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「小心者の草野くん、おはよう」


 月曜日、少し憂鬱な気分で登校した俺を、門のところで待ち伏せしていたのは、他の誰でもない、ユカだった。連休明けの朝だというのに、なんだかすっきりしないしかめ面してて。ゆっくり休めなかったのかな・・・と考え、そしてそれは自分も同じだということに気付く。肉体的にではなく、精神的に。


「・・・おはよ」

「土曜日曜と、ケータイの電源切りっぱなしで、一体何してたんでしょうね?小心者さんは」


 鋭い視線で俺の顔覗き込んで。刺さるようなそれに、俺はユカの目をまっすぐ見れないでいた。視線泳がせながら、少しずつ後ずさり。でもそのうち壁に背中が当たってさ、それ以上逃げることもできなくなっちゃって。なんだかよくわかんないけど、とりあえず小さな声でごめんと謝った。

 土曜日、亜門の店へ無理やり押しかけた日。奴の言った意味深な言葉の真意を探ろうとも、何枚も上手の亜門に俺が敵うはずもなく。仕掛けた攻撃はすべてのらりくらりとかわされてしまった。そうこうしてるうちにそこに坂口さんが加わり、話はまったく別方向へ。ま、楽しかったからそれはそれでいいんだけどさ。
 坂口さんは、福大に通う3年生で、大学の近くに下宿しているらしい。北九州市の出身で、俺と同じ年の弟がいるんだって。でも生意気で素直じゃなくて可愛くないとかって。

『マサムネくんって、どうしてそんなに素直で可愛いの?俺もこんな弟が良かった・・・』

 なんて言われて頭かいぐりされても、俺も困る。素直なのも可愛いのも、素だしさ。でも、こうやって可愛がられることに対して悪い気はしない。俺長男だから、こういう扱いされたことってないし。新鮮で、少しくすぐったかった。
 で、日曜日。ほんとのこと言って、ケータイの電源は・・・入れ忘れてたんだよね。鳴らなきゃ鳴らないでぜんぜん気にならないものでさ。部屋でごろごろ本――もちろん、漫画本だ――読んだり、気が向いたら勉強したり、メシ食ったりジュース飲んだりショコのこと考えたり悩んだり唸ったりしてた。早いうちに就寝して・・・朝起きて気付いたのだ、電源落としっぱなしだってことに。


「なんで電源落としてたわけ?昨日何度も電話したんだけど」

「いや、落としてたっつーか、入れ忘れてたっつーか・・・」

「入れ忘れてたってことは、つまりは電源落としてたってことでしょ?」

「・・・・・はい」


 怒り頂点に達したユカには、誰も敵わないと思う。おそらく、大親友のショコでさえも。表情とか声は落ち着いてるように感じるけれど、体から発せられるオーラはこの上なく恐ろしい。この小さな体のどこから、こんなおどろおどろしい雰囲気を醸し出せるのか・・・と、本気で不思議になってしまう。そして、短いようで長い友達生活の中で、こういう彼女には逆らわないのが一番・・・と、俺はちゃんと学んだ。


「どーせショコから電話かかってきたらどうしよう・・・とかバカなことで悩んでたんだろうけど」

「・・・はい」

「その後、どうなったかなんてぜんぜん知らないでしょ?」

「・・・知りません」


 そういえば。ドーナツにいるときのショコからの電話。日曜日の待ち合わせのことだったよな。ユカと図書館行くとかって。つまり、ユカは昨日ショコに会ってるわけで。


「・・・どうなったの?ショコのこと」

「どうなったもこうなったも・・・」


腰に手を当てて、大げさにため息をつくユカの姿に、悪いことを想像した。結局ばれちゃって、ショコが怒り狂って、奥田さんに決闘申し込んで、血まみれの2人・・・ああ、これも全部俺の責任?奥田さんの暴走を止められなかった俺が悪い?脳内完結したところで大きくため息。今日、2人はガッコに来てるんだろうか。


「別にどうもならなかったよ」

「だよね、あんな大事なこと田村にばれちゃったんだもん、ショコが怒らないわけ・・・って?」


 あれ?ユカ今『どうにもならなかった』って言った?それはつまり・・・何ともなかったってこと?一瞬にして思考回路がスパーク。えーと・・・どうにもならなかったってことは何も起こらなくて、何も起こらないって事はどうにもなってなくて・・・・
 校舎から予鈴のチャイムが聞こえる。5分後の本鈴が鳴り終わるまでに自分の席に着いていなければ、遅刻扱いとなる。とりあえず教室へ行こう・・・と促すユカに従って、混乱した頭で歩き出した。


「わからない・・・って顔してるよね」

「・・・うん」


 だって、テツヤが電話口ではっきり言っちゃったじゃないか。田村がショコの気持ち知ったら云々って。それでも何も起こらなかったなんて、納得いかない。ショコが自分の気持ちを田村にばらして欲しかったのなら話はわかるけれど、そんな話一度も聞いたことないし。


「日曜日、ショコに会ったらどうやってごまかそう・・・って、あたしも必死で考えたんだけどね、全部考え損だった」

「・・・というのは?」

「ショコに聞こえてなかった。バカテツヤの失言」

「・・・マジで?」


 なんか、体中の力が抜けていくのがわかった。風船みたいにしゅるしゅるしぼんでく感じ。力の抜けるままにしてたら、きっとその場に立ってられなくなってたね、間違いなく。でも、聞こえてなかったって、聞こえてなかったって・・・マジかよ。


