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T Eyes
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「どうぞ」



ぼんやりと立っている私の目の前に、ボーイがカクテルグラスを差し出す。

グラスの中では、この場に相応しい琥珀色の液体が、静かに波打っていた。

その様子があまりに美しくて、思わず魅入ってしまう。



「・・・ありがとう」



ふと我に返り、それを受け取ると、彼は丁寧に頭を下げた・・・が、その目に浮かぶ

好奇の光を隠すことはできなかったようだ。

キラリ・・・と一瞬目を輝かせて、その場を去る。

暫くその後ろ姿を見つめていたが、いつの間にか人ごみに紛れてしまい、見失った。


・・・ま、仕方ないけどね


光り輝くオーラを纏った来賓の中に、一人だけ平凡な私。

周りを見渡しても、壁にもたれてぼんやりしている人なんて、たったの一人だっていない。

皆自信たっぷりの態度で、楽しそうに談笑したり、余興を楽しんだりしている。



「・・・・・・・・」



手中のカクテルを一気に飲み干すと、私は窓ガラスに反射した自分の姿を盗み見た。

私自身と身に付けているもののギャップがありすぎて、

一目見ただけで着慣れていないと見破られてしまう。

やはり、安物だと分かっても、自分のものを着たほうが良かったのか。

美作さんの用意してくれたものは、豪華すぎて私にはこっけいなほどに似合わない。

これでは、ボーイに興味本位で見られても文句は言えない。

目立っても仕方がないのだ。…悪い意味で。

私が壁の花になるのはある意味当然であり、

それが不満かといえばそうでもなく、寧ろ有り難い。

来賓の人々に、不躾な視線でじろじろ見られるのだけは勘弁だ。

一人は退屈だけれど、仕方ない。

一緒に来たはずの花沢類は、道明寺邸に到着した瞬間に、

取り巻きらしい女性たちにどこかへ連れて行かれてしまった.。

―――――もちろん、女性たちは一緒にいた私をじろりと睨むことを忘れなかったっけ。

一瞬呆気に取られてしまったが、その場に立ち尽くしているわけにもいかない。

見覚えのある屋敷の構造と、私を覚えていてくれていた古株のメイドさんのおかげで、

こうして着替えを済ませ、会場へ出ることができた。

しかし、こうも広いと花沢類は愚か、見知った顔を捜すことも困難だ。















「グラスをお下げいたします」



いつの間にか、先ほどと同じボーイが持っていたグラスを手の中から優しく抜き取った。



「・・・ありがとう」



やはり、これしか言えない私。

気の利いた言葉の一つでもかけることができれば、彼の先入観を取り除く事だってできるのに。

こんな格好しているけど、実はきちんとした人間だって・・・無理がありすぎるか。

カクテルもなくなってしまった。

見たこともないような料理が並ぶ中央に進み出たいという気もあるのだが、

極度の緊張と『注目を浴びたくない』という気持ちがそれをかき消す。

飲めない、食べられない、知り合いもいない。

ただぼんやりしているのも淋しすぎる。

気晴らしに、車の中での出来事でも思い出してみようか・・・・

と思ったが、それは無駄だということに気付いた。

いつものように―――

とは言っても、最近は車に乗ることすら殆どなかったのだが―――

すぐに眠ってしまった私に、何を思い出せるというのだろう。

しかし、車に乗るまでのことなら覚えている。

久しぶりに見る花沢類は、記憶の中のそれと変わりなくて、

それでいて頬や顎、細い指先が妙に大人びていて、高鳴る鼓動を抑えることで精一杯だった。

心にブレーキをかけなければ、そのまま触れていたかもしれない。



・・・彼は、今ごろどこにいるのだろう。



相変わらず、取り巻きの女性に囲まれているのだろうか。

何とも言い難い気持ちを噛みしめながら、会場に視線を走らせた。

が、それはすぐに一点で静止した。

どうしてだろう。あんなに遠くにいるのに。

皆同じような格好しているから、すぐにはわからなくてもおかしくないのに。

