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 ―――――みんなでドーナツに行ったあの日、野球を見に行くというマサムネと牧野サンが、心底羨ましかった。俺だってユカちゃんとデートしたいもん。鋭いユカちゃんのことだから、浅はかな俺の考えなんて、とっくにお見通しだったんだと思う。『遊びに行こう』って誘いたかったことも、うまくタイミングつかめなかったことも、ちょっとした勇気、ふり絞れなかったことも―――――







         






 自室に下がったユカちゃんを、今か今かと待ちわびる。『My Way』――ユカちゃんがかけてくれたDef Techの曲だ――を口ずさみながら、自分で想像する『HIP-HOP』風に手を振り、体を揺らしていたら、後ろからポカリ・・・と頭を殴られた。


「あんた何踊ってんの?タコみたいで気持ち悪いんだけど・・・」


 超カッコいいと思った動きが、タコ呼ばわり・・・ちょっとショックかも。いくらユカちゃんでもこれは少し抗議しなきゃ・・・と思って振り返って・・・その気持ち全部捨てて、両手あげて全面降伏。なんて可愛いんだ!!黒のハイネックキャミソールと、和柄のフレアスカート――裾が切れ端っぽくて、そろってないやつだ――、チャコールグレーの薄手のジャケットと、前一緒に買いに行った――というよりも、ユカちゃんとショコちゃんの買い物に無理やりついていったのだけれど――黒のショルダーバッグをかけたユカちゃんは、もう俺の目がハートに変化してやまないくらいに可愛い!!このまま彼女の元に走って抱きつきたかったけど、先に「抱きついたら殴る」と制され、しぶしぶ両手を下げた。

        

「まだ髪整えてないから、もう少し踊ってて」


 そのタコ踊り・・・と続けられ、腰砕けになって前に倒れる。俺がどんなにカッコよく決めたつもりでも、ユカちゃんにとっては所詮タコなのね・・・ちょっと、ショック。ソファにおいてあるふかふかクッションに勢い良くダイブ。ポフン・・・と、どこか小気味良い音がした。それが面白くて、何度も繰り返してポフン・・・ポフン・・・ってやってたら。鏡を求め、洗面所に消えたユカちゃんの、『埃が立つからやめて!』という声が聞こえた。むー・・・手ごわい。でも、嬉しい。視界に入ってない俺のことも気にしててくれるなんて。ぎゅぅぅぅぅ・・・と、クッション抱きしめて、ソファの上でクロール。あー・・・マジで早起きしてよかった!勇気振り絞って、朝早くからここに来て良かった!

昨日の夜から、もんもんとした気持ちずっと抱えて、正直言って眠れなかった。情けない男・・・って思うだろ?実際俺も思った。自分のこと。ユカちゃんが冷たいのなんていつものことだし、俺がユカちゃんのこと好きな気持ちの100分の1も、彼女が想ってくれてないことも知ってる。でも、だからって諦められるほど、忘れられるほど気持ちって簡単なものじゃない。典型的なB型人間の俺には、おでこに『忘却スイッチ』っていう何とも便利なボタンがついてるんだけどさ、それ押せば、嫌なこと――宿題のこととか、進路のこととか、センセに怒られたこととか――は大抵忘れられる。でも、ユカちゃんのことだけは別だ。酷いこと言われて傷ついたとか、嬉しいこと言われて昇天したとか、ちょっと肩が触れたとか間接キス――ユカちゃんの飲みかけの缶ジュースなんかを一口もらったとか、その程度なんだけど――したとか、そんな些細なことも全然忘れられない。ノーミソのど真んを完全に占拠されて、全面降伏白旗フリフリ状態の俺。右を見てもユカちゃん、左を見てもユカちゃん、下を見ても上を見ても、とにかくユカちゃん。空を見上げれば、雲の形までユカちゃんに見え、地面を見れば、転がってる石までユカちゃんに見えるという始末。拾い上げて頬を摺り寄せたことが何度あることか。もう、『恋患い』――実際は『恋煩い』だけど、もう俺にとっては患っちゃってるの――という病気の末期患者ですか?

