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「・・・で?」


 温かいそうめん――にゅうめんと言うらしい。亜門に教えてもらった――をずるずるとすすりながら、亜門が俺をチラリと見る。意味がわからなくて、というよりも、何故そんな風に返されたのかわからなくて呆気に取られた俺は、持っていた七味のビンを、思わずどんぶりの中に落としてしまった。


「何やってんだよ・・・」


 急いで救出してみたものの、大きめの穴からは大量の赤い粉がどんぶり内に流出し、出汁はすっかり夕焼け色に染まってしまった。これじゃ、いくら辛いモノ好きな奴だって、両手を叩いて食べる・・・というのはキツイだろう。小さく溜息を吐くと、亜門は俺のどんぶりを持ってシンクへ行き、麺をザルに救出した。鍋に残っていた汁をもう一度注ぎ、そこへ救出した麺を入れてくれる。


「辛くても我慢しろよ。これが俺のできる精一杯」

「・・・ありがと。っつーか、ご迷惑かけました・・・」

「いつものことだから」

「・・・そりゃ失礼」


 もう一度、テーブルの上にあるねぎと蒲鉾を乗せて『頂きます・・・』と、両手を合わせた。口に入れた乳麺は、想像した以上に辛くて。でも、水があれば何とか食べられない・・・事もない。亜門に感謝、だ。


「で、何が『で?』なの?」


 結局、ケータイを腹の上に乗せたまま、ソファで眠ってしまった俺は、亜門のクッション攻撃で起こされた。細くぼんやりとした視界に飛び込んだ、青い顔した亜門の肩越しにある時計の針は、既に2時を指していて。人間ってソクブツテキだと思う。それ見た瞬間、腹の虫がすごい音で鳴くんだもん。そりゃ、昨日の夜だって、今朝だってまともなメシ食ってないけどさ。亜門も俺より少し前に目を覚ましたらしくて、『重いもの食いたくないから、お前も付き合え』とか言って、出されたのがこの乳麺、である。

 どんぶり目の前にして、2人で行儀良く手を合わせて。亜門は食べ始めたけど、俺は話し始めた。もちろん昨日の出来事について。昼間のこととか、スタジアムでの出来事とか、その後あったこととか、道明寺のこととか。何もかも知ってる亜門のことだから、何か言ってくれると思ってた。それなのに、返ってきた言葉はさっきのアレ・・・である。


「昨日あったことはわかった。それで?」

「それで・・・って・・・終わりだけど」

「終わらねーだろ。だっておまえ、あった事しか言ってないじゃん」

「・・・・・」


 あった事以外、何を話せというのだ。この先、どうしたら良いかアドバイスが欲しく、そして慰めてもらいたいから話したのだ。これ以上、俺に何を望む?この男は。


「・・・まさかお前、この先どうしたらいいか俺に教えてもらおうとか思ってるわけ?」

「・・・・・」


 心臓が飛び跳ねた。亜門の口調は、まるでそう思ってちゃいけないみたいな険しいそれで。そうだ・・・と言おうとしたけれど、言葉を続けることができなかった。そんな俺の心の内を察したのか、亜門は大げさに溜息を吐くと、箸をテーブルに置く。



「お前さぁ・・・自分のこと、人に決めさせてどーするつもり?牧野を好きなのも、昨日野球に誘ったのも、無理やりキスしたのも振られたのも、全部お前だぜ?俺じゃなくて、お前なの。それなのに他人任せにするなんて・・・ちょっと無責任すぎるだろ」

「・・・・」


 そうかもしれないけど・・・と、小声で反論してみるけど、その先は続かない。だって、亜門の言うことは正論だから。そんな俺にさらに追い討ちをかけるように、亜門は言葉を続ける。


「テメェのことくらい、決めてもらうんじゃなくて自分で決めろよ。ガキじゃあるまいし。自分がどうしたいかなんて、それくらい考えられるだろ。いつまでも甘えてんな」

「・・・・」


 ちと、ショック。まさかこんなに突き放されるなんて、思いもしなかったから。頭の上に鈍器落とされたみたいに、ズーン・・・と脳内で響いた。箸を置いて、俯いたままどんぶりの中を覗き込む。麺についていたであろう七味の粉が、茶色く澄んだだし汁の中で、踊るように揺れていた。


