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 俺の記憶が確かならば、生まれて・・・というか、物心ついてから、妹の『本気で怒った顔』というのを見たことがない。普段、ちょっとしたことですぐに腹を立てたりケンカしたりする俺や弟を、いつも冷たい・・・というよりも、興味のない視線でチラッと見るだけだし、たとえ何か良くないことが自分の身に起きたとしても、『ま、人生色々あるから、仕方ないよね』などと、大人びた表情――本当に大人のような表情で、深くため息をつくだけだ。時々――本当に指を折って数える程度しかないけれど――怒りをあらわにすることもあるけれど、大抵の場合それは数秒しか持続せず、『怒った!終わった!』という感じできれいに昇華されてしまう。・・・ってか、怒った姿だけじゃなく、こいつが感情あらわにしてるのって、本当に珍しいことかも。




「・・・あ、ゴメン」


 不意に我に返った妹が、頬を赤くして目を逸らす。いえいえ、謝ってもらわなくても結構です。こっちも珍しいもの見させていただきました・・・と言いたいくらいだ。こんなに不機嫌なあなたの顔、今までに見たことがありませんよ。と、脱線はここらで終わりにして、そろそろ本題に戻そう。告白して振られたんなら怒るのも分かるけどさ、何で断ったほうが怒ってんの、という疑問を妹にぶつける。


「だって腹が立つんだもん」

「どして?」

「あいつ、振られた腹いせに、原中で『原北の草野に告られたけど、振ってやった』とか言いふらしてんだよ」

「・・・ほぉ」

「日曜日、また原中で練習試合あって、終わった後ボールとか片付けてたら、原中の2年の女子に呼ばれてさ・・・何かと思ったら、そうやって言われた」

「・・・そりゃ災難なことで」


 まあ、大人気ないし卑怯だし男らしくないけど、そういう行動に出てしまった相手の気持ちもわからないでもない。特に、そいつがカッコいいからって、周りからもてはやされてるなら尚更。きっと、自分が振られるなんて夢にも思わずに告白したんだろうなぁ・・・でも、見事に玉砕。そりゃぁプライド傷つけられただろう。可愛さ余って憎さ百倍・・・じゃないけどさ、そんな気分になっても仕方ないよな。でも、もしもそいつに会えるなら、俺は声を大にして伝えたい。『こいつにフツーの女の子を求めるな』って。だって、ふかわりょうだもんな・・・


「最初、何のことかわかんなかったんだけど、途中で合点がいって・・・『違います』って否定しても、全然聞いてくれないの。最後には『あんたみたいなチビが告白するなんて、10年早すぎる』とか言われて・・・せめて100年にしろっつーのね。10年じゃ短すぎて、妙にリアルだっつーの」


 っておい!突っ込むところはそこなのかよ!って、俺も突っ込んでる場合じゃなかった。とりあえず、今は黙って話を聞こう。


「まあ、それだけだったら仕方ないかなー・・・とも思ったんだけどさ、あたしが振ったわけだし、きっと悲しかったんだろうな・・・って分かるし。でもさ、昨日学校行ったら、原北中にまでそのウワサが広まってて。先輩には呼ばれるし変な文句言われるし、男子にはバカにされるし、どれだけ真剣に否定しても、尾びればっかりついてウワサは広まるばっかだし。今日になっても冷やかされるから、いい加減腹が立った」

「で、ガッコで暴れたの?」

「そんなわけないじゃん。ただ、ムカついた男子数人に頭突き食らわせて泣かせたくらい」


 ・・・そういうのを、巷じゃ『暴れた』って言うんですよ、あなた。その後、『泣かせたのがばれて職員室呼ばれて先生に怒られた』と彼女の話は続いた。要するに、その男が嘘ついたせいで、迷惑被って大変なわけね。理由のない言いがかりをつけられ、好奇の目で見られ、からかいの的になり、しかも自分のプライドも傷つけられて。ここまで話を聞いて、なーんか、からくり・・・というか、先が読めた。要するに、そいつに仕返しがしたいわけだ。で、日曜日に天神界隈にたむろしてるから、そこに行って何かしてやりたい・・・と。でも、1人で行ってやり返されたら堪らないから、俺はそのための用心棒ね。


