Act4.テツヤの場合


3月14日、晴れ。


「ユーカーちゃん、一緒に帰ろ」


  HRと『サヨーナラ』の号令が終わる寸前、前から6番目−−つまり後ろから2番目という、なかなかナイスな席に座る俺は、教室を飛び出して、一目散に6組へ向かう。そして既にHRを終え、適度にざわつく教室へ飛び込み声高らかに叫ぶと・・・室内が一瞬にして静かになった。俺を見る真ん丸の目、目、目・・・そして、睨み付ける目も。


「・・・一緒に、帰り・・・ま・・・せんか?」


  何かやらかしたか?俺。ただ事ではなさそうな空気を瞬時に感じ取り、様子を伺いながら、それでも同じ言葉を繰り返してみる。もちろん、少し控え目に。けど。


「嫌」


  返って来た返事はたった一言。しかも、かなり冷たい。少し・・・いや、かなりショックだ。でも、ここで諦めるわけにはいかない。特に今日は。


「じゃあ一緒に帰ってください、お願いします」

「だから嫌だって」

「どして?」

「ショコと約束してるから。してなくても断るけど」

「・・・どして?」

「恥ずかしいの、あんたの存在が。隣歩いてたら、あたしまで恥ずかしい存在だと思われちゃう」


  余りに淡々と言うからそのまま流しちゃいそうだったけど、実はものすごくきつい事言ってるよね、ユカちゃん。『存在の否定』されちゃったら、この先どうやって生きてけばいいの?俺。生きる意味を失って、いろんな意味で撃沈。でも、ここで諦めるわけにはいかない。特に今日は。


「今日だけは恥ずかしい存在になってくださいよ」

「嫌」

「お願いします」

「だめ」

「そこを何とか!」

「何言ってもだめ。恥ずかしい存在になりたくないし、馬鹿が伝染するのも嫌」

「あたしの約束はいいから、三輪くんと帰ってあげなよ」


  突如響いた女神の声。振り返ると、そこには何故か楽しそうな表情を浮かべたショコちゃんがいた。・・・何がそんなに楽しいのかは、この際割愛させていただこう。

  親友の、まさかの裏切り発言に、ユカちゃんは目を真ん丸くして、俺とショコちゃんをを交互に見る。ああ、パニックを起こしたユカちゃんもステキだ・・・と声に出したかったけど、日頃の経験から推測すると、拳が飛んでくるのは必至。だから黙っておく。俺だってたまには学習するんだ。


「ちょ、ショコ、何言うの?ってか、一緒に帰ろうって言ったの、ショコじゃない。欲しい雑誌があるから寄り道して・・・って」


  最後はとっても小さな声。それは致し方ない。城南高校は校則で寄り道を禁止しているし、彼女達は、生徒の見本となるべき生徒会役員だ。それなのに寄り道しちゃうユカちゃんが、小悪魔でキュートでまた可愛い。


「うん。でも・・・今日が何の日か思い出しちゃったから・・・」


  ホワイトデーだからね、と、俺をちらりと見て言う。ああショコちゃん!グッジョブ!!思わず親指を立ててぐっと前に出した。


「そんなの関係ないよ。あたし、お返しとか欲しくないし」

「でも三輪くんは準備してるみたいだよ」

「してるよ!俺!!そりゃもうばっちり!!!」


  両手を挙げて声高らかにアピールしてみた。けど・・・ユカちゃんは全く無視。無視は悲しい。けど、それ以上に悲しいのが・・・


「・・・・」


  同情を多分に含んだ、周りの生ぬるい視線だった。『うわぁ・・・あいつやっちゃったよ、あんなポーズ付けたのに思いっきりスルーされてやがる』みたいな。


「ショコ、相手にしなくていい・・・っていうかむしろ見ちゃダメだよ。目が腐る」

「うん、あ、でも・・・」


  複雑そうな表情で俺を見るショコちゃん。いや、ここは助けてプリーズ。見ても腐ることはないから。つか、ここでショコちゃんにまで見放されたら、今日のために頑張ったこと、全部無駄になるから。そんな気持ちを込めてショコちゃんを見る。しばらく俺とユカちゃんを交互に見てたけど、諦めたように息をついて、俺を見て肩を竦めた。『わかった』、ってことかな。やっぱり持つべきものはショコちゃんだ。