自分でもヤバイ・・・と思ってますよ。なんでこんなに好きになっちゃうの?って。今までだって好きになった女の子はいる。でも、こんなに好きになった子はいない。今までだったらね、女の子と一緒にいて、まず俺が楽しくて、ついでにその子も楽しんでくれればいいと思ってた。自分が1番、彼女は二の次。でも今は違う。自分がどんなに辛い目にあっても、悲しい思いをしても、彼女――ユカちゃんが笑ってくれればいいと思う。まず彼女が笑ってくれて、そして俺も一緒に笑うことができたらもう最高。彼女が笑顔になったら最後、もう俺まで昇天しちゃうんだから。


「・・・ユカちゃん、早く来ないかな・・・」


 どこ行こうとか何しようとか、全然考えてないんだけどさ。でもはっきりしたユカちゃんのことだから、ここへ行きたいとか何をしたいとか、自分の欲望はこの上なくはっきり言うはずだ。たとえ俺がどんなに嫌がっても。いや、俺は嫌がったりしないよ。ただ、正直なところちょーっと行きたくないな、とか、ちょーっとやりたくないな・・・なんて事もあるけど、彼女と一緒に行ったりやったりすれば、結構楽しいことだったりする。もちろん、そこで必須条件なのは『彼女と一緒』って事だけど。これがもしマサムネや田村やその他大勢だったりしたら、それはもう不機嫌丸出しで『帰ろう』とか『やめよう』とか駄々こねるけど。


「・・・お待たせ」


 少し鼻にかかった高い声が聞こえて、クッション抱いたままばたつかせていた足を止める。待ちに待った愛しいユカちゃん。勢い良く顔を上げて、同時に『どこへ行きたい?』と叫ぶように言う。


「・・・・」


 一瞬、驚いたように大きな目をさらに大きくして、そして笑った。・・・って、え?ユカちゃんが笑った?

 彼女が笑うことが珍しいわけじゃない。ショコちゃんと一緒の時なんか、その時間の90%は笑顔で占められてる。・・・そのときは、ちょっとばかし女の子らしくないというか何と言うか。大口開けて机や壁なんかをダンダンと叩きながら、あはははは・・・と大きな声で笑うユカちゃんは、見てるほうが気持ちよくなるくらいに豪快で。もう、『男っぽい』といっても過言ではない。でも、そんな笑顔俺には滅多に向けてくれない。俺に向けるのは大抵しかめ面だったり、怒った顔だったり、呆れ顔だったり。そりゃ、時々は笑顔も見せてくれる――俺のために笑ってくれることもあるけど、それはほとんどが『苦笑』ってやつだ。

 でも今の笑顔はどうだ。いつも俺に向けられるやつとは、ちょっと呼び方が違うんじゃない?『仕方ないなぁ』ってやつじゃなくて、ホントに楽しそうに・・・ってか、嬉しそうに・・・てか、幸せそうに・・・ってか、そんな類のもの。予想外の出来事に、心臓がバクバクとなる。しかも・・・だ。


「テツヤの行きたいところでいいよ?」


 なんて言うものだから。もう、恋のピストルでズキューンと心臓打ちぬかれちゃいました。僕、失血死します・・・状態。あうっ・・・と両手で顔を覆ったまま、ソファへ再びダイブ。っつーか、マジで反則でしょ、これ。ユカちゃんが、ユカちゃんが・・・俺のこと『テツヤ』って呼んだよ?いつもはバカとかアホとか間抜けとかこの男とかこいつとか、誰のことでも指せちゃうような代名詞でしか呼んでくれないのに。


「・・・ね、今、何ていったの?」


 もしかしたら聞き間違えかもしれないと思って、今一度確かめる。ホントに聞き間違えだったらちょっと淋しいけど、でもそれが俺の現状というか日常というか・・・まあ、それだ。そう聞こえただけでもありがたいと思わなきゃかもしれない。


「?行きたいところでいい・・・って」

「いや、そうじゃなくてその前」

「・・・テツヤ?」


 首を小さくかしげて、ユカちゃんの愛らしい唇が『テ』『ツ』『ヤ』と3つの言葉をつむぎだす。今度は、脳天に向かってズドーン・・・とバズーカ砲打たれちゃいました。もう、俺今死んでもいいかも。クッションつかんで、ぎゅーっと抱きしめて。マジで良かったよ、勇気振り絞ってここに来て!そうだよそうだよ。いくら冷たくあしらわれても邪険にされても怒られても、いつも最後には許してくれた。そうだ、そんな優しいユカちゃんじゃないか!それが今日はなんだか素直で・・・あーっ!!!!!このまま部屋を飛び出て、道行く人と握手して回りたいよ。『俺って世界一幸せ者なんです!』って、肩叩いて回りたいよ!!


