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 涙を流して笑い転げる2人と、微妙な気持ちで右手の傷を見つめる俺。まさか、むしゃくしゃして殴った下駄箱が、そんなことになっているなんて。俺が殴ったせいで、不特定多数の1年生がそんな被害を被っていたなんて。きっと木屑や何やらで、だめになった靴もたくさんあるはずだ。そういう奴らは、きっと上履きで帰ったりしたんだろうなー。で、家に帰って親に『何でそんなもので帰ってくるの?!』とか言われたりして。それ以前に、上靴履いて校外歩きたくないよな。すれ違う人、絶対不思議襲そうに振り返るよな。可哀想なことをした・・・と思う反面、そんなやわな下駄箱使うなよ・・・と、学校側に八つ当たり。経費節減とかで、必要なものもケチるからこういうことになるんだよ。・・・まあ、自分がやったことは棚に上げてるけど。

 ってかさ、今日って俺の可愛そうな失恋話聞いてもらうために、ここに来たんじゃないの?それなのに、どうして俺が笑いものになってるわけ?しかも、牧野サンと全く関係ないところで。手の傷だって、本当なら心配してもらっても良さそうなんだけど。奴らの態度が気に入らなくてむっとしてたら、それに田村が気付いて。少しばつの悪そうな表情して、わざとらしく咳払い。


「テツヤ、お前笑いすぎ。今日は草野の話聞くんだろ。お前も、そのために残ったんだろ。まじめに聞く気がないならもう帰れ」


 おい、お前がそれを言うか・・・しかも、テツヤは単純な上に素直だから。

「あ・・・そうだった。ゴメン」

なんて、上手く田村の口車に乗っちゃった。・・・ま、いいけどさ。

「・・・で、牧野サンだよな」

「うん」

「付き合ってた奴がいて、嫌な別れ方した・・・か」


 俺たちには難しすぎるな、と田村が苦笑する。確かにそうだ。誰とも付き合ったことがない俺たちに、好きな奴と別れたときの気持ちなんて想像できない。牧野サンのように無理やり引き離されたとなれば尚更のこと。


「お前のことは、なんか言ってたの?好きとか、嫌いとか・・・」

「俺、いつでもユカちゃんのこと好きだよ」


 やっぱり、どこか頭のねじが緩んでるテツヤの話は聞かなかったことにして、田村の問いに、牧野サンの言葉とおり答える。『好きになれない』じゃなく『好きにならない』と言われた・・・と。


「好きにならない・・・ね」

「一文字変わるだけで、意味が180度くらい変わっちゃうね・・・・」


 俺、ユカちゃんに言われるなら『好きになれない』の方がましかも・・・と、やっぱり自分本位で発言するテツヤ。しかし、お前もそうか。やっぱり後者の方がきついか。


「・・・まあ、想像の域でしかないけどさ・・・」


 肩肘ついて寝そべっていた田村は体を起こし、床に置いたコーラを一気飲みする。そして、いつになく神妙な面持ちで俺を見た。


「お前が親友だから・・・とかじゃなくて、普段の生活を客観的に見て、牧野さんは絶対お前のこと嫌ってないと思うんだよな。むしろ、好意を持ってるくらい」

「・・・なんで」

「俺ら、席となりだろ?授業前とか、授業後とか、結構話するんだけど・・・」


 知ってるよ、それは。チャイムが鳴って席について、でもセンセがまだ来ないときとか、すげー楽しそうに談笑してるもんな。悔しくてうらやましくて教室の後ろばっか気にしてる俺のこと、お前知らないだろ。ってか、ホントは知ってて知らないふりしてるだろ。


「話す内容は、ほんとにくだらないことなんだけど、その中でもお前の話って結構出るんだよ。彼女から切り出すこともあるし、俺から言うこともあるし」

「・・・お前、牧野サンに何言ってんの?」

「え・・・」


 一瞬、田村が言葉に詰まる。表情も『ヤバいっ』って顔になって・・・なんか、想像できるよ。どうせ俺がやらかしたとんでもない失態話してんだろ。1年のとき、音楽の歌のテストで緊張していきなり声裏返らせたとか、2年のとき、家庭科でなれない包丁握って、いきなり指切ったとか、そんなこと言ってるに決まってる。なんつーかさぁ、小学校からの腐れ縁で、一応『親友』やってる割には冷たくありません?もうちょっと俺を大事にしろよ・・・

