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「野球って11人でやるんだよね?」


 苦しい気持ちかみ殺して、苦痛に耐えた1時間。場内がざわめき始め、アンパイヤが出てくる。そろそろ試合が始まるのかな・・・ちょっと安心したような、残念なような、居心地が悪いような。微妙な溜め息吐いたと同時に、ねぇ・・・と牧野サンに言われた言葉が・・・コレだ。ちょっと、いや大分驚いて、思わず目をパッチリ開いて彼女を凝視してしまった。


「い・・・いや、それはサッカーです・・・野球は9人だよ」

「そうなの?ずっと11人でやるものだと思ってた。相手が投げたボールを打って、とりあえず走ればいいんだよね?」

「・・・まあ、簡単に言っちゃえばそんな感じ・・・」


 身も蓋もない牧野サンの野球概念に半ば呆れながら、それでも相槌を打つ。流石にそれだけじゃ見ててもつまんないだろうから、守備位置ともう少し詳しいルール――3回ストライク出されたらアウトで、アウト3つ取られたら攻守交替とか、そんな簡単なもの――を説明する。理解できたんだかできていないんだか、微妙な表情で軽くうなずく彼女に少し不安を覚えながらも、既に始まった試合へと視線を走らせる。真剣に観戦したいけど、牧野サンを放っておくわけにもいかないし。とりあえず、1回は解説でもしてみようか。


「あのね、今1回の表が始まったの。表は中日の攻撃だから、みんなちょっとおとなしい感じなの。3つアウト取って裏・・・ホークスの攻撃になったらすごいよ。タイコとかラッパの音楽がなって、それに合わせてメガホン叩いて応援するの」

「へぇ・・・」

「メチャクチャ大きい応援旗降る人とかもいて、周りきょろきょろ観察するだけで・・・・」


 面白いかも・・・と言葉を続けようとした瞬間、うぉぉぉぉ・・・という歓声――ではなくブーイングが響く。何かと思ってグラウンドに目をやると・・・いきなりかよ?!ノーアウト走者なし、打者は2番の井端。和田のフォークボールを、フォークボールを・・・レフト側に難なく入れられちゃいました。いきなり1点。たかが1点、されど1点。周りのブーイングに混ざって、「マジかよ・・・何やってんだよ和田め・・・」と、悪態吐いてみる。牧野サンはといえば・・・


「すごい・・・いきなりホームランだねー・・・」


 などと笑顔でいうものだから、ユニフォーム着てメガホン持って、隣で仁王立ちになってたおっちゃん――いきなり点入れられちゃったから、思わず立ち上がっちゃったんだね――に睨まれてしまった。うー・・・今のは流石に失言です。ホームランを打ったのは敵で、ここはホークスファンばかりの応援席だ。牧野サンの袖口引っ張って、口に指当てて『静かに!』というジェスチャーする。


「敵は褒めちゃだめだよ。今みたく、周りのおっちゃんに睨まれちゃうから」

「・・・そうなの?」

「そうなの」

「・・・肝に銘じます」


 少しだけ肩を縮めて、申し訳なさそうにする牧野サンに、思わず笑いがこみ上げた。それからも――1回だけじゃんく、2回も3回もずっと続けて――まるで実況アナウンサーみたく牧野サンに解説――バントってのは、自分を犠牲にしても相手を次の類に進めたいときにやるんだよ・・・とか、今はバントに失敗してダブルプレー取られたから3アウトになって、攻守交替なんだよ・・・とか――を続ける。彼女も少しずつ理解し始めてさ。『この回は三者凡退だったね』なんて難しい言葉まで使えるようになった。盗塁とか、犠牲フライとか、わかんないところは積極的に聞いてくれるからこっちも説明しやすくて。田村と一緒に完全に応援に没頭するのも面白いけど、こういう観戦もなかなかいいかもしれない。ルール理解できたときの牧野サンの笑顔ったら、可愛い以外の形容が見つからないくらいだし。

 でも、球場内で心から楽しいと思っているであろうのは、3塁側に陣地を取るドラゴンズファンと、どちらのファンともいえない牧野サンくらいだ。ホークスファンは、ホークスファンとしては・・・最悪だよ!何だよこの試合。和田は立ち直って、結構いいピッチング見せてるのにさ、平凡なフライ落としちゃうとか、明らかにダブルプレー狙えるところでミスして内野安打になっちゃうとか、城嶋がボールキャッチ出来ずに塁進められちゃうとか。何さ、最低の試合じゃん。そのくせ打つ方は全然ダメでさぁ・・・なんか、ちょっと泣きたくなってきた。今日泣きたくなってばっかだよ、俺。

 トホホな気分をもてあましつつ、時はすでに6回裏。いまいちの打線じゃ点数を取り返すことも出来ず、3−0という文字が、スコアボードに煌々と輝く。祈るような気持ちでマウンドを凝視するけれど、無常にも空振り三振。3アウト取られて攻撃終わり。なんでこんな日に限って調子がいいんだ川上め。セリーグの中じゃ好きな投手だけに、今日は腹が立って仕方が無い。


