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風を切る音だけが聞こえる。自転車に乗って走る2人の間に会話はなくて。でも、決して気まずいわけじゃない。確かに、さっきまで3人の間で交わされていた会話は強烈だったけど、でも、今藤崎のマックで起こっているだろう修羅場を想像するだけで、それすら霞んでしまう。一体何がどうなってこんなことになったんだろう・・・ってのは愚問だね。ショコが行動起こすわけないから、やっぱり奥田か。
肩につかまる牧野サンの手に、かすかに力がこもった。なんかその仕草だけで牧野サンの方が心配になっちゃってさ。何の根拠もないのに、『大丈夫だよ』なんて言ってみる。


「でも、ショコの声かなり切羽詰ってた・・・ってか、てんぱってたよ?さっきの電話も何言ってるのかよくわかんなくて、とりあえず藤沢駅のマックに奥田さんと田村くんと3人でいて、なんだか大変なことになってる・・・ってことしかわかんなかったもん」

「ショコ、てんぱってんの?」

「うん・・・」

「田村、めっちゃ冷静だったけど、とりあえずそこで何が起こってるのかは、俺もわかんなかったな・・・ってか、田村自身もわかってないみたい」

「田村くん、ダメだね・・・」


 そんな会話をしてるうちに、マックへ到着。客席に奴らの姿を見つけた牧野サンは、自転車が止まらないうちに飛び降りて、一目散に走ってく。とりあえず何も頼まずに・・・というのはちょっと心苦しかったので、自転車を停めてレジへ。コーラのSサイズを2つ持って、奴らに合流。でも・・・空気が痛い。重いを通り越して、痛い。

 4人がけの席を2つ、3人で占領していた奴ら。ひとつのテーブルでは向き合ったショコと奥田さんが、熱い火花の飛ばしあい?黙ったままお互いをけん制していて、もうひとつのテーブルで、田村が困り果てた表情でその様子を伺っている。牧野サンは、とりあえずショコの隣に座って、何か言おうと思いあぐねてる・・・って感じ。牧野サンのコーラを彼女の前に置き――声に出さず、口パクで『ありがとう』と言った――、自分は田村の正面に座る。


「突然呼び出して、悪かったな・・・」

「いや、別に・・・」


 正直、ほっとしてる気持ちが大きくて。あそこで田村から電話がかかってこなかったら、亜門の家でどうなってたんだろう・・・と考えると、少し怖くなったりする。問題が解決したわけじゃないけど、あの重苦しい雰囲気――いや、ここも十分痛い空気なんだけどさ――から抜け出せたことが、少しだけありがたい。


「で、何がどうなってこの状態?」

「俺もよくわかんないんだけど・・・」


 晩メシ前ののどかな時間、部屋でぼんやり音楽――最近、田村はアジカンが好きらしい――を聴いてたら、自分を呼ぶ母親の声。電話だと言うからかわってみれば、それが奥田さんだったらしく。


「最初『奥田です』って言われたんだけど、誰だか全然わかんなくてさ。『ブルーの封筒の奥田です』って言われて、ようやくわかったんだよな」


すっとぼけた田村はさておいて。電話越しの奥田さんにどうしても出てきてくれと頼まれ、しぶしぶここに来てみれば、何故かショコがいて、それからずっとこの状態だという。


「じゃあ何?お前が来てからずっとこの状態?」

「そ。この状態。30分くらいはこの沈黙に付き合ってたんだけどさ、腹減るし、でも帰るに帰れないし。とりあえず家に遅くなるって電話して、バリューセット食って、それでも相変わらずだからさ・・・お前に電話してみた」

「・・・お前、この状況おかしいと思わないの?」


 ずっと沈黙だぜ?しかも、自分を好きだという女の子が2人。そりゃ、ショコは直接田村に告白したわけじゃないけどさ。そんな2人が向き合ってけん制し合ってんだぜ?仲裁しろ・・・とまでは言わないけど、黙ってずっと成り行きを見守ってたって、おかしくない?もし俺だったら――幸せそうで、実はたまらなく不幸なこの修羅場の中心人物になりたいとは到底思えないけど――、文句言われるの覚悟で、中に入ってくよ。たとえその場で結論出せ!って脅されて、すごすご逃げ出す羽目になってもさ。