   

「ま・・・まあいいじゃん、今はそんな話してるわけじゃないし。だから、授業前とかでさ、お前の話が出るんだって」


 恨めしさ全開の視線で奴を睨む。ごまかそうとするというか、お茶を濁そうとするというか、引きつった笑顔で俺の肩叩きながら、ほぼ空に近いグラスにコーラを注いだ。・・・これでチャラにしようって?そりゃ無理な話だろ。今日は無理だとしても、いつか絶対このオトシマエは返さなきゃ・・・だ。


「牧野サン、お前の話するとき楽しそうなんだよな・・・そりゃ、あからさまに・・・ってワケじゃないし、多分彼女自身気付いてないんだろうけどさ・・・いつもより少しだけ、テンション上がるって言うか眼がキラキラするっていうか・・・なんとなく、分かるだろ」

「分かるわけねーじゃん」


 俺、実際話してないんだし。ってか、どんな例えだよ、『目がキラキラする』って。少女マンガじゃあるまいし。ボキャブラリ貧困な田村――奴の名誉のために言っておくが、普段はそんなことない。きっと俺にイタイとこ突っ込まれて、焦ってるんだと思う――に、思いっきりわざとらしいため息を吐いてみる。嫌味100%と言っても過言じゃない。憮然とした表情のまま田村を見てたら、そのうち、奴の表情も戦闘モードになってきて。・・・ここらでやめとこ。いつかのマックみたく、逆切れされたら困るから。

 注いでくれたコーラに、礼を言いながら口をつける。そうしたら、今まで黙って――というか、相手にしてもらえなかった――テツヤが、遠慮がちに『あのさ・・・』と口を開いた。テツヤと『遠慮』という言葉はあまりにもかけ離れているから、俺も田村も一瞬戸惑って、テツヤを凝視した。でも、奴はそんなことにお構いなしに言葉を続ける。


「俺もさ・・・つくしちゃんは、マサムネのこと嫌いじゃないと思うんだよね。むしろ好き?みたいな・・・俺は田村みたいに、マサムネとずっと一緒にいるワケじゃないし、つくしちゃんのことも、それほど知ってるわけじゃないけど・・・でもさ、男の勘が心の中で叫ぶわけよ、『つくしちゃんはマサムネを嫌いじゃない!』って」

「・・・ほぉ」

「・・・はぁ」


 何だよ、その『男の勘』って。聞いたことないぞ、と突っ込もうかと思ったけれど、らしくなくテツヤがまじめだったから。奴は奴なりに俺のこと考えて言ってくれてるのかな・・・って思ったら、なんか嬉しくなっちゃってさ。そんな無粋なことできなくて。


「つくしちゃんと一緒に出かけたり、マサムネとつくしちゃんが並んでるところ見たのもそんなにないけど、でも、一緒に居るの楽しそうだと思うしさ、何より、本気で好きになりたくないと思ってるんだったら、一緒に野球行ったりしないと思う。口ではそんなこと言いながらも、でも一緒に行っちゃうっていうのは、心のどっかでマサムネのこと好きだ・・・・って思う気持ちがあるんだよ・・・」

「テツヤ・・・」


 ちょっと、テツヤのくせして良いこと言うじゃん!俺、本気で今嬉しかった。ってか、男の友情ってけっこう良くない?田村も――まあ、気に入らないところは多々あるけれど――テツヤも、本気で親身になって考えてくれてさ。・・・この際、下駄箱事件は忘れてやっても良い。俺って良い友達持ったよな。すっげー幸せだよな。マジで。

 ・・・と思うけれど、平穏な時間は長く続かない、と言うのが鉄則だ。今回も例外ではなく。部屋の扉をノックする音がして、おばさんが顔を覗かせた。手には電話の子機。


「あんたに電話」

「・・・誰?」


 電話を受け取りながら、田村が怪訝そうに聞く。そりゃもっともだ。ケータイデンワという便利なものが普及するこのご時勢、自宅に電話がかかってくるなんて滅多にない。特に、それが学生である場合は。


「女の子。ほら時々かかってくるでしょ?奥田さんって・・・」

「ほぉ」

「げ・・・」

「・・・マジで?」


 三者三様の言葉が同時に響く。でも、きっと表情はみんな一緒で。俺らをぐるりと見たおばさんは、驚いた様子で目を丸くし、そして面白そうに笑った。


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