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 田村がいない。いや、いるんだけどいない。・・・って、いきなり意味不明だよね。今、教室移動の生物の時間が終わって、教室に戻ってきたんだけど・・・一緒に昼メシ食おうと思って、自分の机に荷物置いて後ろを振り返ったら、奴は自分の席にいなくて。教室中見渡してみても、やっぱりその姿はなかった。


「・・・?」


 トイレでも行ったのかな・・・まあいいや。先に食ってよ。腹減ったし。あ、でもその前にいちご牛乳買ってこよう。購買行って帰ってくる頃には、田村も戻ってきてるだろ。
 ってことで、チャリ銭片手に、まるでスキップをするような足取りで教室を出る。そうだ、田村の分も買ってってやろうかな。半分嫌がらせで。あいつ、市販の野菜ジュース飲めないんだよね。飲まなきゃいけないとき――中学の給食で、たまに出た――ざらざらするとか甘いとか酸っぱいとか、何かよくわかんない文句ばっかり言って、全部俺に押し付けるの。まあ、俺は嫌いじゃないから良かったんだけどさ・・・田村は野菜ジュースで、俺はいちご牛乳。野菜ジュース以上にいちご牛乳は嫌い――理由は単純明白、甘いからだ――だから、これが取られる心配もないし。うーん、俺って友達想いだよね。いい奴だ。





 今朝はいつもより少し早く家を出て、門のところで田村を待ち伏せ。塀にもたれて、何て声をかけようか・・・って悩んでたら、見覚えのある姿がどんどん大きくなってきて。なんかわかんないけど妙に緊張しちゃって。



『・・・・・おはよ』

 気付いたら、田村が目の前にいた。

『あ・・・・ああ!!お、おはよ・・・』

 意味不明の奇声。こればっかりは自分でも驚いて。もちろん、目の前の田村も不思議そうな顔してる。気まずさごまかすために、頭かいて、ここぞとばかりに、背中をばしっと叩いてやる。すごい音が響いて、それをごまかすためにまた背中を叩いて。それ繰り返してたら10発くらい叩いちゃったのかな・・・最後には、田村に『痛い!』と腕を払われちゃった。ちょっと反省。

『何の恨みがあってそんなに叩くわけ?』
『あー・・・別にうらみは無いけど・・・』
『流した涙の代償・・・って?』

 一瞬何を言われたのかわからなかったけど・・・マジで?次の瞬間、背中を嫌な汗が伝わって。田村の顔を見たら、性格悪そうににやりと口元を歪ませた。

『まさか・・・とは思うけど、お前、泣いたのばれてないとでも思ってるわけ?』
『・・・・・』

 おっと驚いた・・・あまりに予想外の田村の言葉。驚きすぎて思いっきり息吸っちゃって、喉がひゅっと音を立てる。そして・・・むせた。ってか、何で?何で知ってるわけ?あの場所はすっげー暗くて、俺だって目を凝らして、やっと田村の表情読み取るのが精一杯だったのに・・・まじまじと田村の顔を見つめたら、『気持ち悪い・・・』と顔を背けられた。
『遠くからの街灯が、お前の涙でキラキラしてたんだよなー。何かお前の顔・・・ってか、目の回りが光ったから、何かと思って目を凝らしたら・・・目になみなみと浮かぶ涙が見えました・・・って感じ?あまりにたくさん流れすぎて、それで泳げるかと思っちゃったよ』
 おい、オヤジギャグより寒いギャグかよ・・・とほほ・・・と、脱力。しっかし恥ずかしいね・・・まさかばれてるなんて。健全な高校生、17歳の男泣き・・・これ、誰にもばらされたくないかも。特に牧野サンに・・・いや、弟には。あいつにばれたら、家族は言うまでも無く、牧野サンの住所やケータイの番号とか、死ぬ気で探して言いふらすからね・・・あー・・・

『心配しなくても誰にも言わないよ。一応、親友・・・だろ?』
『・・・へ?』

 間抜けな声で返事しながら田村を見たら。少し顔赤くしてそっぽ向いて。

『早く行かなきゃ、朝の補習始まるぞ』

 そう言って、俺の背中を思いっきり叩いた。一瞬熱くなって、次にひりひりしてきた。背中見なくてもわかる。絶対に真っ赤なもみじが出来上がってる!!

『痛いだろ!!』
『俺はもっと痛かったっつーの!口止め料とさっきのお返し。それでまけといてやるよ』

 先に行くぞ・・・と、鼻歌を歌いながら歩き出す田村。立ち止まって、しばらくその後ろ姿を見つめていたけれど・・・ま、いっか。次第に緩む口元。やっと日常が戻ってきたって感じだ。田村とケンカ・・・?してたのなんて、時間にしたら1日ちょっとなんだけど、それがものすごく長く感じてたから。

 空を見上げてお天道様に感謝して、田村みたく、俺も鼻歌歌いながら昇降口に向かった・・・という経緯を経て、今に至るのである。生物室でもいつもと同じ。おそらく、クラス中の誰一人として、俺と田村との間にあんなことがあったなんて思いもしないだろう。――ただ1人を除いては。

