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 ショコが俺を心配してくれたのは本当に一瞬で、牧野サンからの追伸を伝えようと口を開いた時、彼女の姿は既になかった。見れば、軽くステップを踏みながら教室の道を辿る途中で。こりゃ困った。教室にいる牧野サンに、『いい事考えたね』とか『みんなで行こうね』とか、笑顔で迫るショコを想像したら・・・足が止まった。喜んでいるところに水を差すのも申し訳ないし、何より、それを伝えて自分の身に降りかかる不幸が怖かった。殴られるのはもちろんご免だし、睨まれるのだって嫌だ。うーん・・・と悩んで、とりあえず自販機を目指すことにする。好物のいちごみるくを買ってから考えよう。


「・・・実は、こんな展開になるんじゃないかなー・・・って想像してたんだよね」


 背後でぼつり、と呟く声がした。あまりに突然だったから、心臓が飛び出すぐらいに驚いて、ぴたりと足が止まる。ついでに、コインを滑らせようとした右手も止まる。
 ごくり、と生つば飲み込んで、恐る恐る振り返ると・・・


「・・・いつからそこにいたんですか?」

「ん?草野くんがショコに手紙取られた時から」


 意外にも笑顔を浮かべる牧野サンに、少しだけ安心する。けど、その『にこり』はすぐに『にやり』に変わって。あー・・・もう、そんな顔で見ないでよ。俺が悪かったよ。ほんとに悪かったって。


「僕が悪かったです」

「あたし何も言ってないのに」


 そりゃ確かに、言わないでって書いてある傍から、ショコにばらしてたりしてたけどー・・・と、そっぽを向きながらちょっとおどけた口調で言う。気まずくなって思わず俯く。牧野サンって、こんなに意地悪だったっけ?って、前も同じこと思ったような気がする。優しいようで実は意地悪だ。でも、俺はいつもそれを忘れて・・・微妙に裏切られた気持ちになっちゃうんだよなあ。なんだか損した気分。


「今頃、ショコはユカに相談してるだろうねー。『つくしが初詣の計画立ててる!』って。それを聞きつけた三輪くんが、『俺もユカちゃんと一緒に行くぞー!』って張り切って、ユカが呆れて、ショコが田村くんを誘う口実を考えて・・・」

「ごめんって。ほんとにごめんってば!!」

「そこに草野くんが行って、やっぱり牧野サンと2人で行きたいからって言うと・・・ショコとユカの目がぐっと険しくなって、般若みたいに牙が・・・」

「ストップストップ!!マジで怖いから!!」


 牧野サンの言葉をさえぎって、半ば怒鳴るように謝る。顔の前で両手を合わせて、頭をぐっと低くして。


「本当にごめんなさい。最後まで読まずに口にした俺が悪かったです」

「だからあたしは怒ってないって。謝る相手が違うでしょ?」


 苦笑しながら牧野サンが答える。確かに牧野サンは怒ってない。謝るべき相手はショコだ。でも・・・怖いんだよ。ショコに面と向かって謝るのは。そこにユカが加わったら・・・はは。もう、嫌だ。


「仕方ないから、ショコにはあたしから断ってあげる」

「・・・へ?」


 顔を上げると・・・やっぱり意地悪な表情の牧野サン。でも、すごく有り難い事を言ってくれたような気がするんですけど。


「草野くんが言ったんじゃ、ショコもきかないかもしれないし」

「ありうるけど、それってすっごく寂しいんですけど・・・」


 なんか、見下されてる感100%だ。


「どうしても2人で話したいことがあるからとか何とか言って・・・そりゃ、変な誤解は生まれるかもしれないけどね」

「変な誤解・・・ですか」


 その言い方も、微妙にショックだ。俺は牧野サンと誤解されたらこの上なく嬉しいのに。


「そのあたり深く突っ込まれないうちに、田村くんを誘って4人で行ってきたら?ってけしかけてみるよ」

「・・・それは名案だね」


 変な誤解、されるのは嫌みたいだけど、牧野サンは。


「その代わり、この貸しは高いよ?大宰府行ったら、何かワイロをもらわなきゃ」

「・・・へい」


 未だ『変な誤解』発言を気にしてしまう、小さな俺。変な誤解、変な誤解・・・いいじゃん。いい誤解じゃん。2人きりで行きたいなんて、両思いの代名詞みたいなものじゃん。彼氏と彼女っぽいじゃん。でも、牧野サンにとってそれは『変な誤解』なんだね。・・・って。


「大宰府?」


 その言葉にびっくりだ。まあ、初詣と言えば大宰府だけどさ、一応、俺達受験生だし。正福寺とか愛宕神社とか、歩いていけるような近場の神社で、除夜の鐘突いて帰ってくるだけだとばかり思ってたのに。大宰府。大宰府左遷で悲運な人生を送ったなんて言われてるけれど、実は57歳まで京都で酒池肉林の生活――かどうかは知らない――を謳歌して、左遷3年で泣きながら死んじゃった、菅原道真公を祭った学問のメッカ。そりゃ、受験生といえば大宰府だけど・・・そうきましたか。


「そう。大宰府。飛び梅で有名な大宰府。長い人生の中で、一度は行ってみたい大宰府。そして・・・受験勉強も、ここまで来たら神頼みだろ!・・・って草野くんが思ってるに違いない大宰府」

「いや、そんなこと思ってないって・・・」


 100%そう言いきれない自分を悲しく思いながらも、一応反論。でもそうか、大宰府か・・・ちょっと元気出てきた。電車乗って境内までの坂を歩いて・・・うわ、ちょっと『デート』っぽいじゃないですか。『牧野サン、寒くない?』『ちょっと・・・』『じゃ、こうすればあったかい?』なんて、1人スノースマイルごっこ――かの有名な歌の歌詞にあるのだ。『冬が寒くって本当に良かった 君の冷えた左手を 僕の右ポケットにお招きするための この上ないほどの理由になるから』と――に花を咲かせてしまう。これは道真のおじさんに大感謝だ。左遷されてくれてありがとう!


「ま、そんな感じでプランはお願いします。あたしまだ福岡には詳しくないから」


 牧野サンの声で我に返る。おっと・・・やばいやばい。変ににやけてなかったかな。きりりと気持ちを引き締めて、代わりにショコのことはお願いします、と頭を下げる。そしたら牧野サンまで同じように頭を下げるから・・・顔を見合わせて、思わず2人で笑った。


「何時頃でかける?」

「その辺もお任せするよ」

「初詣って行ったら、やっぱり夜中に出てくよね。間に合えば除夜の鐘突かせてもらって、境内に行くまでの道で梅が枝餅とか食べて、おみくじ引いて木に結び付けて・・・寒いから防寒はしっかりしなきゃ」

「あ、寒いといえば・・・」


 牧野サンが、何かを思い出したように目を見開く。それを横目に見ながら、当初の目的――イチゴミルクを買うことだ――を思い出した俺は、右手に握り締めていた100円玉をコイン投入口に滑り込ませながら、どうかしたの?と訊いた。


「亜門がね、風邪引いたの」

「・・・へえ、それは珍しい」


 あまり耳にしたくない名前に、思わす顔をしかめる。しまった・・・と思ったけど、牧野サンは気付かなかったみたいだ。


「高熱出しちゃって、お店も休んでるんだよ。ホント珍しい・・・っていうか、社会人失格なんだけどね」

「・・・そだね。今度会ったら馬鹿にしてやろ」


 教室への道のりを牧野サンと並んで歩きながらそう答える。けど、その『今度』ってのは遠い遠い未来のことなんだろうなぁ・・・と思った。





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