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 部屋の空気が・・・重い。ここに来る前は、もっと楽しいこと考えてたけど、この雰囲気どうよ?亜門は『我関せず』って表情で、わざとらしい大げさな仕草でメシ食ってるし、牧野サンは1曲終わる度――ハルジオンに近づく度に少しずつ表情が険しくなっていく。こんな中で、楽しい会話が繰り広げられると思う?思わないだろ?思えないよな。俺なんて身を小さくしながら2人の表情伺っててさ。出来上がった餃子を鍋に放り込んで、無言で食べるので精一杯。

 嫌いな理由がわかるのはありがたい。でも・・・こんなに気まずい思いしてまで聞かなきゃいけないことなのか?ってか、亜門が強引過ぎるんだよ。また牧野サン泣いたらどうするつもりだよ。俺、フォローできないよ。たぶん、涙見たら動揺して自分でも制御できないほどの挙動不審に陥るよ。いいの?それでも。泣いた牧野サンと、壊れた俺。亜門1人でフォローできるわけ?

 ・・・などと心の中で叫んでいても、2人に届くはずはなく。だんまりの中、食事は進んでいく。ってか、これが食事か?楽しい団欒か?ああ、マジで帰りたくなってきた。


「・・・ねぇ、音楽止めていい?それかCD替えていい?」


 4曲目のイントロが始まったとき、牧野サンが小さな声でつぶやいた。ハルジオンは次だ。ということは、やっぱり嫌いな曲だってことで。もうこんな表情の彼女見たくなかったから、CD替えようと立ち上がるけれど。


「なんで?お前これ好きだったじゃん」


 亜門に制された。一瞬だったけれど、鋭い視線で睨まれ、俺は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。どうすることもできず、絶望的な気分を抱えながら、椅子に座りなおす。


「嫌いになったって、前言ったでしょ。だから亜門にCDあげたんじゃない」


 いつもとは違う口調。いつもからは想像できないほどの挑戦的な視線。こんな彼女は初めて見た。不謹慎だとは思うけれど、ドキドキする。今まで知らなかった彼女の一面に。


「そんなにムキになるなよ。たかが曲だろ?聞き流せば済む」

「そういう問題じゃない」

「じゃあ、どういう問題だ?」

「それは・・・」


 牧野サンの視界に、俺は完全に入っていない。牧野サンの脳裏から、俺は完全に消えてしまった。彼女の頭にあるのは、どうすればこの曲を聴かずに済むかということだけで。何?この必死さ。これじゃ、嫌いっていうよりも・・・むしろ怖がってる。『嫌悪』じゃなく『恐怖』だ。


「さっきこいつと話してて聞いたよ。学園祭で、ハルジオンやったんだってな」

「・・・・・」

「しかも、お前がリクエストしたんだって?」


 牧野サンが俺を見る。怒ったような、悲しんでるような、不思議な表情で。それは俺を責めているようにしか見えなくて、なんかすげー悲しくなった。他愛ない一言が、彼女を傷つけちゃったんだよね。奥田さんの時と一緒。俺の配慮が足りないから。


「・・・ごめん、さっき話してるときに、つい・・・」

「牧野、こいつを責めるなよ。CD見てるうちに音楽の話になって、偶然そこにつながったんだからな。マサムネは何も悪くない」

「・・・わかってる」


 すばやい、そしてさりげない亜門のフォロー。俺から持ち出した話なのに、亜門はしっかりかばってくれた。また、助けられた。安心したのと同時に、軽い自己嫌悪。そして屈辱感、というよりも劣等感。もし、この状態で亜門が亜門じゃなかったら・・・俺をフォローしてくれる奴じゃなかったら、今頃どうなっていたんだろう。きっと自分じゃどうしようもなくて、深い自己嫌悪に嵌ってた、きっと。