「・・・あれ?もう試合終わりなの?」


 頭抱えてオーマイガーッってなってる俺の肩を、牧野サンがぽんぽんと叩く。終わりなわけ無いだろ!・・・と叫びそうになったけれど、いけないいけない。相手は野球初心者だった。大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。


「野球って、6回が終わると小休憩に入るの。そのうちハリーくんが出てきてダンスしたりするよ。それに・・・」


 見てみなよ・・・というまでも無く、牧野サンの視線は既に空へ。黄色い鮮やかな蛍光色の風船が空一面へ舞う。ホークスの試合の名物だ、この風船は。俺も一応買ってあったんだけど、牧野サンへの解説と、あまりにも情けない内野陣に辟易して、膨らますのすっかり忘れてた。

キレイ・・・と牧野サンが呟いた後に続いた言葉、俺が聞き逃さないわけが無い。『あの時、こんなことしなかったのに・・・』って。あの時というのはおそらく、ドウミョウジとやらと野球を見に行ったときのことで。落ち着きつつあった気持ちが、また小さく波立つ。例えようの無い苛々。これを鎮めるためには、一体どうしたらいいんだろう。


「・・・あの時って、いつ?」


 無意識に口からこぼれた言葉。その言葉に驚いたのか、それとも俺の口調がよほどきつかったのか。大きな目をさらに丸くして牧野サンが俺を見た。


「・・・昔、野球見に行ったことがあって。その時」

「最初に言ってた、普通じゃない試合?普通じゃない試合ってどんな試合?で、誰と見に行ったの?」

「・・・草野くん、どうしたの?なんか、怖いんだけど・・・」


 俺の質問には答えずに、牧野サンがそう言って笑う。でも、目が笑ってなくてさ。それがまた気に入らなくて。・・・なんで、今更そんな風に警戒するような表情するわけ?ってか、何を警戒してるわけ?昔のこと聞き出そうとしてるから?心の中に入り込もうとしてるから?


「別に普通だよ。で、誰と言ったの?」

「・・・友達だよ、ただの」

「タダの友達と一緒に行った野球のこと、そんなに聞かれたくないわけ?へぇ、よっぽど大事な友達だったんだね。それとも、あまりにも野球が楽しくて、誰にも言えないくらい大事な思い出にしてたとか?」


 そんなことあり得ないのに、思い切り皮肉るように言葉にする。そこまで言って分かった。確かにドウミョウジに対してものすごく嫉妬している自分がいる、それは認める。それ以上に許せないのが牧野サンなんだって。今まで見せた、あの淋しげな表情、いつだってあのオトコのこと考えてたに違いない。夕暮れの室見川でも、城南祭のハルジオンでも、大濠公園の花火も合宿の電話もショコと田村が仲直りした時も。



「・・・何?突然意味わかんないんだけど。あたし、何か変なこと言ったかなぁ?」


 警戒の表情が、怒りのそれに変わる。目をきっと吊り上げて、鋭い目で俺を睨む。何?いきなり臨戦態勢ですか?それなら俺だって応戦するよ。だってめっちゃ腹立ってるから。


「変なこと言ったのは牧野サンの方でしょ?野球を誰と見に行ったかって、それを聞くことってそんなにいけないことなの?いきなり警戒されたら、ちょっと困るんだけど」

「警戒なんてしてないし」

「してるじゃん」

「してないって」

「してるだろ!」


 なんであのオトコのこと好きなくせに、なんで落ち込んでるの励ましたりするわけ?夜の道を、送らせたりするわけ?今日、一緒に出かけてプリクラ撮っちゃうわけ?そんなことされたら、期待しちゃうじゃん。牧野サンも、少しは俺のことすきなんじゃないか・・・って。人のこと、浮かれさせて突き落とすみたいな、そんなひどいこと、しなくたっていいじゃん、ただの友達として、適当に付き合ってくれればいいじゃん。


「もし警戒してるみたいに見えたらそれは謝るよ。でも、昔誰と野球に行こうが、草野くんには関係ないじゃん。東京にいた頃の話だし」

「でも気になるんだから仕方ないじゃん」

「なんで?」

「分かるだろ」

「わかんないよ!分かるわけないじゃん!」

「なんでわかんないんだよ?!」


 ・・・彼女の肩を思い切り掴んでそう叫んだ瞬間、頭の中で何かがはじけた。頭の中で何かがはじけた瞬間、突然時が止まった。いつの間にか総立ちになっている外野席。遠くから聞こえる歓声。コンクリートの床には風船が転がっていて。そして腕には、牧野サンの肩を抱く感触が伝わる。頬の辺りに彼女の吐息を感じて、そして、気付いた。彼女の唇が、自分の唇と重なっていることに。
 

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         BGM♪スピッツ:さわって変わってpart3