6つの星の分散和音



秋の冷え込みが一段と厳しくなった11月のある日。早良市総合図書館の一角では、間近に控えた受験のため、問題集に取り組む女子学生の姿があった。黒髪ストレートの、少しきつい感じの彼女は、青い表紙の数学の問題集を、少し明るく、ふわりとウェーブのかかった髪の彼女は、赤い表紙の英語の問題集を。黙々と問題をこなしていた彼女たちの、シャープペンシルのカリカリという音がふと止まる。そして、同時に大きな息をつき、顔を見合わせて笑った。


「疲れちゃったね、ちょっと休憩いこっか・・・」

「あたし、ココア飲みたい」

「じゃああたしはコーンスープで」


 ウェーブ髪の彼女が『決まり!』と笑い、バッグから携帯電話と財布を取り出す。黒髪の彼女もそれに続き、コートを羽織った。館の外は冷たい北風が吹き、冬が近いことを肌で感じる。寒い・・・とコートの襟口をぎゅっと掴んで、自販機へ向かって足早に駆け出した。お互いがお目当ての飲み物を――ウェーブ髪の彼女はコーンスープを、黒髪の彼女はホットココアを――それぞれ両手に包み、再び館内へと戻る。人もまばらな飲食スペースに空席を見つけ、腰を下ろしてコートを脱いだ。


「もうすぐ12月かー・・・1年、あっという間だったよね・・・」


 プルトップを開け、2人で同時に缶に口をつけ、ふぅ・・・と息をつく。


「年が明けたらセンター試験、それが終われば学年末試験と入試か・・・」

「ユカは、やっぱり東京の大学受けるの?」


 ウェーブの彼女が、隣に座る黒髪の彼女――名をユカというらしい――に問いかけると、彼女は嬉しそうな、けれどどこか申し訳なさそうな表情で笑った。


「一応、地元も受けるけどね・・・やっぱり、第一志望は東京かな・・・」

「何?やっぱります・・・・」

「関係ない!全然関係ないからっ!大学案内調べて、どうしても行きたくなっただけだよっ!そういうショコはどうするの?教育大のボーダー、越えられそうなの?」


 ウェーブの髪の彼女――ショコの言葉に頬を染め、ムキになって話題を変えるユカに、ショコは苦笑をもらさずにはいられない。いつもはクールな彼女だけれど、時には可愛い部分もあるのだ。話題をもう一度戻すことも出来るけれど、大好きな彼女を怒らせるのは得策ではないと判断したショコは、わざと折れて、ユカの言葉に答える。


「ちょっと厳しいかもねー・・・でも、まだセンターまで2ヶ月あるし」

「どうせなら九大狙えばいいのに」

「無理だよー・・・レベル高すぎ」

「田村くんと同じ大学通いたくないの?」

「通いたいけどさ・・・高いトコ狙って落ちたら悲しいから。それに教育大なら結構近くだし、同じ福岡なら、偶然会える可能性もけっこうあるかなー・・・なんて」

「あーあ・・・女の友情は恋より脆い・・・か。一緒に東京行こうって言ってたのに、田村くんが地元志望ってわかったとたんに、ころっと寝返っちゃうんだもんなー」


 わざとらしく大きな溜息をつくユカに、ショコは何度も謝る。けれどその表情はどこか楽しそうだ。『薄情者』と肩を叩かれても、怒ることなくニコニコと笑う。それだけ田村――ショコの想い人だ――が彼女を占める割合は大きいのだ。


 もともと、ショコはユカと同じく地方大学志望組だったのだが、その理由のひとつ――全てと言っても過言ではないが――は、田村の進学先だった。彼を取り巻く友人達は、皆東京や大阪など、地方への進学を希望する者ばかりだ。彼もおそらくそうだろう・・・と、本人に確認もせずそう思い込んでいた2人だったのだが。梅雨時期の進路調査で、ショコは偶然にも彼の志望先が地元の大学であることを知った。その瞬間、彼女も地元の教育大学に進路先を変更した。彼女の進路変更は、東京行きを反対する両親を安心させ、彼女にとっては一石二鳥であったのだが。