「とにかく、リクエストしたのはお前だろ。嫌いな曲をどうしてわざわざリクエストする?好きだからじゃないのか?」

「・・・違う」

「じゃあ何だ、あいつのこと、思い出したかったのか?」

「そんなんじゃない」

「じゃあ何だよ」


 亜門にじっと見つめられて、牧野サンの動きが止まる。動揺してるのが、手に取るようにわかる。うつむいて、体固くして。やっぱり見てるのは・・・辛い。


「・・・もういいじゃん。CD替えようよ。辛い思いしてまで聞くほどのものじゃないだろ?」


 音を立てて立ち上がり、コンポに近づく。キャッチボール――4番目の曲だ――が終わったところでタイミングよく停止ボタンを押し、亜門が最初に聴こうと言っていた『ポラリス』のCDに替えた。ゆったりとして、どこか淋しい、それでいてやさしいメロディが、部屋中に響く。

 再び、椅子に座る。隣の牧野サンをちらりと盗み見る。うつむいているからその表情ははっきりわからないけれど、でもさっきよりは落ち着いてるみたいで、少し安心した。でも、亜門の尋問は終わらない。


「牧野、福岡に来るとき約束したよな。どんなことも隠さずに話すって。だから俺はお前を連れてきた。緊急連絡先の保護者にもなってやった。そうだろ?」

「・・・それ、草野くんの前で話すことじゃないでしょ?それに、亜門にはきちんと報告してる。やましいことなんてしてないし、今回のことだってそうでしょ?ちょっと聴きたくなったから、ハルジオン演奏してほしいって頼んだだけじゃない。それを言わなかったことって、約束破ったことになるの?」

「お前がこいつに演奏頼んだ時点で、無関係じゃないだろ。それに、俺は今日このCDを聴きたかった。だけどお前がそれを嫌がった。理由を聞くのは正当じゃないのか?」

「・・・・・」

「どうして今日は駄目なのに、学園祭では大丈夫だと思ったんだ?」


 今までとは違う、亜門の声。心の奥にまで染みこむ優しい声。牧野サンを見るその目も声と同じように優しくて、こわばっていた彼女の体から、少しずつ力が抜けていくのがわかった。それと同時に、亜門をきつく睨んでいた表情も、少しずつ和らいでいって。泣きそうなそれに変化したときは、思わず俺まで泣きそうになった。

 俺は無関係じゃないと、亜門は言った。でも、突き詰めていけば俺は絶対に無関係で、この話に立ち入っちゃいけないと思う。でも、亜門がここまで牧野サンにきつく当たって、理由を突き止めようとするのも、半分は俺のせいで。俺がハルジオンをリクエストした理由を知りたがったから。今更だけど、心底後悔だ。俺が余計なことさえ言わなきゃ、今頃3人で仲良く餃子囲んで和気藹々とできたはずなのに。もういいよ・・・という言葉を、何度飲み込んだだろう。逃げ出したいけど、でもちゃんとわかってる。俺が撒いたタネなんだから、自分で刈り取らなきゃいけない。こうなった以上、最後まで目を逸らしちゃいけない・・・って。

どれくらい経ったんだろう。ポラリスのやわらかい歌声だけが響く部屋。空気は重くて、とても居心地が悪い。でも、牧野サンが口を開いた。


「・・・草野くんの声って、ちょっとハスキーで柔らかくて優しくて・・・高い声もキレイで・・・それなら大丈夫かな・・・って思ったから」

「・・・・・」

「・・・・・」


 どういうことなのか、よくわからない。何が大丈夫なのか、何が大丈夫じゃないのか。牧野サンの言葉はここで止まってしまった。でも、亜門は先を急かさない。だから、俺も急かさない。


「・・・この曲聴くと、あいつのことすぐに思い出しちゃって・・・だから聴きたくなくて。でも、草野くんの声で草野くんが歌うんだったら、もっと別のものになるんじゃないか・・・・って。そう思っ・・・」