「そいつに何してやるつもりなの?得意の頭突き?それとも真空回し蹴り?」


 でも、用心棒なら数が多いに越したことはない。もしかしたら――もしかしなくても、相手は複数人でたむろってるから、俺1人じゃ太刀打ちできないかもしれない。じゃあ、やっぱり田村を誘おうかな・・・なんて考えてたら。


「・・・はぁ?」


 と、プロレスラーっぽい恰好でお茶の間を沸かせる女ピン芸人よろしく、声を裏返らせて言う。・・・なんか、ムカつく。そんな俺の心情を知ってか知らずか、妹は眉間にしわを寄せたまま言葉を続けた。


「まさか、暴力で仕返しするとか思ってるわけ?そんなの無理に決まってんじゃん。あたしは女で、相手は男だよ?しかも、休みの天神に1人で遊びに行くと思う?テニス部が集団でたむろってるでしょ」


 自分が中学生だったときのこと、考えてよ!と言われ、その通りにしてみると・・・確かに。西新なり天神なり、日曜日はよく遊びに行ってたな。クラスの奴らとか、部活の奴らとか。メンバーはいつも違ったけど、必ず複数人数だった。しかも、2人とか3人とか可愛いものじゃなく、7人とか8人とか。よくはぐれなかったし、よくケンカにならなかったよな・・・今は、そんな大人数での団体行動、できればご遠慮したい。


「あたしだったら、休みの日に1人で天神ぶらついてる人お断りだね」

「ふかわりょうでも?」

「・・・それならいい」


 もう、ふかわりょうネタはいいや。ついでにこいつの男の趣味も。と、ここで話は原点に戻るわけだ。こいつが俺に天神へ連れて行って欲しい理由。ヒントは、『原中の男に告られ振ったら、自分が振られたことになってた』と。そこから導き出せる答えは・・・


「だから、最初から言ってるじゃん。あたしを天神に連れてってくれたら・・・っていうよりも、一緒に天神に行ってくれればいいって」

「で、どうするの?」

「そいつら探すの」

「その後は?」

「奴の前を通るときに、大兄の腕をぎゅっと組んで、笑顔でそいつを見てやるの」

「・・・は?」

「それはそれは幸せそうに『にこー』って」


 ちょっと待て。何故こいつが俺の腕をぎゅっと組む。そして相手に向かって笑うのだ。思考回路をフルに回転させて、そして行き着いた答えは・・・あまり当たっていて欲しくないけど、これしか思い浮かばない。


「・・・あんまり口に出したくないし、できれば外れてて欲しいと思うんだけどさ・・・もしかして、お前、俺に『彼氏』の役やれ・・・とか言ってる?」

「うん」


 さらりとうなずく妹に、思考回路が一気に停止する。俺が?こいつと?腕組んで天神歩いて彼女?俺は彼氏でこいつが彼女?血がつながっていればそれは『近親相姦』という名の犯罪であり、しかしそれ以上に俺はこいつを愛してるわけじゃない。こいつだって俺を愛しているどころか、兄として恥ずかしいと思っている恐れもあるわけで。それに今日の宿題は数学が全問で過去形が未来形になり紫式部の源氏物語でFOMAのケータイと21世紀のドラえもんがががががピー・・・


「・・・大兄?」


 肩を数回叩かれ、我に返る。不安そう・・・というより不信そうな表情で俺を見る妹に、何か、何か反論しようと言葉を捜すのだが・・・如何せん、未だ止まりかけた脳では、適切な言葉をつむぎだすことができない。分からなかった謎がさらに深まった。一体、彼女は俺に・・・いや、復讐劇に何を求めているというのだろう。その事実は、もう少しだけ頭が働き始めたら、分かりやすく且つ簡潔に語ってもらうとしよう。


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