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 人間、想・・・妄想だけで生きていけたらどれだけ楽か・・・と思うことがある。受験を5ヶ月後に控えた最近では特に。手にした赤本――ある意味、『受験生の友』だ――の表紙に印刷された大学名を見るだけで、脳裏に俺の華やかな大学生活が浮かぶ。大学案内でしか見たことのない校舎の前で、女の子と一緒に歩いてるところとか。彼女の分まで、画材道具一式持っちゃったりしてさ、あー・・・まだ見ぬ幸せっていうんですか?妄想通りになるには、『受験』っていう大きな関門を突破しなきゃいけないことなんて忘れて、すっかり大学生気分だ。憧れの地、東京バンザ・・・


「・・・大兄?」


 赤本掲げて両手をあげて・・・怪訝そうな表情で俺を見る妹の声で、ふと我に返る。辺りを見渡せば、そこは東京ではなく、ましてや大学のキャンパスでもない地元福岡の紀伊国屋書店だ。同じように赤本探しに来た女の子と目が合って、軽く笑われる。・・・ちょっと・・・というより、かなり恥ずかしい、かも、これは。わざとらしく咳払いして、手にする本を元の場所に戻した。


「・・・なんか、相変わらず恥ずかしいよね・・・」

「・・・うっさい、ほっとけ。まだ見ぬ『花の』大学生活を思い描くのは、受験生の特権なの」

「そういう特権は、部屋で1人でいる時に使ってよね。公衆の面前で恥ずかしいことしないでくれる?特に今日は。わかってると思うけど、一応あたしの彼氏なんだからね。あ・た・し・の・か・れ・し」


 彼氏のところに妙なアクセントを置いて言うから、なんかムカつく。何度も言うけど、彼氏じゃないっつーの。でもマトモに相手にしたところで時間の無駄だから、はいはい・・・と適当に流す。


「ね、上行こうよ」

「ちょっと待てよ。俺、これ買ってくから」

「でもこのフロアにいないんだもん。早く探さなきゃ」

「ここにいるのかどうかもわかんないんだろ?いいじゃん、少しくらいゆっくりしたって」

「友達からメール入ったの。コアで見かけたって。それも5分前!だから、本のフロアにいなかったら絶対CDのフロアにいるって!」

「・・・わかった」


 落ち着け・・・と、両手を前に出す。


「とりあえず、これ買ってくるから先に行ってろよ」

「それじゃ遅い」

「遅くないって、少し待て」

「・・・大兄のバカ」


 何を思ったか、妹はそう冷たく言い放つと、俺のみぞおちにパンチをお見舞いした。しかも殴った瞬間にねじるものだから・・・スクリューパンチっていうんですか?かなり痛いんですけど・・・腹抱えてうずくまる俺など振り返ることもせず、肩を怒らせて大またに歩いていく。・・・って、俺、そんなに酷いことしたか?赤本買うのなんて、ほんの2.3分の話じゃないか、それも待てないなんて・・・あいつも相当焦ってるな。ジーンズのポケットからケータイを取り出して時間を確認する。3時半を少し過ぎたところ。天神を出て、他の場所――近所のゲーセンとか、友達の家とか――に移動した可能性もある。早いところ、見せ付けてやりたい・・・って思う気持ちはわからないでもない。・・・仕方ない。早く買って行ってやるか。小さく溜息をついて、目ぼしい――受験しようと思ってる大学のものを2冊取り、レジへ向かった。

 予想通り、購入手続き――とは言わないか――はものの2分で終了。これくらいの時間も待てないなんて・・・と1人悪態つきながら、CDフロアへ続くエスカレータに乗る。そいえば、最近新しいCD買ってないや。欲しいと思うものもないし、最近の音楽ってのもよくわかんないし・・・試聴コーナーで色々聞いてみよう。何枚も欲しいものあれば、田村やテツヤに持ってるかどうか聞いてみればいい。