「そりゃ、おかしいとは思うよ?でもさ、安藤さんと奥田さんがどんな関係なのかも、なんでこんなに機嫌悪いのかもわかんないのにさ、俺が口挟んじゃ悪いだろ。何か言いたいことがあるんなら、言ってくるだろうし」


 ・・・なんか、腰砕けそう。田村、お前これでいいのかよ・・・。田村の恋愛相談受けないって、落ち込んでた自分がバカみたいだ。相談しないんじゃなくて、相談することがない・・・なんだよな、こいつの場合。ようやく納得。そりゃ相談してこないわけだ。

1人で自己完結してるうちに、額に汗したユカが飛び込んできて。それに少し遅れてテツヤまで飛び込んできたのは、この際無視しておこう。へらへらした表情のまま、俺と同じようにレジに直行。ユカは奥田さんの隣に腰を下ろし、上がった息を整える。これで、全員集合ですか?


「・・・何なんですか?この人たち」

「あたしが呼んだの。あんた相手だと、話が通じないから」

「ひどい言い様ですね」

「当然でしょ?」


 ここへきて、初めて2人の声を聞いて・・・心底帰りたくなった。いつもより、何オクターブも低いような気がするんですけど。しかも、お互いを睨む視線も尋常じゃない。


「ユカちゃぁん、ポテト買ってきたよー」


 どこまでも場違いのテツヤ。ユカに駆け寄ったところで、彼女の裏拳が顔面に直撃。トレーをテーブルにおいて、顔面押さえてしゃがみこんだ姿には思わず笑いがこみ上げたけど・・・笑えない、女子陣があまりにも真剣すぎて。田村は肩震わせて必死で笑いを我慢してるけどさ・・・ねえ田村くん、君自分の置かれた状況、ほんとに理解してます?田村を見たら、我慢していた笑いがすっと消えた。

 痛みが落ち着いたらしいテツヤが、鼻をさすりながら俺の隣に座る。少し涙目で、掌があたった部分が真っ赤になってて・・・さすがに気の毒だ。そして、その場の空気は相変わらず痛い。


「お前ら、一緒にいたの?」


 ポテトをもりもりと食べ始めたテツヤに小声で聞く。でも奴はその場の雰囲気を全然読み取ってなくて。口の中いっぱいに詰め込んだ揚げ芋を飲み込むと、相も変わらずへらへらとした口調で話し始めた。しかも、声でかいし。


「うん。ユカちゃんちにCD借りに行ったの。CDくれたら『帰れ』って門前払いするから、お茶くらい・・・って粘ってたら、ユカちゃんに電話がかかってきてさ。で、藤崎のマックまで乗せてくれたらお茶してくれるっていうから」


 ・・・って、それ利用されてるだけじゃん。そりゃ、ポテト持って嬉しそうにユカに駆け寄ったテツヤの気持ちもわかる。少しだけ、テツヤに同情。


「って、よく見たらショコちゃんもつくしちゃんもいるじゃん。あ、田村まで・・・ってことは何?みんなでお茶・・ってこと?2人きりじゃなくて?」


 ・・・前言撤回。一瞬でもこいつに同情した自分に同情したい。この空気、マジで読めないのかな、こいつ。それでもって奥田さんに気付かないわけ?