絡まった二本の視線は、そのまま解かれることなく、さらに複雑に絡まり続ける。

糸に手繰り寄せられるかのように、彼の姿はだんだんと近づく。

再び、胸が高鳴り始めた。
 




























どこに行ったんだろう・・・


何度も小さく舌打ちをしながら、会場の隅々まで視線を走らせる。

時折、探してもいない―――合わせたくもないと思う視線とぶつかり、

その主は作り笑いを浮かべながら、俺の元までやってくる。

こうなったら、こっちも足を止めないわけにはいかない、心の中で大きく舌打ちをする。

苦手な笑顔、苦手な社交辞令を駆使し、どうしたら早く会話を終わらせることができるだろう・・・

そんなことを考えながら、さも会話を楽しんでいるような『ふり』をする。

時折ズボンのポケットに手をしのばせ、小さく四角い感触があることを確かめながら。


「高校時代の友人を探していますので・・・」



今日、このセリフを何度言っただろう。

これだから大勢が集まる場所は嫌いだ。

行きたいところにも行けない、話したい人とも話せない―――

まあ、話したい人なんていつもはいないから、これは今日に限ったことだけれど。

名残惜しそうな視線で俺を見つめる女性に軽く会釈しながら、再び歩き出した。

・・・大誤算だったよ、まさかあんなことになるなんて。

道明寺邸に到着した俺を待っていたのは、覚えもないような女たちの集団だった。

あまりに予想外のことに目を白黒させているうちに、

女たちはあれよあれよという間に俺と牧野を引き離す。

冗談じゃない・・・とやっとの思いで彼女たちから解放され、元の場所に戻ってみたが、

時は既に遅かった。

もう牧野はいない。


牧野にとっては思い出のある家だ―――色々な意味で。

慣れていないわけではないから、迷子になった可能性は低い。

・・・とすれば、会場で待っていれば牧野のほうから俺を探してくれるだろう。

そんな風に軽く考えてみたけれど、この大人数では、それは不可能に近い。

場慣れしていない牧野が、自由に歩き回るとは考えられない。

不慣れな彼女に期待するよりも自分で探した方が確実だと、自ら動き出したのだが、

こう何人もの人に話し掛けられ、足止めを喰らっていては、

牧野を探し出すのは一体いつになることやら。


もう一度、ポケットの箱に手を滑らせる。

会場に入る前に牧野に渡すはずだった、インペリアル・トパーズのネックレス。

以前―――と言っても、まだ三ヶ月も経っていないが―――

ブラジルに視察に行った際、現地のバイヤーから購入したものだ。

宝石なんて全く興味なかったし、贈りたいと思うこともなかったのだが、

上等のシェリー酒のような鮮やかな赤い色を見た瞬間、ふと牧野の顔が頭に浮かんだ。

色の白い彼女にはよく似合うだろうな・・・

なんて、それを身に付ける牧野を想像しているうちに、どうしても欲しくなってしまったのだ。


まだ見ぬ盛装の牧野。彼女のドレスとこのトパーズは、似合ってくれるだろうか・・・?

そんなことを考えながら、再び会場中に視線を走ら・・・せるつもりだったが、

それはすぐにある一点に注がれた。

壁にもたれ、ぼんやりと宙を見つめる黒いドレスの女性。

今までずっと探していた牧野。

小さく安堵の息を吐きながら、早足に向かう。

途中声をかけられても、『急いでいますので』とかわした。

今ここで牧野を見失ったら、このネックレスを渡す機会がなくなってしまうかもしれないから。

パーティーが始まれば、嫌でも皆で集まるだろう。


でも、それじゃ意味がない。

二人だけの時に、どうしても自分で牧野の首につけたかった。

俺の選んだトパーズをつけた牧野の姿を、

それを目にした彼女の表情を、

どうしても最初に見たかった、他の誰よりも早く。

彼女を見つめる俺の視線に気付いたのか、やがて牧野が視線を向ける。

一度絡まった視線は、そう簡単には解けない。

牧野は俺を見つめながら、俺は牧野を見つめながら。

二人の距離は、次第に縮まっていった。

































「・・・やっと見つけたよ」


   