 その1人――もちろんショコだ――は、今日はちゃんとガッコ来てた。もちろん、いつもどおり明るく笑って・・・というわけにはいかないみたいだけど。ユカや牧野サンとはいつもどおり話してたし、俺にもいつもどおり、悪態ついてた。

『朝から草野くんの顔見るなんて、縁起悪い・・・』

と。まったくもって失礼なやつだ。でも、それが今のショコが精一杯できる『いつもどおり』だってわかってるから、強く言い返すこともできず、

『一緒にカラオケ行った仲じゃん。しかも2人きりで・・・』

 なんて言ってしまい、未だクラス内で微かに燻っている『草野・安藤お付き合い疑惑』に拍車をかけてしまったのである。んー・・・ショコの気持ちを少しでも紛らわせようとして、自分がドツボにはまってしまった。身から出た錆というのか、ミイラ取りがミイラになったというのか、カモネギというのか・・・いやはや。


 ・・・とまあ、そんなこんなで購買の自販機前である。やっぱり鼻歌歌いながら、コインを滑らす。この自販機、新千円札使えないんだよね・・・このおかげで、何度田村に両替を頼んだことか。新千円札と旧千円札の。汚いお札が1枚、価値が上がるわけでも下がるわけでもなく返ってくるから、ちょっとだけ損した気持ちになる。早く対応させて欲しいよ、まったく・・・

 悪態ついてみるけれど、100円玉で買う今日の俺には関係なくて。ボタンを押すと、ガコン・・・と重たい音を響かせながら、紙パックのジュースが落ちてきた。かがんでそれを拾って・・・牧野サン発見。


「まっきのさ・・・・」


 立ち上がって片手を軽くあげて。ひらひらと振ってみるけれど・・・無視ですか?教室の方からやや急ぎ気味で歩いて――というより走って――来た彼女は、にこりともせずに、俺の隣をすり抜ける・・・と思いきや。


「草野くん、一緒に行こ!」


 俺の腕をしっかり掴んで、スピードも落とさず突き進んでいく。腕をつかまれてるのは嬉しいけど、けど・・・突然すぎておぼつかない足。転びそうになるところを何とかこらえて、彼女のスピードに合わせて歩く。


「ね、牧野サン・・・行こって、行こって・・・どこへ?」

「体育館裏」


 俺をちらりとも見ず、ひたすら歩き続ける彼女。その横顔は、鬼気迫っていて怖い。一体何が彼女をこうさせるんだろう・・・?

「ね、体育館に行くのはわかったけど、何で?今日体育ないし、今昼休みだよ?あ、もしかして愛のこくは・・・」

「田村くんが動いたの」

「・・・田村?」


 その一言で、ふざけてた俺の気持ちも急に引き締まる。田村が動いたって、動いたって・・・


「昨日も今日も、授業中に威圧してたの。ショコと奥田さんに謝りなさいって。で、昨日はあまりにも腹が立ちすぎてあんな行動取っちゃったんだけどさ・・・結局ショコは『田村くんと話すことなんてない』って言うし、彼は彼で勝手に帰っちゃうしで、何ともならなかったんだけど・・・さっき、偶然2人が話してるとこ・・・っていうよりも、田村くんが一方的にショコに話しかけてる場面見かけて」

「・・・で、つけてくの?」

「人聞き悪い!気になるから一緒に行くだけなの!」


 ・・・さして変わりはないと思うんですけど。ってか、これって明らかにつけてるとしか思えないんですけど。でも、確かに気になるよな・・・興味本位ってわけじゃなくて、あの田村がショコに何を言うのか。きっと、怒った勢いで口からでまかせ言ったことへの謝罪だとは思うけど、あいつにそんなことが言えるのか?あの朴訥で飾り気の一切ない男に。そりゃ、気配りのできる奴には変わりないけれど、それが自分のことになったら・・・


「盗み聞き・・・」

「違うって!」

「・・・心配だからついていって、どうするの?見守るの?」

「そのつもりだけど・・・田村くんがこれ以上ショコにひどいこと、『一昨日言ったのは本心だ』とか『うざいからもうあきらめて』とか言ったら、あたしが出てってその場で殴る」

「なっ・・・」


 大胆発言です、ってか、大胆すぎます牧野サン。田村が彼女に殴られる様が、脳裏にまざまざと浮かんで・・・背中に嫌な汗が伝わった。よくわからないけれど、牧野サンならやりかねない。グーパンチで、絶対に右フックで決められる・・・

 色んな想像――この場合は妄想じゃなくて、想像だ――に頭フル回転させてたら、突然彼女の足が止まった。腕はつかまれたままだから、歩き出す足と止まった上半身のバランスが瞬時に取れなくて、一瞬転びそうになる。危ないよ・・・と横を見たけれど。


「・・・いた!」


 ひそひそ声の叫び声。鋭い目で正面を見据える牧野サン。その視線の先には、確かに田村とショコがいた。手持ち無沙汰にポケットに手を入れ、地面を蹴る田村と、気まずそうに俯き、今にも逃げ出しそうなショコ。おい田村、牧野サンじゃないけど、もしショコに変なこと言ったら、今度は俺から『お前と親友やってる価値ない』って言うからな。 

 いつの間にか俺も強くこぶしを握っていて、2人の成り行きをはらはらしながら見守る姿勢に入っていた。


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