「きつい事言ってるかもしれないけどさ・・・」


 お前のことだから、お前が決めなきゃ・・・と小さな声で言い、自分のどんぶり持ってシンクへ置き、代わりに灰皿とタバコを手にした亜門は、テーブルに灰皿を置くと、ソレはもうかっこよくタバコに火をつけた。一瞬、見惚れてしまったけれど・・・急いで頭を振って、意識を元に戻す。





「お前はどうしたいの?牧野の話聞いて、振られて、諦めるのか?それとも、まだ好きでいるのか?確かに、あの話は一介の高校生には重すぎる内容だと思う。大人にだって軽い内容じゃないよな。俺だったら絶対逃げ出すと思うし。実際、俺はあいつが心配だよ。ここまで来るのに、俺にすら泣き言言わずに、1人で何もかも抱え込んで溜め込んで我慢してさ。いつ爆発するか・・・とか、いつ耐えられなくなるか・・・とか、考えると結構イタイ。でもな、牧野もある意味決断したんだよ。『お前になら、心の内全部見せれる』・・・って。だから全部話したし、お前のこと、好きになるのが怖いとまで言った。だから好きにはならないって。それって凄いことだと思うぞ?」

「・・・・・」

「あいつ、昨日のこと俺に一言も何も言わないんだぜ?いつも通り起きて、身支度して、ガッコ行って。なのに、お前はショックだけ受けて、落ち込むだけ落ち込んで、自分の気持ち明確にすることさえ放棄して、俺にすがろうとしたなんて・・・ちょっと甘くないか?」

「・・・・・」


 もう、何もかもが亜門の言うとおりだ。牧野サンは、今まで誰にも言わなかったこと――言えなかったことを俺に話してくれた。俺、自分のこと可愛そうだと思ってて、今まで全然考えもしなかったけど・・・牧野サンは俺以上に辛い思いをしているのだ。俺のこと、少しでも好きだと思っていてくれたなら尚のこと。牧野サンを恨めしいとか、妬ましいとか、そんな風に思うこと自体間違ってるって、わかる。でも・・・だからって、割り切れるほど俺だって大人じゃない。


「・・・とりあえずゆっくり食え。で、ゆっくり考えろ。今この場で答え出さなきゃ殺されるわけでもないし。いいんじゃないの?ぐだぐだ悩むのもお前らしくて」

「・・・言ってること、矛盾してるんだけど」


 気にするな・・・と、亜門は俺の背中を思い切り叩きながら、タバコの火を消すと、シンクの食器を洗い出す。


「・・・ごめん、すぐ食うから」

「いいよ。ゆっくり食え。その代わり、使った食器は自分で洗っとけよ。俺、これ終わったらシャワー浴びてくるから」


 二日酔いも、それで少しはすっきりするだろ・・・と亜門が笑う。つられて俺も、笑う。
箸で掬いあげたそうめんは、伸びてプチプチと簡単に切れた。まるで俺みたい。緩くて柔らかくて。まるで優柔不断の代名詞。あーあ・・・情けない。慰めてもらうために来たのに逆に叱られて。それでもって奴の言うことは全く正論だから、反発する隙もなくて。
俺がしたいこと。それは何なんだろう。このまま牧野サンを好きでい続けることなのか、それとも、これ以上辛い思いをしないように、早々に諦めることなのか。どちらにしても、俺にとっては辛い選択肢で。きっとすぐには決断できない。亜門の言うとおり、長い時間かけてぐだぐだ悩むに違いない。

シャワーの水音が微かに聞こえる。あんなふうに、何もかも流し落とすことができたら楽なのにな・・・って、ちょっとだけずるいことを考えた。水音を聞きながらこれを食べ終えたら、もう一度ソファに転がって、朝届いた3通のメールを確認しよう。もしかしたら、その中に何か良い考えがあるかもしれないから。


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