10
―――ハルジオン。キク科紫苑属。春先に白く小さな花を咲かせる。花言葉は『君を忘れず』。へぇ・・・こんな花言葉がね・・・
「っつーかおまえ!草野!何やってんだよっ?!」
固くて厚いものが、後頭部に直撃する。頭をさすりながらちらりと後ろを振り返れば、結構怖い形相の田村が。その手にはしっかり『Jupiter』のスコアが握られていた。
「あ・・・探してくれたんだ。ありがとう田村クン・・・」
読んでいた植物辞典を、そそくさともとあった場所へと戻す。俺としたことが・・・すっかり寄り道。今日の目的は、『ハルジオン』のスコアを探すことだったのにね。
俺、実はすげー大事なこと忘れてて。牧野サンに『好きな曲をステージでやる』なんて言ったはいいけれど、やる曲変えたいって、肝心の田村と崎やんに伝えてなかったの。事後承諾っての?もうそれしかないでしょ。牧野サンには言っちゃったわけだし。で、放課後頼みに行ったんだけどさ、案の定、
「バカも休み休み言え」
って田村に一喝された。まあ、予想できたことだけどさ。
崎やんはいいんだよ、曲変わったって。多分初見でもそこそこ叩けるから。問題は俺と田村―――っつーか、どちらかと言えば俺?―――なんだよね。あと3週間で、初めてやる曲をどこまで完成させられるか・・・って。
田村は『絶対反対。死んでも反対』って言い張ってたけど。やっぱ頼りになるのは崎やん。理由次第では変えてくれるって言ってくれてさ。嬉々として理由を言おうとして・・・口が止まった。だって、カッコ悪くね?『牧野サンにリクエストもらったからです』なんて。しかも、それ言っちゃったら『なんで牧野サン?』ってことになるじゃん。そしたら、あの室見川での出来事も説明しなきゃでしょ?宮田になじられたことに傷ついて、牧野サンに泣き言聞いてもらったお礼です・・・なんて言えるか?言えないだろ?言えないよな?女の子に慰めてもらいました・・・なんてさ。
俯いたまま固まった俺を見て、崎やんは何か思い当たる節があったのだろうか―――ってか、そうしたら崎やんエスパーだよな―――田村を手招きして、奴の耳元で何かを囁いた。・・・なんか、すっごく気になるんですけど。ってか、男同士の内緒話って、ビジュアル的にかなりやばいものがあると思うんですけど。
崎やんの話を聞いたら、急に田村の表情が変わってさ。
「今回だけなら、お前の頼み聞いてやってもやぶさかではない」
なんてカッコつけながら言った。崎やん、一体何言ったんだよ・・・って問い詰めたかったけど、許可が下りた時点ですぐにでも楽譜手に入れたかったからその足で田村と天神まで出てきた。『寄り道禁止』なんて校則、守ってる場合じゃないっしょ?大きな本屋でしか売ってないのが悪いんだよ、バンドスコア。
「なあ、ハルジオンだけのバンドピースってないの?あれなら500円で済むじゃん」
田村からスコアを受け取る。Jupiterってのは、アルバムの名前。アーティストはバンプオブチキン、略してバンプ―――って、全然略してないけどさ。若手の4人組で、最近気になってるバンドだったりする。牧野サンの言った「ハルジオン」ってのは、そのアルバムの5曲目に収録されている曲で、その名のとおり、道端に咲く雑草を歌った歌だ。演奏は所々粗くて、結構耳についたりするんだけど、でもあの独特の世界観っての?歌詞やメロディ。それがすっげー好きで。だから牧野サンがバンプの曲言ったときは、結構驚いた。藤原くん―――背の高い、本人はきっと本気で演奏してるのに、傍から見ると全くやる気を感じさせない気だるさを醸し出しているボーカル―――が好きなのかな?なんて、余計な想像したりして。でも、本当にそうだったら、俺に望みはないかな?だってビジュアルぜんぜん違うんだもん。藤原くんは細くて背が高くて。本当に女の子に人気のある感じ。ウチのクラスにもバンプファンの女の子いるんだけどさ、『あのビジュアルと気だるさがたまらない!』だって。ビジュアルも気だるさも、俺には縁のない言葉かな・・・なんて。
「バンドピースは在庫ないから注文。 1冊だけじゃ発注かけられないから、届くのいつになるかわかんねぇって」
「・・・マジで?」
受け取ったスコアの表紙―――きれいな木星だ―――をじっと見つめる。アルバムのスコアって、3000円くらいするんだよな。裏返して値段を確かめると・・・2800円。俺、所持金・・・ってか、今月の小遣い、残り280円なんだよね。スコア、3人で割っても1人1000円・・・
「ま、どうせ草野が買うんだから、いくらかかっても俺には関係ないけどね」
・・・・え?
