79

「こんばんはー」


 風が気持ち良い・・・というのはほんの一瞬。田村とは小学校からの腐れ縁。ってことは家が近い。歩いても5分かかんないんだから、自転車だったらものの2分だ。ちょっと残念に思いながら、家の前に自転車を停める。一応鍵をして――弟のだから、万が一盗まれたらうるさいことになりそうだ――チャイムも鳴らさずに玄関のドアを開ける。2階へ続く階段を素通りし、リビングと繋がるキッチンに顔を出すと、おばさんが『いらっしゃい』と笑った。


「マサムネくん、ご飯食べてくでしょ?」


 今日のメニューは天ぷらよ・・・なんて言うから、思わずバンザイをする。おばさんが作るアサリと葱のかき揚げ、最高なんだよな。ちょっと出汁が混ぜてあって、ほんのり味がして。出てくるとき、かすかにたまねぎを炒める匂いがしたから、ウチの献立はおそらくシチューかカレーだろう。なら、田村家でお呼ばれしたい感じである。この家での『遠慮』なんてものは当の昔に捨てちゃってるから、図々しくも『いただきます!』なんて、大きな声で返事をしてしまった。でもふと我に返って。


「でもいいの?俺が食べちゃっておじさんの分なくなったりしない?」


 なんて聞いてみる。いや、一応だよ、一応。遠慮する気なんてさらさらないけど。


「大丈夫。たくさん作るし、おじさん朝から広島行ってて、明日まで帰ってこないから」

「ああ、姉ちゃんのとこ?」


 と言ってから、しまったと口を押さえた。姉ちゃんのことはまだ禁句だったかも。一応、おばさんたちも落ち着いたって田村から聞いたけどさ。でも、俺の思惑――と言うのかどうかはわからないけれど――とは裏腹に、おばさんはからからと笑いながら『そんな、慌てなくてもいいわよぉ』と言った。


「どうせあの子から聞いたんでしょ?あの子、マサムネくんには何でも話すから」

「・・・うん。まあ」

「わたしがおばあちゃんになっちゃうのよ?信じられる?」

「・・・ちょっと、無理」


 確かに信じられない。まだまだ若々しいおばさん。孫とは・・・。

 思ったままを言っただけなのに、おばさんは『お世辞でも嬉しいわぁ』なんて言って、俺に小さなお盆とグラスを2つと、コーラのペットボトルを持たせた。


「ご飯できたら呼ぶから、それまで適当に遊んで・・・勉強しててね。受験生らしく」

「・・・はーい」


 勉強する気は全くないけれど、とりあえずは返事しとかなきゃ・・・だ。一応受験生だし・・・ってか、もう10月なんだよね。センター試験まで、あと3ヶ月なんだよね・・・ホントはこんな風に惚れた腫れた振られたとかって、一喜一憂してる場合じゃないんだよね。今更自分が『受験生』だということを再認識して、再びドツボ。受験生が振られるって、なんか縁起悪くない?まさか、志望校にも振られ・・・いやいや、この先は敢えて言わないでおこう。口に出したらホントに実現しそうだから。

 リズミカルに階段駆け上がって、田村の部屋No,1――かつて姉ちゃんが使っていた部屋を、姉ちゃんの大学進学と同時にもらったらしい――をノックする。ちなみにNo,1は勉強・遊び部屋、No,2はリラックス・寝室だ。みんなで集まるのは大抵No,1だけど、時々No,2にもお邪魔する。・・・とまあ、どうでもいい話はさておき。部屋の中から『あいよ』という声が聞こえたので、ドアを開けて『ご注文の商品をお届けに参りました』とコーラを差し出した。


「・・・バカ?」

「・・・そりゃないだろ」


 心底呆れた表情でコーラの載ったお盆を受け取ると、田村は思いっきりわざとらしく溜息をついた。部屋の真ん中に置いてあるテーブルには、しっかりと教科書とか参考書とか問題集とかノートとか広げてあって。何も持ってこなかった自分に少し焦ってみたりする。


「・・・勉強してたの?」

「受験生が、他にすることあるか?」

「俺、何も持ってこなかったんだけど・・・」

「お前、落ちるな」


 受験生への禁句を何の躊躇もなく口にした田村の頭を、ゴツンとグーで殴った。もちろん、弟のときみたく本気じゃないけど。でも田村は全然悪びれてなくて、『ホントのこと言われて腹が立ったか?』なんて憎まれ口を叩く。


「お前が来たからもうやめるよ。ってか、顔色良いじゃん。家帰って寝た?」

「あ・・・まあ」


 牧野サンの隣人宅で寝てました・・・とは言えず、あいまいに頷く。まあ、寝て気分がよくなったことは事実だから、全くのウソとは言えまい。田村の正面に胡坐をかいて座ると、テーブルの上のコーラを一気飲みする。おそらくペットボトルを開けたばかりであろうそれは、炭酸がしっかりきつくて。コーラ大好きの俺にしては珍しく、咽てしまった。


「・・・何?珍しい・・・」


空になったコップに、田村がご丁寧にコーラを注いでくれた。ゲホゲホとむせながらも、ここは人としてお礼を言っておこう。


「ありがと・・・ってか、思ったより炭酸がきつかった・・・」


 ウチの冷蔵庫にもコーラが常備してあるのだが、それを一番飲むバカ弟は、時々しっかりフタを閉めることを忘れるのだ。よって、すぐに気が抜けてしまう。『ペットボトルのコーラ=気が抜けてて美味しくない』が常となっているこの身には、嬉しい裏切りだったりする。


「・・・でさ、どうしたんだよ?」


 唐突の話題転換。田村を見ると、奴はグラスを持ったままわざとらしく天井なんて見ちゃって。心配してくれてるのはわかるし、嬉しいと思う。けど、その口車に早速乗ってしまうのは少し癪だ。俺もわざとらしく、『何が?』なんて言ってみる。


「・・・お前、友達甲斐がないな。どうしたっつったら、どうしたしかないじゃん。朝の顔色の悪さといい、藤原さんへの突っ掛かり方といい、テツヤにまで憎まれ口叩いちゃって。全然お前らしくなかったぞ」

「・・・・ま。ね」

「らしくなかったと言えば、牧野さんも一日可おかしかったしさ。いつも通りっぽくはあるんだけど、突然暗い表情で溜息ついたり、朝あんな事件があったのに、おまえのことには意地でも触れようとしなかったり・・・」

「・・・・まあ・・・ね」

       

 そりゃ、そうか。牧野サン、俺の顔色が悪い理由も、珍しく他人に突っ掛かる理由も全部知っちゃってるわけだし、それ以上に原因が自分だってこともわかってるんだから。関係のない第3者までとばっちり受けちゃってるんだもん、気にしないわけがないよな。


「・・・なんかね、俺もわかんないんですよ」

「・・・何が?」

「昨日あった事とか、牧野サンが何考えてるのかとか・・・」


 相変わらずぐちゃぐちゃの頭で考えながら、ゆっくりと言葉を探る。いくら親友田村とはいえ、言っちゃいけないこともたくさんあって。どれだけ秘密にしながら、どうやって俺の気持ちわかってもらおうか・・・って。


「結論から言うと・・・・」


 そこまで言うと、ものすごい音で階段を駆け上がる音が聞こえる。この音はどこかで聞き覚えがあって。田村もきっとそう思ったのだろう、目を見開いて、俺の顔を見た。


「・・・なんか、話を複雑にする奴が来たな」


 その言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。


     NEXT→

               BGM♪スピッツ:ラズベリー