「やっぱり三輪くんと帰りなさい」

「そんな・・・」

「ユカは『要らない』って言うけど、でも受け取る義務があるはずだから」

「放棄する権利だってある!!」

「ホワイトデーよりも前にあるのがバレンタインで、それに乗じたのはユカだから・・・そんな権利はない」

「でも・・・」

「たとえあげたのがお得用チロルでも、自分が嫌いで食べ残した種類の寄せ集めだったとしても『チョコレートを渡した』っていう事実には変わりないんだから」


  ・・・今、知らなかった事実が赤裸々に明かされたような気がしなくもないけど・・・まあ、いいか。うん、ユカちゃんがくれたのは、ちゃんとチョコレートだったから。

  理詰めで説き伏せられ、逃げ場を失ったユカちゃん。『嫌なものは嫌!』で我を通すほど子供じゃないユカちゃんは、悔しそうな、困ったような表情−−それもとってもステキ過ぎて、大丈夫だよって言いながら抱きしめたくなった。そんなことしたら明日の太陽を拝めないこと必至だから、怖くて手を出せないけど−−でショコちゃんを見て小さくため息。それから俺を睨んで。


「・・・わかった。ショコに免じて一緒に帰ってあげる」


と、何故か喧嘩腰で言われた。でも、それもハッピーだ。

    



「・・・で?」

「ん?」


  2人並んで校門を出て少ししたところで、ユカちゃんがおもむろにその足を止めた。そして大きくてつぶらな瞳で俺を見る。視線がバチッと合っちゃうだけで・・・ああ、天に飛び立てちゃうくらいに幸せな気分になる。けど、そんな事はユカちゃんには言わない。だって言ったら最後、『飛び立ってしまいなさい。そのまま放浪して、二度と帰ってこなくていいから』なんて、とびきりの笑顔でこの上なくキツイ事言うに決まってるから。で、それを聞いて俺の繊細なガラスのハートに傷が付くのも、また然り。

  突然『で?』と言われても、さすがの俺もわからない。同じように足を止めて首をかしげてみる。仕方ないなあ、とでも言いたげに大きなため息をついて、ユカちゃんは左手をす・・・と出した。

「何くれるの?お返し」

「え・・・」

「ショコに免じて受け取ってあげるから。早く出しなさい」

「・・・今、ここで?」


  ユカちゃん、それは大胆過ぎやしませんか?こんな人通りの多い場所――しかも、通るのは城南生ばかりだ――で。まさか、俺の事試してる?公衆の面前で、どこまで恥ずかしいこと出来るか、とか。しいては、それがユカちゃんへの愛情バロメーターに繋がるとか。


「あんたの恥ずかしさは、城南生全員が知ってるから大丈夫。恥ずかしいエピソードのひとつやふたつ増えたって、今更誰も気にしないから」


  ・・・相変わらず厳しいお言葉。でも、ユカちゃんが気にしないって言うんだったら・・・がんばれ、俺。あと少しだけ、勇気を振り絞れ。

  周りの奴らをジャガイモやジャガイモやジャガイモだと思おう。・・・よし、大丈夫。今なら言える。

  先ずはゆっくりと深呼吸。それから、今日1日、かばんの奥底に入れて大切に持ち歩いてた、滑らかな指触りの小さな巾着袋を取り出す。


「こ、これなんだけど・・・」


紺色のビロード生地の袋。本当はドラマなんかに出てくる、きちんとしたケースに入れて渡したかったんだけど、店員さんに『プレゼント自体よりも箱代のほうが高くなっちゃうから、やめておいたほうがいいですよ』と笑顔で言われ、泣く泣く諦めた。でも大切なのは見かけじゃない。気持ちだけは溢れんばかりにたっぷり詰まってる・・・はずだ。

  『ありがと』と言って、ユカちゃんが袋を受け取る。中身を取り出して・・・怪訝そうな表情で俺を見た。やっぱりこれだけじゃわかってもらえないかな。聡いユカちゃんならもしかして・・・って思ったけど。

  わからないことを責めちゃいけない。仕方ない・・・と、もう一度かばんに手を入れて、こんどはファイルに入れた1枚の用紙を取り出す。


「・・・・・」


  黙って差し出すと、ユカちゃんも黙ってそれを受け取った。さあ頑張れ俺。脳内シミュレーションと昨日の練習通りに!


