手をさすり合わせながら、くねくねと答えるその姿は、はっきり言って情けない。
 こんな人に使われているのかと思うと、少し悲しくもある。

 「ねえ・・・何があったの?」
 
 小さな声で、隣に立つウェイトレスに聞く。

 「なんかね、『この店にある食料全部使って、料理を出せ』とかって、
 訳のわかんない注文したお客さんがいるの」

 「・・・へぇ・・・」

 答えながらも、頭の中に引っかかる何か。
 ・・・ってか、さっきそれと全く同じこと体験したよね、私。

 「客の言う事が聞けねえっていうのか?」

 ・・・この声。
 耳がぴくん・・・と動く。
 まさか・・・とは思うけれど念のため。
 その客の姿を確かめるため、足を進めた。

 「そんな店、いらねえだろ。今すぐ閉めちまえ」

 ・・・見覚えのあるくるくる頭。
 えらそうにソファにふんぞり返って、困り果てた店長を見下して。
 今度こそ、本気でぶち切れた。

 「・・・・・」

 無言で、その席へ向かう。
 止めてくれるほかのウェイトレスの腕も振り払って。
 途中、トレーに乗ったアイスティを取って。

 「・・・・・」

 テーブルの前に仁王立ちする私に、目を丸くする店長。
 
 君は下がってなさい・・・

 小さくささやく彼の声は、私の耳には届かない。
 もう1人の闖入者に気付いた道明寺がこちらを振り返る瞬間、
 その顔めがけてアイスティをぶちまけた。


 「・・・・・・・・・」


 静まり返る店内。
 まるでムンクの叫びのような形相をした店長。
 目を真ん丸くして、動きを止める他の客。
 驚きのあまり、トレーを落とすウェイトレス。

 ガシャーン・・・

 乾いた金属音だけが、店の中にこだました。






 「・・・・・」

 濡れてストレートになった髪をかき上げながら、私を睨む道明寺。
 さっきはその視線に逃げ出したくなったけど、今回は違う。
 彼が怯むような鋭い視線を、私も彼に返す。

 ああ、とりあえずどうしようか。
 言いたいことはたくさんあるが、何から言ったらいいのやら。
 とりあえず、最初に口から出た言葉は。


     


 「・・・人のケツ追っかけ回して、ガキみたいな事してんじゃねぇよ」

 だった。

 「け・・・ケツ、ガキ・・・」

 口をパクパクさせる道明寺―――これじゃ、金魚だ―――に追い討ちをかけるように、
 思いつく言葉を全部まくし立てた。

 「人が真剣に勉強してる時に、電話かけまくるんじゃねーよ」
 「バイト先までいちいち来んな。ストーカーじみて気持ち悪いっての」
 「食い物全部もってこいって、てめえの腹にこの不味い飯が入るのか?」
 
 言い過ぎてるってことは分かってる。
 でも、何故だろうね、口が止まらないの。

 「さっきの和菓子だってどーせ全部捨てたんだろ?もったいないことすんなよ」
 「言いたい事があるならはっきり言えよ。黙ってても気付いてもらえるなんて、
  ムシが良すぎるんだよ」
 「自分のことばっか考えてないで、少しはあたしの事も考えろバカ!」

 一息でまくし立てたら、頭のどこかで『プチ』って音がした。
 それと同時に、視界がすーっと白くなって。
 ああ、血管切れたかな・・・って、冷静に思った。
 そしたら、どんどん血の気が引いていって。
 足に力が入らなくなって。
 
 意識が途切れた。

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