「ほら、あの時あたしたちみんなで動いたでしょ?電話取り上げたり、頭ぐりぐりやったりして。雑音がすごかったみたいでさ・・・『突然電波届かなくなったね』とか言われたから、そういうことにしといた」

「じゃあ、心配事は?」

「なし。草野くんに教えてあげようと思って何度も電話したのに、ぜんぜんつながらないし。ほんと友達甲斐がないよね。冷たいって言うか、逃げ足だけ速いっていうか・・・」

「・・・ごめん」


 そんなこんなで教室へ到着。安心していいよというユカの言葉を背に受けつつ、自分の席――相変わらず教卓のまん前だ――へ着く。斜め後ろのショコはいつもと変わらない表情で『おはよう』と言う。ほんとに聞こえてなかったのかよ・・・という小さな疑問を持ちつつ、でもこれ以上墓穴を掘るわけにもいかないので、同じように挨拶を返し、椅子に座る。同時にチャイムが鳴り、程なく崎やんが教室にやってきた。朝の挨拶をして、連絡をして。その間中、俺はぼんやりと考え事。何事もなくて良かったとか、でもアクシデントも楽しいから、少しだけ残念だったとか、自分の意気地なさに嫌気が差したりだとか。

 今回のことは事なきを得たけれど、何一つ問題が解決したわけじゃない。奥田さんは田村を好きだし、田村は彼女と付き合う気はないし、ショコの気持ちは田村にばれてる。その事実がショコに伝わるのはきっと時間の問題――奥田さんが、ショコに対してこのままおとなしく引き下がるとは思えない――だろうから。うーん・・・奥田さんに口止めするべきか、それとも腹をくくってショコにありのままの真実を伝えるべきなのか。


「・・・草野、草野」

「んー・・・?」

「何ぼんやり考えてんだ?」

「んー、いや、ショコがね・・・」


 そこまで言って、我に返った。俺を呼んでいたのは崎やん。もちろん、何を考えているのかと尋ねたのも崎やん・・・ってことは。さーっと血の気が引く。俺、あらぬ誤解を生みましたか?生唾を飲む音が妙に大きく響く気がした。崎やんは俺の顔を覗き込んで、にやりと笑って。


「安藤がどうかしたのか?」

 と言った。・・・これってやばくない?なんか、すっげー誤解を招くような気がするんですけど。案の定、クラス中を見回してみれば、にやけた男子軍と、興味津々の女子軍。唯一事情を推測できるであろうユカは笑いを堪えてて、牧野サンもみんなとは違う表情で笑ってて、ショコは、なんだか腑に落ちないような表情をしていた。


「草野、俺が今何の話をしてたと思う?」

「・・・わかんないっす」

「体育祭で、3年生はフォークダンスをすることになった・・・って話なんだな。まさかお前、安藤と手がつなげるとか何とか、あらぬ妄想してたんじゃないのか?」


 崎やんの言葉に、クラス中が大爆笑。おいおい、待てよ・・・俺、崎やんの話聞いてなかったんだよ?それなのに妄想できるわけないじゃん。それに、妄想するならショコじゃなくて牧野サン・・・って、今はそういうことしてる場合じゃないんだってば!俺!!


「安藤に恋心を抱くのもいいけどな、ほどほどにしとけよ?まずは受験。安藤に付き合ってもらうのはそれが終わってからにしような」

「いや、だから違うって・・・」

「しかし草野、お前が好きなのはま・・・」

「崎やんその先言ったら俺本気で怒るよ!」


そうだ、Jupiterのスコアの件を思い出したよ。おそらく崎やんは、俺が牧野サンのこと好きだって気付いてる。しかし、それを公衆の面前で言おうとするかなぁ、この教師は。ちょっとムキになって怒鳴ったら、崎やんは悪い悪い・・・と言いながら顔の前で両手を合わせた。でも、顔がにやけてることが気に食わない。


「ってか、俺別にショコのこと好きじゃないし、手握っても嬉しくないし」

「否定するのは余計に怪しまれるぞ」

「って言うか、その言い草ってあたしに対して失礼じゃない?」


 今まで黙っていたショコが、突然割って入った。失言だったかな?確かにショコは可愛いし、うん、手を握れたら、少しは嬉しいかも知れない。前言撤回。


「ごめん、手を握れたらちょっと嬉しいかもしれない」

「そういうことじゃないでしょ!!第一草野くんが好きなのはつ・・・」

「ちょっと待て!それ以上言ったら俺だって言っちゃうぞ!ショコの好きなのは・・・」

「誰もあんたの好きな人ばらすなんて言ってないでしょ!こっちだってそれ以上言ったら・・・」

「2人とも落ち着け・・・」





 いつの間にかヒートアップしていた言い合い。気付けば立ち上がってショコと向き合ってたわけで・・・間に入った崎やんの笑いを堪えた表情が、苦しそうで滑稽だ。我に返り、なんか急に恥ずかしくなって。教室中見渡したら、やっぱり好奇の視線が痛くてさ・・・そして気付いた。もしかして、クラス中誤解してるとか?俺がショコのこと好きとか、俺らが付き合ってるとか・・・

 とりあえず、杞憂で終わりそうな気配がしない。連絡だけの朝のホームルーム。退屈な時間が終わって欲しくないと、高校入学してから初めて思った。





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