花沢類は変わらない。

非常階段の頃と変わらぬ空気で柔らかく微笑む。

彼が微笑んだだけで、私を包んでいた暗く重い空気が、ふわりと軽くなった・・・そんな気がした。



「牧野のことだから、料理に夢中になってるかと思ったのに。探す場所が全然違ってた」



壁の花になってるなんて、全然思わなかったな・・・




昔のようなあどけなさはなくなってしまったけれど、骨っぽくなった頬や喉元が、彼の成長を物語る。

透けるような茶色の髪。ビー玉のように澄んだ瞳。

目の前にいる花沢類は、本物なのだろうか?

なんて考えながら、そっと右手を伸ばした。

指先に感じる、暖かな感触。

赤ん坊のように綺麗な肌をすう・・・となでると、

宝物をしまうかのように、その指を左手で優しく包んだ。



「顔に何かついてた?」



料理には手をつけてないんだけど・・・と恥ずかしそうに自分の頬を触る彼に、

誰かのお皿から飛んだんじゃないの?なんて笑ってみせる。

本当はそんなものついていなかったけれど、それを白状するのは、恥ずかしい。

花沢類に触りたかっただけ・・・

なんて、自分が即物的な何かになってしまったような気がして言えなかった。


でも、不思議だね。一度触れてしまうともっと触れたくなる。

知らず知らずのうちに彼の方へ伸びてしまう指を押さえ込むのに精一杯だ。



「・・・くしゅんっ」



突然、鼻がむずむずしてくしゃみが出た。

何だろう、くしゃみなんて滅多に出ないのに。

とっさのことで顔を覆うこともできず、くしゃみをする瞬間のみっともない表情を

彼に見られてしまったことが何だか恥ずかしい。


持っていた小さなバッグの中からハンカチを探し、鼻をそっと押さえた。



「風邪?」



「ううん、違う。いつもと違う格好だから、身体が慣れてないだけだと思う」



いくら一定温度になるように空調が設定されているとはいえ、

タキシード姿の男性と、肩を出したドレス姿の女性とでは、感じる温度が違う。

ここの温度は、肩を出している私には少し寒かったようだ。



「寒い?」



「少し」



じゃあ・・・と、花沢類は不意に私の両手を掴むと、自分の頬へとそれらを導いた。

あまりに予想外のことに、思わず彼の顔を見上げる。



「手、冷たいね。少しは温まるかな?」



「・・・うん、あったかい・・・」



触れたいと切望していた彼の頬は、ひんやりと冷たい指先とは対照に熱を帯びていた。



「花沢類、熱いね」



「牧野見失っちゃって、やばいと思って探してたから」



彼の熱さと、次第に高まる緊張で、いつの間にか肌寒さはかき消されてしまった。

茶色いビー玉の光が、優しく私を包む。もう、止まらない。胸の鼓動も、体の熱さも。

どうしたら落ち着くことができるんだろう・・・



   


不意に会場中の明かりが消えた。

何だろう、停電かしら・・・と、急にざわめきだす会場。

場所が場所だけに、ざわめき方も半端ではない。正面にいる花沢類の声が聴こえないほどだ。



「停電・・・・・」



言いかけた私の手が、強い力で引かれる。

花沢類の頬にあった手は、彼の耳をかすって後ろにずれ、私の頭は彼の胸元へと引き込まれた。

記憶の片隅に残る、柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

その匂いを思い出しただけで、気持ちが自然と落ち着いたのは何故だろう。



ゆっくりと背中に回る花沢類の手が、とても待ち遠しかった。

それが触れた瞬間、心が甘い叫び声をあげたこと、彼にわかってしまっただろうか・・・?

聡い花沢類、私のこんな気持ち、きっと全てお見通しだね。

それでも私を優しく抱きしめてくれた花沢類の胸に頭を預けながら、そっと目を閉じた。



気付いてしまった想い。

複雑に絡みあった視線。

もう、後戻りできないところまで来てしまったと、この時私はまだ気付いていなかったんだ・・・・
 








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