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 おそらく、ここにいる奴らは田村が本気で怒ってるのを見たことがない。だって、俺ですら片手で数えるくらいなんだもん。テツヤの家に行った、1学期の期末テスト前の怒りなんて、まだ可愛い方だ。だって顔見ただけで『怒ってる』ってわかったから。でも今はどうだ。完全な無表情。おそらく奴の頭の中では、怒りのマグマが沸々と音を立てていて、爆発するときを待ってる。


「・・・・・・」


 誰もが息を呑んで、田村に注目。その表情はみんな真剣で。焦り?驚き?動揺?色んな感情が、心の中に渦巻いているだろう。沈黙が少し苦しくて、それをごまかすためじゃないけど、ケータイで時間を確かめる。すでに7時半を回ってて、田村たちは一体何時間ここにいるんだろう・・・なんてぼんやり思った。と同時に、いつまでも自分がここにいた理由を知らないでいた田村を、気の毒に思う。そして、今は奴の気持ちなんかお構いなしで、それでいて奴が深く関わるこの話が、進もうとしていたのだ。


「・・・俺、あんたたちのこんなくだらない言い合い聞くために、晩メシ時に呼び出されたわけ?」



抑揚を押し殺した声。
コーラの紙コップを持つ田村の手は少し震えてて、今にも握りつぶしてしまいそうだった。爆発、3秒前・・・というところであろうか。心の中でカウントダウン。ゼロになった瞬間、『ふざけるなよ』という田村の叫び声が響いた。


「いい加減にしろよ・・・呼び出しておいて、お互い無言で何の話もないまま、つまんない時間ばっか過ぎて、ようやく口開いたと思ったら誰が好きだとか何が好きだとか・・・俺言っただろ?今は誰とも付き合う気がないって」



 最後のセリフは、奥田さんに向けられたもの。セリフと同じように、視線も彼女にしっかりと向けられる。でも、田村の視線はいつもの穏やかなそれじゃなくて。見られただけで射抜かれてしまうほどに、鋭い。彼女は田村の声と視線の迫力に、一瞬身をすくめる。けれどそんなことで引き下がる子じゃない。でも・・・と、小さいけれどしっかりした声で反論する。


「確かに・・・田村先輩は私にそう言いました。でも、安藤先輩に対しての気持ち、まだ聞いていません。私は駄目でも、安藤先輩ならいいんですか?っていう質問の答え・・・」

「ちょっと待って?なんでそこであたしの名前が出てくるわけ?」


 奥田さんの言葉を遮り、ショコが口を挟む。彼女のその一言で、ショコが動揺したのが見て取れた。一瞬で顔が赤くなり、声が少しだけだけれど、震えてる。そりゃそうだよな。まさか自分の気持ちがばれてるなんて、ショコは思ってもいなかっただろう。でも、ここは口を挟まないで成り行きを見守る。当人同士のやり取りがいちばんいいだろうから。ばらした奥田さんと、ばらされたショコ。


「誰がそんなこと言ったの?あたし、全然知らないよ」

「私です。田村先輩に告白したら、取り付く閑もなく断られたから、じゃあ安藤先輩ならどうですか?って」

「何?それって勝手に人の気持ちばらしたってこと!?」

「ありたいていに言えば、そうです。その場に草野先輩もいました」

「草野君まで?!ど、どーして草野くんがいてそれを許しちゃうわけ?最低!信じられ・・・」

「黙れ!」


 怒鳴り声とともに響いた、テーブルをこぶしで叩く音。その反動でテーブルが跳ねた。残っていたテツヤのポテトが数本、まるでダンスを踊るように揺れた。

 その一括で、2人のやりとりはぴたりと止まる。切れた田村は・・・もう、誰にも止められない。


「誰が誰を好きとか、誰と誰が付き合ってるとか、そんな話俺には関係ないんだよ。興味ないんだよ、マジで。奥田さん・・・だっけ?あんたに言っただろ?俺はホントに誰とも付き合う気なんかないっつーのっ!はっきり言ってメーワク以外のなにものでもないんだよ。そういう気持ち。誰にどれだけ好意を持たれたって、今の俺にはどうでもいいの。ウザイよ、お前ら・・・」


