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 風のように走り去った田村、奴がそんな行動を取った理由がわかったのはそれから数秒後のことだった。ぼんやりとしてる俺と牧野サンの耳に届いたのは、聞きなれたような、聞きなれていないような甲高い声。


「あーっ!逃げられた!」



 そう叫んだ声の主は、俺らに並んで立ち止まり、悔しそうに地団太を踏むと、それまでの表情から一変し、にっこり笑って俺と牧野サンに『おはようございます』と言う。その変わり様に、思わず呆然。


「・・・ってか、どうしたの?こんな早い時間に」


 一瞬早く立ち直った俺は、彼女にそう問いかける。校舎の時計を見れば、まだ7時半前だ。3年生ならいざ知らず、朝課外なんてサボる生徒のほうが多い2年生。その中でも特にそれに参加しない部類に入りそうな奥田さんが、ここにいることが俺には解せない。でも、そう尋ねた俺をじろりと睨む。その視線に、思わず肩をすくめちゃった俺は、やっぱり情けない。


「何すっとぼけたこと言ってるんですか?そんなの、田村先輩に会うために決まってるじゃないですか!帰りは何かと捕まえにくいから、朝のだったら・・・と思って、苦手な早起きしてこんなに早く来たのに、校門越えて運よく先輩の後ろ姿見つけて、追いつこうと思ったらこれですもん・・・」


 実際、腹立ちますよ・・・と頬を膨らませる奥田さん。まあ、あの足の速い田村を捕まえられるはずはないやね、気の毒だけど。


「ちょっと草野先輩、たまにはわたしに協力してくださいよ」

「何の?」

「田村先輩とのことに決まってるじゃないですか!あたし、腹を割って話し合えば、惚れさせる自信あるんですよね」

「いや、無理だって・・・」

「それなのに、そのチャンスすらないなんてちょっと可哀想だと思いません?」

「思わない思わない・・・」


 顔の前でフルフルと両手を振る。そしたら、ギロリ・・・と鋭い視線で睨まれちゃってさ。あまりの迫力に、思わず目をぎゅっと瞑った。なんでこいつを可哀想だと思えるんだ?これだけ自己主張――田村が逃げ出したくなるくらいに自己主張して、追い掛け回して、それを『相手にしてもらえない』と嘆くのはちょっと間違ってるだろ。彼女の頭には、『押してだめなら引いてみる』って言葉はないんだろうね、絶対。

 そしたら以心伝心?牧野サンが助け舟出してくれてさ。


「自分を押し付けるだけじゃ、そりゃ田村君も逃げてくよ。奥田さん、田村君に相手にして欲しいんだったら、少し『引く』ってこともしてみたら?実際、逃げられてるわけだし。しつこいだけの女は嫌われるよ?」


 おお、まさしく俺が思ってた通りの言葉。牧野サン、グッジョブだよ!心の中で拍手喝采。この正論には、さすがの奥田も言い返せないだろ。と思ったけど。


「何言ってるんですか?牧野先輩。そんなまどろっこしいことして、引いてる間に完全に逃げられちゃったら元も子もないじゃないですか。わたしの持論は『押してだめならもっと押せ』ですよ。田村先輩、絶対に捕まえてみせるんですから」


 ということで、では・・・と、奥田さんは笑顔まぶしく昇降口に向かって駆け出す。きっと、3年6組に行くつもりだ、田村捕まえに。ほんと、あいつも気の毒だよな・・・外見だけだったら、奥田さんってかなりいけてると思うけどさ・・・中身がアレじゃ、たまんないね。言い返された牧野サンも唖然としちゃって。口を開いたままの間抜け面は、なかなか拝むことの出来ないレアモノだ。


「・・・すごいね、奥田さん・・・あたし、ダメだ、絶対お友達になれない・・・」

「そう?でも牧野サンもああいう強引なところあるよね。春に宮田のことでうじうじしてた俺に喝入れたときとか、図書館に田村を引っ張ってきたときとか、田村とショコが気になって、体育館裏まで俺を無理やりに連れてったときとか・・・・」