「あ、あの・・・俺もユカちゃんもまだ17歳で、経済力とか生活力とかそういうものは全然ないけど、それでもユカちゃんを好きとか大事にしたいって気持ちはほんもので・・・」


  緊張で口の中がカラカラだ。舌が回らなくてうまく話せない。でも頑張れ、俺。ここはまさに正念場で見せ所だ。


「だから、今すぐってわけにはいかないけど、せめて将来の・・・って・・・あっ!」


  最後まで言い終わらないうちにアクシデント発生。ビリッという、紙を破る音が響く。しかも、かなり勢い良く。それはもちろん、目の前のユカちゃんの仕業で。


「・・・ユカ・・・ちゃん?」


  破いた紙を重ね、それをさらに縦方向に裂く。その動作を繰り返す彼女の顔に表情は・・・ない。そして俺は、この『表情がない』ってことが、一番恐ろしいって事を知ってる。これは・・・ユカちゃんが本気で怒ってる証拠だ。



「・・・まさか、これがホワイトデーのお返し?」

「あ・・・」

「答えなさいよ、ねえ」

「だ、だって・・・」


  声が震える。今度は別の意味で。でも、でもおかしいじゃないか。一体どこで何が間違ったんだ?だってユカちゃんは『今すぐ手に入れられるものじゃない』って言ったじゃん。それってつまり、『きちんとした愛の結末』でしょ?『確かな未来の約束』でしょ?そう思ったから、直井と一緒に区役所行って、婚姻届けもらってきたのに。しかも日曜日の休日窓口で。その上、婚約指輪に代わるものまで買ってきたのに・・・


「ユカちゃんが言ったのに・・・手に入らないものが欲しいって・・・」

「バンプのライブチケットに決まってるでしょうがっ!」


  ドカン・・・と、最大級のカミナリが頭上に落ちた・・・ような気がした。一瞬、ホントに一瞬だけ周りの時間も空気も何もかもが止まった。通りすがりの学生も皆足を止めて、真ん丸の目でちらりとこちらを見る。さすがの俺も・・・ちょっと恥ずかしい。でも、ユカちゃんはそんなのお構い無しだ。


「あんたの事、バカだバカだって言ってきたけど・・・まさか、ここまでバカだとは想像してなかったのに。無い脳みそ寄せ集めて考えてみなさいよ。あたしが、いつ、あんたの愛情を欲しがったの?あたしがいつ、あんたのその欝陶しいほどに押し付けがましい愛情に感謝したのよ?」

「う・・・」

「あたしがこんなもの欲しがってるって、腹の底から本気で思ったわけ!?」

「・・・・・」


  ・・・耳が、痛い。いろんな意味で耳が痛い。ユカちゃんの甲高い声で物理的に耳が痛くて、ユカちゃんの言葉ひとつひとつが精神的に痛い。

  たしかに、冷静になって――喜ばせたいとか度肝を抜かせたいとか、そんな下心を全部取っ払って考えてみれば、わかることだったかもしれない。俺の気持ちはほぼ一方通行で、そのうえユカちゃんは現実主義だ。1年後のリアルな進学問題に取り組み始めた彼女が、来るのか来ないのかはっきりしない未来を期待するはずが無い・・・って。


「ユ・・・・・」


  これは完全に俺のはやとちり。男らしく謝るべきか。いつの間にか垂れ下がっていた頭を上げる。けれど。


「・・・・・」


  ユカちゃんの姿は既になく、いつの間にかおいてきぼりにされた。周囲を見渡してみてもその後ろ姿さえ見つけなれない。


「はぁ・・・・・」


  落胆の大きなため息。そんな俺に注がれるのは、やっぱり中途半端に同情を含んだ生ぬるい視線だった・・・・・