 静かな部屋に、突然ケータイの着信音が響いた。この音は・・・俺じゃない。どうやら亜門でもないらしく、とすれば、必然的になっているのは牧野サンのそれで。

 ふと我に返って、彼女は少しだけ浮かんでいた涙をぬぐって、ケータイ持って外へ飛び出した。残される俺と亜門。2人の間の、少し気まずい空気。


「・・・あんた、セーカク悪すぎ」

「確かに、ちょっとやりすぎたかもな・・・」


 牧野、怒ったかな?と亜門は笑った。でも、その表情は少し楽しそうで、少し悲しそうで、少し心配そうで・・・とても一言じゃ言い表せない。中央の鍋の中では、くたくたになった餃子から中身が飛び出していた。


「でもな・・・あいつ、ああやって溜め込んだものを外に出させてやらないと、いつか限界超して壊れるから」

「・・・?」

「ただでさえあいつは無理してる。東京でのこと、いまだに引きずってる。だったら少しでも話させて、外に出させて、昇華させてやらなきゃいけない。そうしなきゃ、あいつはいつまでも過去を引きずって、過去に縛られなきゃいけない」

「・・・言ってる意味、全然わかんないんだけど」

「・・・もう少ししたら、お前にも説明してやるよ」


 亜門がそういった瞬間、また別のケータイ音が響く。ってか、この音は俺だ。部屋の隅においてあった吉田かばんから、ケータイ取り出す。外は牧野サンがいるから、亜門に促されるまま、とりあえずベランダに出た。そこでようやく画面を見れば、着信は田村からで。メールはしょっちゅう入るけど、電話がかかってくることなんて滅多にない。だから、ちょっと驚いた。


「もしもし?」


 通話ボタンを押し、電話を耳に当てる。その瞬間、いつもの寒気だよ・・・何?またなんかあったの?嫌な寒気も、これだけ重なると慣れちゃう。そして、こんなことに慣れちゃう自分が少し悲しい。


『あ、草野?』

「お前が俺にかけてきたんだったら、とりあえず俺は草野だけど・・・」


 田村の様子がおかしい。しゃべり方はいつもどおり、憎たらしいほどに冷静なんだけど・・・声のトーンが違う。いつもより、少しだけ上ずってる。それだけで、急に心配になってきた。


「何?お前どこにいんの?誰といんの?何してんの?」

『・・・そんなに一気に質問されても困るんだけど・・・とりあえず、いま藤崎駅の近くのマックにいる』

「・・・はぁ?」


 藤崎駅なんて、田村とは何の関係もない駅じゃないか。なのに藤崎駅?しかもマック?ちょっと、俺訳わかんない。


『で、とりあえずお前今からここまで来れない?』

「なんで?」

『よくわかんないけど、なんか大変なことになってるっぽくてさ』

「大変なことって?」

『奥田さん・・・だっけ?あの手紙くれた子。その子から電話かかってきて、ここに呼び出されたんだけどさ、何故か安藤さんまで一緒にいて、2人睨み合って一言も口聞かなくて、なんかやばそうなんだよね・・・』

「・・・お前、それを先に言えよ・・・」


 体中から一気に力が抜けた。なに、こんな大変なことになってるのに、田村の奴あんなに冷静だったわけ?確かに声がおかしかったから、何かあったとは思ったけどさ・・・まさか・・・ねぇ。


「とりあえず待っとけ。すぐ行くから」


 それだけ言うと、電話を切ってベランダを飛び出した。亜門や牧野サンには申し訳ないけど、でも仕方ない。田村の一大事・・・っつーか、ショコの一大事だ。
 かばんにケータイ入れて、肩にかける。と同時に玄関が開いて、血相抱えた牧野サンが飛び込んできた。


「牧野サン、ごめんだけど俺帰るわ」

「草野くん、悪いけど自転車乗せてくれる?」

「「藤崎駅まで行かなきゃ」」

       

 最後の言葉は、本当にきれいにハモッってさ、思わず2人で目を見合わせた。


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                               BGM♪bump of chicken:ハルジオン