「よしユカちゃん、出かけよう!」

「どこへ?」

「もうどこでもいい!!とりあえず天神まで出て、行きたいと思ったところに行く!」


 すっと立ち上がって玄関へ向かうと、全く・・・という彼女の溜息が聞こえる。振り返ってちらりと盗み見たけれど、その表情はめちゃめちゃ笑顔で。言葉と表情のアンバランス。もう、俺かなりヤバイかも。


「じゃ、今日はお任せしてついてくことにしますわ、王子様」


 と、ブーツに足を通しながら、ユカちゃんは俺が今まで見た中で最高の笑顔で言った。







「・・・ユカちゃん」

「何?」

「ユカちゃん・・・・」

「だから何って!」


頭に軽い衝撃を感じて、はっと目を覚ます。・・・って、覚ますって・・・


「・・・え?」


 がばりと顔を上げると、そこはユカちゃんの家のリビングで、髪をアップにした彼女は机と――正確に言えば、机の上にあるノートとにらめっこ。・・・あれ?俺らって出かけたんじゃなかったっけ。ユカちゃんが俺のこと『テツヤ』って呼んで、俺の行きたいところについてきてくれるって言って、それで・・・・

 なんだか嫌な予感がして、腕にあるスウォッチに目をやると、短針はありえない数字を指していて。思わず『マジで?』と叫んだら、再び頭に硬いものが飛んでくる。『うるさい』というユカちゃんの声も一緒に。


「髪を結って戻ってきたら、あんためちゃくちゃ気持ちよさそうに寝てるから。起こすの忍びなくてさ。でも良かった。今日やろうとしてた古典の問題集、あと数問で片付きそうだから」


 俺を見てにっこり笑って。でも・・・でも・・・にっこりが違う。さっきみたいな慈愛に満ちたやつじゃなくて、『あんたもたまには役に立つのね』っていう、意地悪の類のにっこりだ。でも、でも。さっきのが夢だったって信じたくなくて、ユカちゃんに質問してみる。


「ねえ、俺のこと呼んで?」

「・・・バカ犬?」

「今日、どこ行きたい?」

「天神の本屋さん。そろそろセンター試験の過去問題買おうと思って。あと赤本も」

「・・・・さようですか・・・」


 大きな溜息つきながら、床に転がるクッションをぎゅーっと抱きしめた。ああ、もう全てが夢。何もかもが夢。『ツワモノドモハユメノアト』、意味わかんないけど、なんかそんな気分。結局は昨日からの寝不足と今朝の早起きが祟って寝ちゃって。しかも都合の良い夢を見ちゃったってオチですか。はー・・・


「・・・でも」


 落ち込む俺をちらりと見て、ユカちゃんがまた笑う。今度も『意地悪』にっこりで。


「本屋に行く前の遅いランチと、本屋に行った後のCD屋めぐりくらいなら、付き合ってあげてもいいけど?」

「・・・・・・付き合ってください」


 結局は、彼女のそんな一言で何もかもがぶっ飛ぶくらいに元気になれてしまうのです。結局は、少し意地悪で、でも少し優しい彼女に翻弄されっぱなしなんです。僕は。


「じゃあ、あと20分待って。これ終わらせちゃう・・・・」


 言い終わらないうちに、大きなあくび。つられて俺も、大あくび。目が合って、何となく照れくさくなって。


「今、おそろいだったね」


 と、だらしなく笑って言った。
 でも敵はツワモノ。違うでしょ?と真顔で言って。


「お揃いじゃなくて、あんたがマネしたの。あたしのマネ」

「・・・はい、その通りです」


 もう、彼女には勝てません。両手を挙げて、再び全面降伏。その調子で、ユカちゃんは言葉を続ける。


「あ、昼ごはんはおごりなよ。寝ちゃったあんたのせいで、あたしまで昼ごはん食べ損ねたんだから」

「もちろんです」

「マックはイヤだからね」

「分かってます」


 恭しく頭を下げると少し沈黙があって。きょとんとした顔で俺をじっと見つめた後。


「・・・バカ」


 と言いながら、やっぱり苦笑した。

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            BGM♪南風レミオロメン