「・・・そういうこと、今思い出すかなぁ?」



 少し上目遣いに、じろりと俺を睨む牧野サン。ちょっと怖いけど・・・でも可愛い。ごめんと謝ると、頬を膨らませて『別に怒ってないけどー』なんて、語尾を延ばして言う。・・・もしかしたら、俺って重症かも・・・なんか、牧野サン見てると、『可愛い』って言葉しか頭に浮かばないんですけど。自分の好きなこのこと、こんな風に言っちゃいけないけどさ、別にめちゃくちゃ可愛いわけじゃないんだよね。むしろ、顔だけだったら奥田さんの方が可愛いと思うし。性格もちょっと強引で、謎が多くて、時々淋しそうに笑って。『いいところ』とか『好きなところ』って、すごく見つけにくいというか、分からないというか・・・なんで牧野サンのこと好きなのかわかんないんだけど、とにかく好きなんだよ。

 ・・・なんて事考えてたら、急に胸がドキドキし始めて、身体が熱くなってきた。いやー・・・これが『コイノダイゴミ』ってやつですか?


「・・・草野くん、なんか顔赤いけど大丈夫?」

「え・・・あ?そう?うん、大丈夫だと思うけど・・・」


 怒った顔から一転、今度は心配そうに俺を覗き込んで。もう心臓爆発1秒前ですよ。あー・・・『眼で殺す』ってこういうことですか?いや、俺の場合は殺される方だけど。いつもどおり、訳わかんない身振り手振りで、自分が変な妄想してたことがばれないように、一生懸命ごまかす。でも、敵もツワモノだね。


「・・・その挙動不審さ、いつもの草野くんだ。じゃあ大丈夫だよね・・・」


 なんて、にっこり笑って反撃。さっきのお返しも含めてるのかな?少し意地悪そうに目を細めて、口元を歪ませた。


「牧野サンこそひどいよね、その言い方じゃ、俺がいつも挙動不審みたいじゃん・・・」

「だってそうなんだもん」

「・・・牧野サンの意地悪」


 今度は俺がすねる番。じろりと睨もうと思ったら・・・・


「草野先輩!」


 去ったはずの一難。いや、この場合は『一難去ってまた一難』の部類に入るのか?昇降口方向から、俺を呼ぶ聞きなれたようで聞きなれていない、甲高い声。耳に入った瞬間、背筋がゾクゾクっとして、思わず肩をすくめた。恐る恐る、そっと振り返って見ると・・・

                        

「・・・ごめん牧野サン、俺逃げていい?」

「・・・その方がいいかもね」

「申し訳ないけど、カバン、俺の机の上に置いておいてくれる?」

「うん」


 彼女にお気に入りの吉田かばんを預ける。少し気の毒そうに、でもどこか楽しそうにうなずいてそれを受け取る牧野サン。彼女の手にしっかり渡ったことを確認すると、俺は域を吸い込んで、昇降口と反対方向、校門めがけて思い切りダッシュした。


「あーっ!ちょっと逃げないでください!」


 背中にぶつかる、甲高い声。振り返らなくたってわかる。奥田さんが、走って俺を追いかけてることくらい。一緒に6組行って、田村に話しかけるチャンス作れとか何とか言い出すに決まってる。そしたら案の定。


「一緒に3年6組行ってくださいよ!そうしたら田村先輩に話しかけやすいじゃないですか!」


 嫌だ、絶対嫌だ!嫌な思いして引きずられて、それでもって彼女を連れて行ったこと、あとから田村に怒られるって、今からでも予想できるもん。

 朝課外の時間が近づく。でも、俺は教室から徐々に離れていく。何だか不条理な気がしないでもないが、仕方ない。足の速さ、田村には負けるけど、俺だって遅いわけじゃない。足が遅くて、陸上部の部長務められるかってんだ!次第に奥田さんの声は小さくなっていって。彼女が『追いつけない』と諦めるのも時間の問題だろう。

 今日の朝課外は、桜井先生――夏の学習合宿でテツヤがこってり絞られた、学年主任の怖いセンセだ――の英語。どうかセンセが教室に到着する前に、俺も教室へ入れますように・・・と願いながら、奥田さんから逃れるために走り続けた。

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                       BGM♪スピッツ:「愛のしるし」