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「まさか教壇の上でねぇ・・・」

「あれほど口うるさく言われてた御法度を破るとはねぇ・・・」


怒涛の朝補講終了後・・・クラスのヤツ等の刺々しい言葉と視線が、背中に胸にグサグサと突き刺さる。もちろん、ノート覗き見事件が発端の宿題のせいだ。俺が余計なことしなきゃ、大量の問題――補講終わってから数えたら、微分積分練習問題応用問題『入試にチャレンジ問題』、全部合わせてゆうに50問はあった――解いてノート提出なんて、面倒なことしなくて済んだのに、と。しっかし。他の勉強もあるのに、あいつマジで50問やって来いって言ってんのか?どうせ冗談だからやらなくても大丈夫だろ・・・と一瞬思ったけど、その考えは即座に捨てた。他の奴らに対してはそうかもしれないえど、この原因を作った張本人である俺が、『やってこなかった』『ハイソウデスカ』で見逃してもらえるとは到底思えない。・・・っつーことは、やっぱり来週までに50問?


「あのセンセ、黒板に解答書かせるって分かってるくせに、宿題やってこないんだもんな」

「なのに1番前の席でやる気ない態度見せちゃうし」

「それでもって当てられても解けないって、嫌がらせの確信犯?」

「僕達、良いクラスメイトを持って幸せだなぁ・・・」


 腕を組んで大げさに頷いて。・・・お前らこそ嫌がらせの確信犯か?


「・・・あの程度の問題、解けないはずないじゃん」


あんな簡単な問題を『解けない』と誤解されるのは、自称『数学得意』の俺にとってはかなり痛くて。思いっきり反発してみるけれど。


「じゃあ何で直井のノート覗いてたんだよ?」


と田村に突っ込まれ、あえなく玉砕。ああそうさ。牧野サンが余りにも不自然に目を逸らすから、すげー傷ついたさ。傷ついたついでに頭ん中真っ白になって、解けるはずのものも解けなくなっちゃったさ・・・とオオミエ切って言えるはずもなく。結局『ごめん』と謝りながら頭を垂れるしかないのだ。
朝課外が終わってから崎やんが教室に来るまで少し時間があるから、それを利用して平井の席周辺へ集まるクラスの奴ら。もちろん、平井級長のノートを求めて・・・である。勉強大好き、目指すは京大目指すは弁護士・・・の平井なら、全問・・・とは行かなくとも、半分はやってあるだろう。数学だけでなく、他の科目の勉強にも日々追われている――日頃の努力が足りない、といわれればそれまでだが――似非受験生としては、是非平井氏のノートをお借りしたいのである。が、そう考える奴は俺だけでなく・・・普段は真面目な田村まで、ちゃっかりいるではないか。まあ、無理もないけど。田村は数学苦手だから。


「・・・で、何、お前ら。人の机囲んじゃって・・・」


 輪の中心人物は、どうやら事態を理解できていないようだ。目を丸くして首かしげて、俺を筆頭とした男子陣をぐるりと見渡した。『宿題復習は当たり前。予習も毎日しっかりしましょう』が完全に体に染み付いてる平井にとっては、俺らが内心穏やかじゃないことなんて、想像もつかないんだろうな・・・と考えつつ、全員で両手を出し『頂戴』のポーズをする。


「・・・何を?」

「数学のノート」

「何で?」

「来週中までになんて全問解けないから」

「・・・解けよ」



 平井は怪訝そうな顔で俺たちを見る。・・・なんだよ、そのヒトじゃないようなものを見るような視線は。っつか、平井の言い分もわからないではない。『自分の力でやるから勉強なんだろ?』と。でも、いくらそれが正論でも・・・世の中正論じゃ渡っていけない時もあるんだよ!・・・と、その場にいた奴らは全員そう思ったらしく、口をそろえて『無理!』と言った。・・・なんか、びみょーな協調性が・・・ちょっと嫌だ。