「あたし、ショコとの2人暮らし、本気で楽しみにしてたのになー・・・」



 大親友であるユカだけが、彼女の進路変更にがっくりと肩を落としたのである。とはいえ、大事な将来を決めるこの決定に、反論できるはずもなく。『あたし達の友情は、進学先が変わったくらいじゃ消えないよね』と、2人強く確信しているのだが。


「ココア飲む?」

「うん。コーンスープは?」

「飲む」

 じゃあ、半分こね・・・と2人は缶を交換する。いつもの、やりとり。お互いが別のモノを買った時は必ず半分こ。パンだったりお菓子だったり、今のようにジュースだったり。


「・・・そいえば、12月といえばクリスマスだよね・・・」

「・・・今年は禁句だよ、それ」

「去年は楽しかったね・・・」

「そう?最悪だったけど。あのバカが突然来ちゃってさ。せっかくショコと楽しくやろうと思ってたのに」


 頬を思い切り膨らませるユカに、ショコは思わず苦笑する。確かに、去年のクリスマスはショコにとっては楽しく、ユカにとっては最悪だったかもしれない。ユカの家で2人でケーキを作って食べよう・・・とキッチンで格闘しているところに、何の前触れもなくテツヤ――ユカをこよなく愛する男だ――が訪ねてきたのだ。彼を出迎えたエプロン姿のユカを一目見るなり、『ユカちゃんがエプロンしてる・・・』と、鼻血を出し、白目を剥いて倒れてしまった。か弱い――かどうかは甚だ疑問は残るが、彼女たちがそう主張するので、そういうことにしておこう――2人で彼をソファに寝かせるのは、なかなか至難の業だった。そんな騒ぎがあり、スポンジはオーブンに入れすぎて焦げ、生クリームは泡立てすぎてバターになり、デコレーションは失敗し、出来上がったのはもはやケーキとは呼べない代物だった。唯一救いだったのは、目を覚ましたテツヤが『美味しい』と言いながら、決して美味とはいえないケーキ・・・らしきものを全て食べてしまったことだ。


「あの日、三輪くんプレゼントもって来てたんでしょ?あの騒ぎで1年間聞けずじまいだったけどさ・・・何だったの?」

「MD。『世界に1枚だけしかない、特別MDだよ』なんて言ってたけど・・・聞く前にヒロコさんに取られちゃったんだよね」

「じゃあ、三輪くんの愛は届かなかったんだ?」

「届かなくて幸い。ヒロコさんが目一杯受け取ってるから大丈夫だよ」

「・・・ちょっと、可哀想だね」

「全然」

「でも・・・今年も何かやりたいね」

「無理無理。センター近いし。準備にも時間かかるし。勉強が気になって楽しめないよ」

「でも・・・クリスマス会兼勉強会とか・・・」


 ユカの耳がピクリと動く。そして、それを見逃すようなショコではない。心の中でガッツポーズを決め、彼女を誘惑するような言葉を瞬時に探し、耳元でそっと囁く。


「ホラ、ユカだってわかんない問題とかけっこうあるでしょ?部屋の雰囲気はクリスマスになるだけで、やることは勉強なんだからさ・・・良いと思わない?いつもの殺風景な部屋とは違って、気分転換になるかも・・・」

「・・・・」

「草野くんは数学得意だし、田村くんは英語得意だし・・・まあ、三輪くんは応援係で。ジュースとケーキとお菓子くらいでさ」

「・・・・・」

「どう?どう?」

「・・・ショコには負けたぁ!」


 ユカは『降参』と両手を挙げ、ショコに向かって苦笑する。ショコは嬉しそうに顔の前で手を合わせると、『ユカ大好き!』と彼女の首にぎゅっと抱きついた。



 元生徒会役員の2人。決定事項に対しての行動力で右に出る者は、おそらくいないであろう程の速さで勉強用具を片付ける。おそろいで買った色違いのバッグ――アースメイドのトートだ――を持ち、駐輪場に向かう。

「どこ行く?」

「とりあえず天神でしょ。あそこの100均が1番品揃え良いよね」

「了解」


 北風なんかどこ吹く風。有り余る若さ溢れた高校生に、寒さや距離など大した敵ではない。楽しみだね、などと談笑しながら、背中を丸めとぼとぼと歩くサラリーマンの横をびゅん・・・と走り抜けていく。