「・・・はい?」
口からこぼれた間抜けな声。思わず田村を凝視すると、奴は『当然だろ?』という表情で俺を見返す。
「お前の都合で曲変えるんだぜ?フツーに考えりゃそうなるっしょ?」
・・・・・チーン。合掌。
「・・・田村くん、俺、今日280円しか持ってないんだけど・・・」
帰りの地下鉄代出したら、もうジュース買う金すら残らないんだけど・・・。顔面蒼白の俺に、おもいっきり呆れ顔の田村。ああ、しばらくこいつには頭が上がらない。3000円の借りは、とてつもなく大きいものになるんだろうな・・・
とまあ、こんな経緯でスコアを入手してハルジオンの練習に入った頃、ガッコでも本格的に城南際の準備期間に突入した。調理器具の管理とか、看板やメニューの作成とか、お運びサンの服の調達とか、色々な役割分担を決めていく中、ラッキーなことに、俺と田村はそんな仕事を一切免除された。理由は、ステージに上がる以上は悔いの残らないように練習して欲しいから・・・だって。嬉しいじゃありませんか、このクラスメイトの優しい心遣い。
「当日、他の奴らより長めに店番やってくれればいいから」
と宣ってくださったのは級長サン。その程度のことでいいなら、どんどんやらせていただきます。他のクラスの催し物なんて何のその・・・なんて、とことん調子の良い俺ら。店番の時は、お笑い担当、しっかり任務遂行しなきゃだよな。
なんとも幸運なことに、放課後の練習時間をしっかり確保できた俺たち。もちろん、今日も第二音楽室で練習だ・・・と。
「牧野サン」
音楽室へ向かう途中、絵の具のバケツを持った彼女と遭遇。俺に気付いて、にっこり笑って手を振ってくれた。・・・結構、幸せ感じちゃってません?俺って。
「今から練習?」
背中のギターを見た彼女に、そうだよとうなずく。
「ハルジオン、だいぶ形になってきたよ。歌うのがすげー楽しいの」
練習開始当初、田村と崎やんが懸念してたこと。俺と藤原君の声質があまりにも違いすぎるから、あのハードさが出せないんじゃないか・・・ってこと。でも、いざ歌ってみたらそんなに気にするほどでもなくてさ。逆に、俺様のちょっとハスキーな歌声の方が、しっくりきちゃって・・・なんて。いい感じなんだよね。
「だから、ステージ見に来てよ。なんなら、ステージの前の特等席、牧野サンのために空けとくから」
「草野くんのつばが飛んできそうで嫌」
そんなこと言われるなんて、俺ショック・・・と、わざとらしく肩を落としてみせる。そんなことしたって無駄だよ、と、牧野サンはいつものように俺の肩をバシッと叩いて。うん、相変わらず手加減知らないね、君。叩かれた部分がちょっと痛くて、ちょっと熱い。このシャツ、洗濯出すのやめようかな・・・なんて、浅はかで不潔な妄想。そんなわけにはいかないけどさ。
でも、楽しみだから絶対見に行くね・・・と笑う彼女を見て、本番は絶対に―――藤原くんより上手く歌ってやろうと思った。たとえ彼には敵わなくても。
NEXT
BGM♪スピッツ:スパイダー