「っつか、平井くんどれくらいやってあるの?」


 直井からの素朴な疑問。うん。それは俺も聞きたい・・・っつーか、おそらく半分程度、良くて残り数問・・・ってところだろうなと予測したけど。


「どれくらい・・・って、とりあえず、このテキストの問題はどの単元も終わらせてあるけど・・・」


 という、平井の言葉に、俺たち『ノートくれくれ団』――ネーミングセンスのかけらもないな――は、一同目を丸くして奴を見る。全部って、全部って・・・そりゃおかしいだろ、平井くん。朝補習じゃ、まだ2年生の復習やってるんだよ?それなのに、数UBのどの単元も終わらせちゃったって・・・そりゃ人間業じゃないよ。平井はトーゼン・・・という表情で、『だからお前らにもできるはずだ』なんて言って俺らを追い払おうとする。

 そこを何とか・・・と奴の学ランの袖を引っ張りながらお願いしてる――なんか、傍から見たら気持ち悪い図なんだろうけど――途中で教室の扉が開いて。『HR』はじめるぞー・・・と崎やんが入ってきた。ここでお願いは一時中断。『ノートくれくれ団』は舌打ちしたり、肩を落としたりしながら自分の席へ戻る。しかし、今日1日かかってでも、何としても平井のノートを手に入れるべきだ。そしたら、あの忌々しい数学の宿題から逃れられることは必至。・・・なんて、受験生にあるまじきことを悶々と考えながら、席について崎やんの連絡事項を右耳から左耳へと流していく・・・けど。


「今日、三者面談時間希望表の提出日だぞ。これを元に、三社面談の時間決めてくからな・・・まあ、今から回収するか。書けてるやつは前に持って来い」


 という言葉に、俺ははっとする・・・てか、用紙どこにやったっけ・・・そうだ、そうだよ。牧野サンとの野球や昨日のことですっかり忘れてたけど、今日提出日なんじゃん。うわー・・・やってしまった。もう、顔面ソーハク状態だ。今からかばんの中身ぶちまけて用紙を探すか、それとも『忘れました』と正直に告白し、職員室に用紙をもらいに行くか・・・いや、それは勘弁したい。わらわらと立ち上がり、崎やんに用紙を渡していく奴らを尻目に、1人で大慌て。探しても見つかる可能性は低いけど・・・職員室で櫻井センセの説教聞くのは絶対に嫌だ!と、頭を抱えたそのとき。


「センセ、まだ書けてないんですけど、提出って昼休みでもいいですか?」


 もう、神の声にしか聞こえなかった。スペシャルビューティホーなプリンス直井!持つべきものはやっぱり直井だ!そして崎やんの『いいぞ』という声に、心の中でガッツポーズ。三者面談時間希望表を集め終え、一旦職員室へ戻る崎やんが教室を出たのと同時に、直井の机へ瞬間移動。

「ねえ直井くん」

「・・・なんだよ。今日、草野に関わるといいことないんだけど・・・」


 怪訝そうに顔をしかめて、心底嫌そうな顔をする。・・・って、そこまでロコツに嫌がることないじゃん。という本音は隠して、『三者面談時間希望表をコピーさせて』と可愛くねだる。

「なんで?」

「忘れたから。でも職員室にもらいに行ったら、絶対櫻井センセに怒られるから」

「・・・おまえ、バカ?」


 ん?どっかで聞いたセリフだけど・・・あえて無視しよ。お願い・・・と両手を顔の前で合わせながらねだると、俺の顔の両脇から、2本の手がすっと出てきた。あまりに突然だったからすごく驚いて。きょろきょろしながら振り返ると、そこには含み笑いの田村と平井。


「・・・何、その手」

「いや、さっきの続き。場合によっては、ノート貸すの考えてやってもいいかなー・・・なんて」


 差し出した手をひらひらと振りながら平井が言う。それを見た直井がにやりと笑って、同じように手を差し出した。『俺も、場合によってはコピーさせてやるぞ』だってさ。流石の俺でもわかった。つまりワイロをよこせ・・・と。


「特に俺なんて、数学のノート覗き込まれた上に、センセに痛い愛のプレゼントもらっちゃったしー・・・草野のせいだしー・・・」

「俺も、草野のせいで朝から変な女にからまれたし。いい迷惑だったよな・・・」


 っておい!田村!お前もか。反論したい気持ちがむくむく湧きあがって、大きな声で言い返そうと思ったけど。


「・・・わかったよ。次の休み時間に購買行ってくる・・・」


 結局、頭をたれてうなだれるしかないのであった。


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                  BGM♪スピッツ:ハチミツ