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「・・・・・」

「だから、いつまでそんな顔してんだよ。お前が悪いんだろ?俺のせいじゃないっつーの」



 田村の怒り声を聞きながら、黙々と歩く。そりゃそうさ、田村は何も悪くないさ。でも、悪くなくても痛いものは痛いっつーの。家での一騒動の後、田村の背中に八つ当たりしたのは、確かに俺だよ。でも、あんな制裁ってないんじゃない?

 背中の痛さもだろうけど、おそらくそれよりも突然背中を叩かれたことに驚いた田村は、笑っちゃうくらいに大げさな身振りで俺を振り返った。その時、後ろに振った手が見事俺の顔面直撃してさ。裏拳っていうの?もう、田村の背中叩いたときと同じくらい気持ちいい音がバシッ・・・って響いて。鼻は取れそうに痛いし、目は抉れそうにひりひりするし。八つ当たりって、しちゃいけないなぁ・・・って、このときほど強く思ったことはなかったよ、全く。

 それにしても痛い。田村が悪いわけじゃないけど、でも俺の顔を殴ったのはやっぱり田村で。とすれば、怒りの矛先はやっぱり田村に向くわけで。あー・・・ガキっぽいのは自分でも重々承知だよ。でもしょうがないじゃん、痛いんだもん。


「で?何で俺の背中いきなり叩いたわけ?」

「弟がムカついたから」

「口げんか?」

「そんな感じ」


 そう答えると、田村は鼻で笑いながら『お前が勝てるわけないじゃん』と言う。10年来の付き合いだから、俺がどうあがいたって弟に勝てないことは、こいつにもしっかりばれちゃってるわけで。


「そういえば、どこ受けるって?」

「さあ。ガッコには修猷行けって言われてるみたいだけど」

「昔から妙に頭良かったもんな。兄貴と違って」

「ほっとけ」


 ふん・・・と鼻で笑い、田村は歩くペースを少し上げる。俺も負けじとついていくけど・・・あー、マジで朝から憂鬱。朝からこれだと、夜寝るまでやな事続きそうな気がして、いやなんだよね。このまま亜門のアパートにばっくれようかな。でも、また『奇襲はするな』って怒られるの目に見えてるし。大きく息をついて肩を落としたとき、田村が突然振り返る。


「そういえば、お前そろそろじゃない?」

「何が?」

「日本シリーズの抽選。お前のチケット当てにしてんだけど」

「それなら昨日届いた。やっぱりお前行きたかったんだ。弟にチケット取られそうになったけど、死守して良かった」

「そりゃ俺も良かった。背中思いっきり叩かれた甲斐があったよ」


 もう断言できる。こいつ、やっぱりショコとの一件以来性格悪くなった!なんか俺の痛いところばっかり突いてくるし。すげー悔しいんですけど。だからと言って、田村と日本シリーズに行くのをやめて弟にチケットをやるほど、俺はあいつが可愛くないし、田村が憎いわけでもない。財布の中からチケット――田村の分だけ――を取り出して、奴の目の前でひらひらと振って見せた。俺の手からチケット奪い取って、『ありがと』とか何とか言うんだろうな・・・って思ったら。


「・・・マジで?」


 これは予想外。チケット凝視して、田村らしからぬ落ち着きのない声で言う。言われた俺は、一瞬のうちに動揺しちゃって。思わずその場に『気をつけ』をしてしまった。


「な、何?」

「・・・実はさー・・・」


 あんまり言いたくないんだけど・・・と前置きをしてから、田村が話し始める。その表情は困惑しているような、怒っているような複雑なそれで。でも、ショコや奥田さんを怒鳴りつけたときとはまた違って。うーん、こりゃまた珍しい表情だ。天気雨、降るかな?