 でも、さすがにそれには気付いたみたい。あ、亜美ちゃんだ・・・と、芋を詰め込んだ口をもぐもぐさせながら、ひらひらと手を振る。それに気付いた奥田さんが、気まずい表情で頭を軽く下げるけど。


「亜美ちゃん、相変わらず可愛い服着てるね。お洒落さんだ。」


 テツヤのその一言で、彼女の表情が少し緩んだ。そしたら。その場の雰囲気まで和らいでさ。ほんの少しなんだけどね。テツヤの鈍感加減も、時には役に立つらしい。


「・・・服はいいとして、何がどうなってるのか説明してよ。どうしてこんなところに3人でいるの?不機嫌そうに眉間にしわ寄せて、一言もしゃべらずに」


さすがユカだ。 俺と牧野サンがどうにもできなかったこの雰囲気を一喝。最初は2人ともだんまりだったけれど、鋭いユカの視線に耐え切れなくなったのか、もじもじし始めて。最初に耐えられなくなったのはショコ。しぶしぶという感じで口を開いた。


「・・・天神の本屋で参考書探してたら、偶然会ったの」

「だから言ったんです。『私負けませんよ』って。そうしたら安藤先輩が無視するから」

                 

「突然そんなこと言ったって、それがあたしに向けられてるなんてわからないでしょ?」

「面と向かって言ったし、周りに他の知り合いなんていないんだから、安藤先輩に言ったに決まってるでしょう?」

「面と向かってって・・・すれ違う寸前に小さな声で呟くことが、『面と向かって言う』って言えるの?」

「ストップ!」


 ヒートアップしていく言い合い。ストップをかけたのは、もちろんユカで。当事者の2人はもちろんのこと、関係のない俺たちまで、思わずかしこまってしまう。


「とにかく、天神の本屋で奥田がショコに声をかけたわけね?それはわかったから、次」

「・・・あたしに言われたなんて本当にわからなかったから、そのまま無視して通り過ぎたの。そしたら、後ろから大声で『逃げるんですか?』って言われて。それでようやくあたしに言ってるんだってわかって・・・」

「だって、そうでしょう?私たち、今同じラインに立ってるんですよ。だから、お茶でも飲みましょうって誘って、ここまで来たんです。藤崎なら、田村先輩呼び出すにも都合いいと思ったし・・・」

「・・・ちょっと待って。『同じライン』って何よ?」


 ショコが奥田さんの言葉を遮った。『同じライン』、ショコにはわからなくても、俺たちにはわかる。思わず、牧野サンと顔を見合わせた。ユカは大きくため息ついて、頭抱えてる。つまり・・・だ。ショコはまだ、自分の気持ちを田村にばらされたこと、知らないってことで。そして、奥田さんがその事実をショコに伝えてしまうことは・・・どうしたって逃れられない・・・みたいだ、この状況じゃ。そして、当の本人、田村もこの場にいるという、最低最悪のこの事態。もう、腹くくったよ。うん。奥田さん、いつでも言いなよ。


「草野先輩から聞いてないんですか?」

ってちょっと待て!なんでここで俺の名前が出ちゃうわけ?思わず奥田さんを凝視。でも、彼女は俺をまったく無視。なんかすげー腹立って、口を挟む。


「俺からって・・・俺何もしてないだろ?なんでそうなるんだよ?」

「だって、先輩あの場にいたじゃないですか。あたしが田村先輩を呼び出した日。一緒に体育館裏にいたでしょう?」

「だからって、俺があのことをショコに言うとでも思ったの?」

「思いました。私だったら絶対言いますから」

「一昨日も言ったけど、あんたのあの態度、どうかと思ったよ。俺呆れてたんだぜ?それなのに?」

「だって好都合じゃないですか、安藤先輩がた・・・・」

「やめろっ」
        

 あたりに響き渡る、低い声。それはユカでもショコでも、ましてやテツヤでもなくて。その意外性に、場の空気がぴたりと固まる。恐る恐る振り返ってみれば、声の主は今までおとなしく事の成り行きを見守っていた田村で。

 やばいと思った。奴を包むオーラが静かすぎる。そして、俺は知っているのだ。不気味なほどに落ち着いた田村は、実はこれ以上なく怒っているということを。これから、田村がどう出るのか。さすがの俺でもわからない。とりあえず、覚悟を決めて息を呑んだ。
  


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                             BGM♪スピッツ:夜を駆ける