 息を荒くして一気にまくし立てる。肩で息をする田村と、呆然と目を見開くショコと奥田さん。神妙な顔でうつむく牧野サンとユカ。そして、相変わらずへらへら笑ってるテツヤ。


「・・・ごめん。言い過ぎた」


 息の整った声でそれだけ言うと、田村は誰とも目を合わせることなく、その場を後にした。俺はどうすることもできなくて、残された4人を忙しなく見る。

 田村の気持ちもわからなくはない。自分の意に反することが、自分の知らないところで起ころうとしていたのだ。無理やり誰か――ショコか奥田さんかと付き合わされることはなかっただろうけれど、それに近いものはあったはずだ。奥田さんのことだから、自分とショコと、どちらが好みか・・・なんて、田村に答えさせそうだから。

 でも、果たしてここまで人を傷つけて、怒鳴り散らしていいようなことだったのだろうか。残された俺らを取り巻く空気は沈みきっていて、当事者でない牧野サンやユカまでもが、傷ついているように見える。まるで自分たちが取り返しのつかない罪を犯したかのように。

 やがて、うつむいたショコの目に光る粒を見つけた。そしたら俺、なんか居ても立ってもいられなくなってさ。気が付いたときには立ち上がって、自転車に向かって走り出してた。田村が悪いとは思わないし、かといって田村が悪くないとも言えない。奴に何を言おうとしたのか、全然わからないけど、でも、このまま田村を帰しちゃいけないような気がした。


「田村!」


 風を切りながら、どれくらい走っただろうか。田村の家の直前にある十字路を曲がったところで、ようやく奴の姿を見つけることができた。切れた息で、必死で奴を呼ぶ。 俺に気付いた田村は、キィ・・・と甲高い音を響かせ、自転車を止めた。俺を待ってくれるのはいつもと同じだけれど。でも、違う。日の暮れた闇の中でもわかる。田村は、いつものように俺を見ない。そんな些細なことですごく嫌な気分がして。でも自分だけは、田村の目をしっかり見ようと思った。気まずくて逸らしてるだけかもしれないから。


「突然出てくからびっくりしたよ。お前らしくないじゃん、あんなところで怒鳴るなんてさ」


 なるべく、いつもどおりを装って話しかける。軽く、おちゃらけた感じで。そしたら、取り乱した田村も『俺らしくなかったよな・・・』なんて軽く言えると思ったから。悪かったな・・・って、謝りやすいと思ったから。でも。


「・・・・・」


田村は何も言わなかった。俺を見ないままずっとだんまりで。沈黙が続くにつれ、俺の中の不安も大きくなる。田村と一緒にいて、こんなに居心地が悪いと思ったのは初めてだ。


「たむ・・・」

「どういうつもりだったんだよ」


 不安に押しつぶされる直前に口を開いたけれど、その言葉は田村の声によってかき消されてしまった。でも、その声は俺が求めていたものじゃなく。それよりも大きくて、口調が険しい。奴の言葉の意味がまったくわからなくて、聞き返そうとしたけれど。雰囲気が許してくれなかった。やがて俺に向けられた田村の視線。それは、奥田さんを射抜いたあの視線と同じで。初めて、本気で田村を怖いと思った。


「どういうつもりって、何が・・・」

「とぼけなくてもいいよ。俺がお前をマックに呼び出した時点で、お前には何が起こってたかわかってたんだろ?あの2人がどういう関係で、どうして俺が呼び出されたのか・・・って」

「・・・・・」


 知っていたわけではないけれど、おおよその見当はついていた。奥田さんとショコの共通点は田村で。その2人がやつを呼び出し、2人でにらめっこしているというのだから、ただ事じゃないことはわかる。でも、だから何だというのだ。無責任な考え方なのかもしれないけど、俺は田村に呼び出されたからあの場に出向いたわけだし、たとえあの場で何が起こっていたのか検討がついていたとしても、予想で2人の間に首を突っ込むことはできない。田村を呼び出したのは2人の意思で、向き合って牽制しあっていたのもそうだ。俺がのこのこ入って解決するような、そんな簡単な問題じゃない。