 とりあえず洋楽かな・・・なんて、邦楽コーナー無視して突っ切ろうとした時、見慣れた背中が目に入った・・・っつーか、妹じゃん。CDを見てるわけじゃなく、男に囲まれてて。ナンパか?それとも肩ぶつけて因縁つけられてるのか?と思って・・・ふと気付いた。ってか、気付かない自分をアホかと思った。そうかそうか、アレが例の奴らか。へぇ・・・と何度かチラ見してみる。妙にニヤけた男が3名。妹は声を荒げて、何か口ごたえしてる。どうやら、あいつから突っ掛かっていったんじゃないみたいだ。向うから声かけられて、ウワサのことでバカにされてる・・・ってのが妥当な線だろう。面倒だから、このまま無視してやろうとも思ったけど、それじゃ何のために天神に出てきたのかわからない。一応、こいつを助けてやるため・・・だった・・・はずだ。


「・・・おい?」


 もっと別の声のかけ方もあったけど、一応、さっき『企画書がある』とか言ってたし。ここは無難に攻めていこう・・・と、とりあえず声をかけてみる。その声に反応した妹他3名。すっごい目つきで振り返ったけど、俺の顔見て急にホッとした表情になって。・・・いつもこういう顔すりゃ、可愛いと思うんだけどなぁ・・・『お兄ちゃん便りにしてるぅ!』みたいな。・・・まあ、こいつにそれを求めるのは無駄だけど。


「お・・・・」


 いつものように、『大兄』と呼ぼうとしたみたいだけど・・・ココでその呼び方はヤバイと、瞬時に判断したんだろう。一瞬言葉を詰まらせてから、『王子』と、ワケのわからない呼び名で俺の腕にしがみついた。一瞬トホホ・・・と腰砕けになる。必死に取り繕った努力は認めるけどさ・・・


「・・・お前、それはないだろ・・・」



 思わず、口から零れた。こいつもしまったと思ったのか、一瞬口をつぐんで、でも必死に立ち直る――この場合、『立ち直る』って言葉が適切かどうかはわからないけど。


「だって、この人たちに変なこと言われて気が動転してたんだもん・・・」


 俺の腕をぎゅっと抱きしめて――その仕草が非常に乙女っぽくて、普段とのギャップに一瞬気持ち悪くなってしまったことは、今はナイショにしておこう――3人組をちらりと見る。俺も同じようにそいつらに視線を移す――なるべく、不審そうな視線を意識した――と、3人は気まずそうに、お互い顔を見合わせた。さっきの予想は当たってたんだろう。こいつらが、俺の可愛い彼女――もどきの妹をいじめた奴らね。もっといじめてくれ・・・じゃなくて、よくもまあ、俺の可愛い――以下略――に、いやな思いをさせたっつーか、俺に珍しいものを見させてくれたっつーか、ビミョーに感謝の念すら産まれてくるのは、きっと俺の錯覚じゃないはず。


「・・・こいつに、何か用?」


 つかまれた腕をくい・・・と引かれたから、とりあえず何か言って欲しいんだろうと思った俺は、とりあえず、1番無難な言葉を選ぶ。突然そう言われた3人は、やっぱりさっきと同じように顔を見合わせて・・・その中の1人――1番顔立ちの整った奴だ。おそらく、妹にこっぴどく振られたのはこいつだろう――が『別に・・・』と小さな声で言った。それを見逃すような妹じゃない。急に声のトーンを上げて、わざとらしく、『さっき言ったでしょ?彼氏いるって』とそいつに向かって言う。はあ、やれやれ・・・だ。そいつらは一瞬驚いたように目を真ん丸くして、次に忙しなく周りを見始めた。明らかに動揺してる。妹が言った通り、俺とこいつが兄弟だなんて疑うような素振りは一切見せず、ただただばつの悪そうな表情を浮かべるばかりだ。

 そのうち、おそらく妹に振られたと推測される奴が、何か捨て台詞を吐いて――あまりにも小さな声で、俺の耳まで届かなかった――他の2人を促す。軽く頷いて、3人は足早にその場を去った。去り際も、妹は相変わらず俺の腕をぎゅっと掴んだまま『次の練習試合でー』なんて俺に見せたことのない笑顔で手を振ったりして。こいつからすれば『してやったり』って感じだろうし、向うからすれば『思わぬ反撃』というところだろう。そして俺からすれば『ようやくお役ご免』だ。奴らの姿が見えなくなってから、これで解放される・・・と大きく息をついて、落としていた視線を上げる・・・と。


「・・・・・」


 息が・・・じゃなく、心臓が止まるかと思った。だってそこには、さっきの中学生3人組よりももっと大きく目を見開く牧野サンがいたから。大きな目で俺をじっと見つめてたから。

          



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