「うち、姉ちゃんいるじゃん?」

「うん、大学生の。確か、広島行ってんだっけ?」

「そう。その姉ちゃんがさぁ・・・」


 田村がぴたりと足を止める。思わず、俺も止める。何だ?らしくないなぁ。しばらく視線をきょろきょろ動かして、突然また歩き始めて。田村の様子見ながら、俺も後を追うけどさ・・・でも、そのまま黙り込み。奴が何を言おうとするか、一生懸命頭を回転させて考えてみる。そしてようやく校門に差し掛かるころ、覚悟を決めたように息を呑んで、田村が俺の耳元で囁いた。


「・・・マジで?」


 今度は俺が足を止める番。ちょちょちょっと、これは予想外でした。田村の顔見て目を丸くして。冗談だろ?と思ったけど、奴の表情はとてもウソ言ってるそれじゃなくて。大きな溜息つく姿を見て、ようやく納得した、事実なんだって。


「って、姉さん学生じゃん?」

「だから困ってんじゃん。それ聞いて母親泣きじゃくって発狂寸前だし、親父は呆然としちゃって、人の話聞いちゃいないし。そんな両親広島に送り込むわけには行かないから、とりあえず俺が様子見に行って、姉ちゃんと話してくるってことになってさ。いい迷惑だよな、実際。せっかくの日曜日、しかも日本シリーズの日曜日だっていうのにさ」


 俺の手からチケット取って、日に透かして見上げる。しっかし、田村の姉さんもすげーな・・・出来ちゃったから結婚したいって・・・俺、大学辞めたいとか、実家に戻りたいとか、そんなことしか考えられなかったけど・・・いやぁ、大学生って大人なんだ。ってか、俺の頭ってまだまだ子供なんだなぁ・・・。


「すっげー行きたいけどさ・・・さすがに姉ちゃんとの約束ぶっちして日本シリーズ行ったら、ただでさえおかしくなってる両親、余計おかしく・・・」

「おはよう!」


 大きな声で挨拶しながら、並んで歩く俺と田村の間に、牧野サンがぴょこりと顔を出した。真面目な話してただけに、俺も田村もめちゃくちゃ驚いて。変な声出して足を止める。そんな俺らを見て、逆に牧野サンまで驚いちゃったみたいで。大きな目を、さらに大きくして俺達を交互に見た。  

「・・・ごめん、あたし驚かしちゃった?」

「・・・ちょっと・・・」


 ツチノコ級に珍しい、驚き動揺した田村。まさかこんなところで拝めるとは思ってもいなかったけれど。にやりと笑って田村を見ると、奴と目が合っちゃって。俺の笑い顔が不気味だったのか癪に障ったのか、それは定かじゃないけど、どうも奴の機嫌を損ねちゃったみたいでさ。不満そうに顔をしかめると、プイ・・・とそっぽを向いた。やば。

 ご機嫌取りしなきゃ――何故だか分からないけど、昔から田村が不満そうな顔をすると、俺はどうにかしなきゃいけないと思っておろおろしてしまうのだ――と、田村に何か話しかけようとしたら。


「牧野さん、これあげる。ってか、草野からのプレゼント」

 手中にある薄っぺらいチケットを、はい・・・と牧野サンに渡しちゃった。ってちょっと待て!お前と行こうと思って、お前に渡したチケットじゃん!そりゃ、予定があって行けないって言われたけど・・・。


「あ、もしかして野球、興味ない?でも大丈夫。こいつ根っからのホークスファンだし、わかんないところは聞けば全部教えてくれるからさ。興味なくても、1回行くと良いよ。野球もだけど、観客観察してるだけでもかなり面白い・・・・・」
                 

 饒舌な言葉を突然切って、田村がびくりと身体を震わせた。なんだ?突然。しばらく奴の様子を伺ってると。


「・・・じゃあ、そういうことだから失礼!」


 突然、猛スピードで走り出した。置いてけぼりを食らった俺らは、ぽかん・・・とその後ろ姿を見つめて、そして、思わず顔を見合わせる。田村の取った行動の理由が、皆目見当つかない。


「・・・なんだろうね?」

「・・・さぁ?」


 そう答える以外に、一体どうすればよかったんだろう?


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                       BGM♪スピッツ:ハチミツ