「どこでやる?」

「クリスマスって・・・土日か・・・土曜日ならウチ、多分大丈夫だよ。ヒロコさん仕事だし、夜はきっと飲み会・・・」

「ヒロコさん、元気だね・・・」

「元気だけがとりえだからね」


 少しうんざり気味のユカと、苦笑するショコ。ヒロコさんとはユカの母親だ。大学で働くバリバリのキャリアウーマン――ユカ曰く『OL(オールドレディ)』とのことだが――だ。仕事好きお酒好き祭好きと三拍子揃っている彼女にとって、クリスマスほど都合の良いイベントはないだろう。世の中『コイビトとクリスマス』『家族でクリスマス』という人間ばかりではない。学問に身を捧げる人の多い大学なら尚更のこと。彼女の性分をわかりきっているユカも、『クリスマスは友達、もしくは1人で過ごすもの』と端から諦めている。余談だが、彼女の父親は数年前、夜釣りをしていてテトラポットから足を踏み外し、帰らぬ人となった。よって藤原家は女性2人で構成されているのだ。

 経済力のない高校生にとって、百円均一は強い味方だ。ワンコインで大抵のものは見つかるし、使い方さえ工夫すれば、それなりに見えたりする。特に、今回のような二度と使わないイベントグッズは、ここで揃えるに限る。駐輪場に自転車を預け、2人は目当ての店の中へと入っていく。目指すはもちろん、クリスマスグッズ売り場だ。


「やっぱりあった!」

「ホントだ・・・」

「前、鳥飼の店で見たんだよ・・・まさか自分が買うことになるとは思わなかったけど」


 ショコはそう言いながら苦笑して、『それ』を手に取る。ベルベッド地――もちろん、品質が悪いのは一目瞭然だ――の真っ赤なノースリーブワンピース。その隣には、赤地に白いボンボンのついたサンタ帽子と、フェイクファーのリストバンド。3つそろえれば・・・サンタギャルの完成だ。クリスマスパーティーは無理でも、せめて記念写真だけは残しておきたいと願う乙女心。そのパーティーに自分の想い人が来るというのなら尚更。そのための300円など、ショコにとっては惜しくない。


「あたしとユカとつくしで、3着買えばいいよね」

「うん。帽子は種類があるんだね。みんな別にしようか?」

「そうだね」

「男の子達は?」

「田村くんは絶対サンタクロース!」


 嬉しそうにそう言い、ショコは大きな袋をぎゅっと抱きしめる。それには『サンタセット』という札がついており、帽子、ひげ、上着、ベルト、大きな白い袋がセットになった500円のものだ。『これは譲らない!』と言って聞かないショコに、ユカは少しだけ呆れ顔。ショコの考えていることはお見通しだ。サンタガールの自分とサンタボーイの田村で、記念写真を撮りたいのだ。こんなことで大親友の望みが叶うなら安いものではないか。


「じゃあ、田村くんはこれね」

「やった!」

「でも、男3人サンタボーイじゃ面白くないよ」

「・・・そだね」

「どうする?」


 そんな2人の視界に入った、別のクリスマス衣装セット。それぞれを手に取り、顔を見合わせてにやりと笑う。


「・・・これ、奴らに似合いそうだね」

「・・・うん、とっても」

「・・・決定?」

「もちろん」

「じゃあ、その方向で」


 ユカが大きな目をキラリと光らせるのは、何かをたくらんだ証拠だ。おそらく、男子陣はこの3セットを見たら、揃って『サンタが良い!』と言うに決まっている。おそらく、そうさせないための秘策が、彼女の頭に浮かんだのだろう。


「あとはお菓子だね」

「招待状も!」

「・・・そういう可愛いものはショコにまかせるよ」

「お任せあれ!」


 とびっきり可愛いの作るからね、とショコは言う。そしてユカは、とびっきり可愛いのは田村くんに渡す1枚だけなんだろうな・・・と思いながらも、『お任せします』と言うのだった。


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