「・・・わかってるのにさ、なんで俺に言わないわけ?もしかして、心の中で俺のこと笑ってた?」

「何言って・・・」

「田村が女に振り回されてるって、心ん中で笑ってたんだろ?そりゃそうだよな、楽しいよな。もしこれが逆の立場だったら、俺も楽しいと思うもん。何も知らない草野がおろおろしてる様見て、心配そうな表情浮かべながら、腹の中じゃお前を馬鹿にしながら笑ってんだよ」

「・・・田村?」


 ・・・一体、何がどうなったっていうんだ?こいつは、こんなこと言うような奴じゃない。俺のこと、いや、どんな奴のことも、こんな風に悪く言うような奴じゃないのに。


「そいえば、俺が手紙もらった日。お前牧野さんと藤原さんつれて崎やんの号令と同時に帰ったよな。あの日も、どうせ昼休みのことを面白おかしく2人に聞かせて、俺のこと馬鹿にして笑ってたんだろ?」


 奥田さんがショコの気持ちを田村にばらした場面に直面して、牧野サンとユカ――おまけもいたが――をミスドまで引っ張って行ったことだ。確かにあの時、田村のことはすっかり忘れてたけどさ。でも、それをそう思うか?どうしてそんな被害妄想を・・・


「お前、何言ってんだよ、それ本気で言ってるわけ?」

「本気に決まってんだろ?」

「じゃあ何?俺が本気でお前のこと馬鹿にしてると思ってんの?」

「じゃなきゃ、なんで俺に言わないんだよ?!」


 痛々しい怒鳴り声だった。不満と憤り。どうしようもないやるせなさ。そんなものが凝縮された声。言おうとしていた言葉のすべてが、田村の怒鳴り声で消えた。


「わかってたんなら俺に言えばいいじゃん。今日のこと、最初にお前が教えてくれてれば、奴らの前であんなふうに怒鳴らなくても済んだんだよ」

「そんな、いつどこで言えって言うんだよ・・・」

「そんなの自分で考えればわかるだろ。大体お前は情けないんだよ。あの体育館裏でも、お前がしっかり彼女を押さえとけば、俺は何の風も受けなくて済んだんだ。あのわけわかんない女に告白されることも、知りたくもない気持ち知らされることも。城南祭のステージだってそうだろ。やりたい曲があるって言っときながら、途中で歌わなくなって。なんでお前ってそうなの?肝心なときに、いつも役に立たない」

「・・・・・・」

「俺とお前、親友やってる価値ってあんのかね」


 頭を鈍器で殴られた気がした。田村の不条理な言い分。奴にとって、俺の存在価値は皆無に等しいと。きっと、今のむしゃくしゃした気分を誰かに当たりたかっただけなんだと、頭では理解できる。いくら大人びていたって、田村だって所詮17歳の高校生だ。自分の気持ちコントロールできなくなることがあって当たり前なんだ。

 でも、心はそれをわかってくれない。田村が俺を要らないと言った。その事実だけを受け止めてしまったから。俺は田村が好きで、大切な親友だと思ってたのに。田村はそう思ってくれてなかった・・・って。あー・・・なんだろ、急に視界がかすんできた。目に映っていたものの輪郭が次第にぼんやりしてくる。
・・・自分でも情けないと思うよ。高校3年だぜ?17歳だぜ?そんないい年したやつが、涙ぽろぽろ流してるなんて。でも、日が沈んでいて良かったと思った。この涙、きっと田村には見えてないから。

            

「・・・・」


 もう、ここに居ても仕方ない。涙を浮かべながら田村に訴えることなんて、今の俺には見つけられない。
 無言のまま自転車にまたがり、向きを変える。このまま家に帰ってしまいたいけど、それは無理だ。あの店に残る奴らはきっと田村の様子を知りたいだろうし、未だ土地勘のない牧野サンを置いてくるわけにはいかない。店に戻るころには、涙も止まるかな。何事もなかったようにあいつらに話せるかな。
俺をじっと見つめる田村に、ただの一言も声をかけることなく、俺はペダルをこぎ始めた。





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