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 二学期の期末試験が終わった。・・・と言って、手放しに喜べる時期も終わった。期末試験終了、すなわちこれ『センター試験まであと1ヶ月ですよないても笑っても最後の追い込みですよ!』ということで。流石の俺も、焦りを感じちゃうわけです。この間の模試も結果が返却されたけど、『よっしゃ!志望校合格!』と喜べるようなシロモノではなかった。でもそれを見せた母さんは『全然勉強してないと思ってたあんたでも、一応はやってるのね・・・』なんて目を丸くしてたけど――自分の息子を何だと思ってたんだか、あの人は。そりゃ、確かに成績は上がったけど・・・3つまで書く志望校、第3志望だけAランクがついた。初めてのAランク。けど、そこは自分が行きたいわけじゃなくて、この程度なら俺の学力でも何とかなるだろう・・・という予想で書いただけで。第一志望は見事に『D』。目を皿のようにして何度も見直したけど、D。Bではなく、D。合格率40%前後のD。結果を返してくれる時、崎やんが変な顔で笑ってた。まあ、入れそうな大学があっただけで良しとしよう、今回は。直井なんて顔面蒼白だったもん。あやのちゃんと同じ志望校書いたらしいけど、全部Eだったって。E、説明には『合格率20%以下。再検討を要す』って書いてあるけど、そんなの建前で。実際は『お前の成績でそんなレベルの高い大学入れねーよ。もっと下げろ、志望校を』ってことだもんな。辛いよな、Eは。ちなみに、九大を狙う我が親友の田村くんはBだったらしい。むかつくことに。しかも数学の成績さえもっとよければ確実にAとか。おかしいな、高校に入った頃――というか、つい最近まで、同じくらいの成績だったのに僕たち。何時の間にこんなに突き放されたんだろう。でも、こんなこと田村には言わない。『そんなの、お前が誰かさんにうつつを抜かしてる間に決まってるだろ』と冷たく言われるのは目に見えてるから。

 というわけで、今日はクラスマッチの日。と言っても、一致団結の下、我がチームを優勝に導くべく汗水流して・・・というのは、1,2年生の話。切羽詰った3年生にそんな優雅な時間が許されるはずもなく。


「ええなぁ・・・」


 たった10分の休み時間、いちごみるくのストロー咥えて窓の外を見る。5角形の模様のボールを蹴り競う野郎どもや、小学校の頃以来手にした記憶のないゴムボールを、敵陣に向かって思い切り投げる女の子たち。みんな真剣で、でもどこか笑顔で。体育館で繰り広げられている光景も、これとほぼ同じだろう。・・・うらやましい。実に羨ましい。『期末試験終わったもんね。もう勉強から解放されたもんね。あとはクリスマスとお正月でお小遣い色々もらって、今日優勝できたらそれで言うことないもんね!』という気持ちが体中からにじみ出ているような気がする。それに引き換え、何なんだこの3年生の校舎は。学校中から放たれる解放オーラを、すごい勢いで遮断しようとしている、気がする。分かりやすく言えば暗い。怖い。重い。意識して校庭の様子を目に入れないようにしている。そんなに気を張っても、勉強なんて身に入らないだろ。勉強する環境としては最悪。ガッコ側ももうちょっと考えて欲しいよね。3年生をクラスマッチに参加させろ、とは言わない。せめて俺らが卒業してからやってくれればいいのに。


「ええなぁ・・・ホントに」


 同じ声がもうひとつ。手摺にもたれかかって、お茶のストローを咥えて、ぼんやりと外を眺める直井は、俺と全く同じことを思っているらしい。


「いいよなぁ、寒空の下一致団結で燃えゆる若い魂・・・って。俺たちなんて、あと5分後にはまた授業だもんなぁ・・・しかも俺なんて、あやのっちと同じ大学に通うのが『不可能』だって烙印押されたもんなぁ・・・」

「・・・別にいいじゃん。実際は同じ大学行きたいわけじゃないし」

「そりゃそうだけどさ・・・でもショックじゃん。彼女との・・・こう、頭の出来の差?を見せ付けられちゃうって?」

「・・・疑問系で言われても、俺分かんないし」


 直井の志望校は俺と同じ、美大の写真科。まあ、それすらもおそらく無理って噂だけど。でも遅刻のせいで、英語の点数がほとんどないことを差し引いたら・・・やっぱり、E。でも成績はだいぶ上がったそうなので、そこのところ本人は満足しているらしい。再来週、最後のマーク模試があるから、そこで名誉挽回・・・とまではいかないけど、まあ盛り返しをはかるんだろう。それは俺とて同じ。


「・・・なあ、ホントにいいのか?」

「何が?」

「亜門さんと坂口さんに報告しなくて」

「・・・いいんじゃない?」


 聞きたくない名前と、触れられたくない話題。表情が硬くなるのが自分でも分かった。でも、窓の外を眺めている直井は気付いてないみたいだ。少しホッとして胸をなでおろす。


「でもさぁ、懇切丁寧に分かりやすく教えてくれたじゃん?そりゃ、ちょっと・・・かなり怖かったけどさぁ。成績上がったのってやっぱりそのおかげだと思うし、お礼くらい言いたいんだけどなー。人として」

「・・・」

 人として。嫌な言葉だ。全く嫌な言葉だ。いや、全く直井の言うとおりだ。貴重な時間を割いて俺たちに勉強を教えてくれた坂口さん・・・と、ついでに亜門。そりゃ、模試の結果を持ってお礼を言いに行くのが『人として』の筋だろう。でも無理。絶対無理。亜門がいない、坂口さんオンリーの店にだったら喜んで行くけど・・・店長――あの亜門が不在の日など、おそらくない。よって絶対無理。


「1人で行けば?店の場所覚えてるだろ?」

「えー、あんなオトナの店に1人で行くのはちょっと勇気がない。お前と一緒なら余裕だけどさ」

「じゃ、田村と行けば?田村だって行った事あるんだし」

「田村は関係ないじゃん。勉強会のときはいなかったんだしさぁ・・・」


 それに・・・と言いかけたところでチャイム。直井にとっては邪魔な、俺にとっては助け舟のチャイム。悪魔の50分間が始まる・・・なんてわざとらしいため息つきながら、直井は席に戻る。これ以上突っ込まれなくて良かったと・・・安堵のため息をつきながら、俺も席に戻る。ホントは、俺だってちゃんと分かってるよ。行くべきだって。坂口さんにも亜門にも、『これだけ成績上がりました』って見せに行くべきだって。坂口さんはいつもどおりの温和な笑顔で『良かったね』って言ってくれるだろうし、亜門はいつもの口調で『報告する間があったら家で勉強してろ』って嫌味を言うだろう。でも、ご褒美として何か飲ませてくれるに違いない。――もちろん、本人の口からそれが『褒美』であることは語られないだろうけど。何もかもが『いつも通り』だってことは分かってる。でも。


「授業始めるぞ」


 いつか、俺と直井にゲンコを喰らわせた数学のセンセが、勢い良くドアを開く。前みたいに宿題忘れました、なんてことはなく。きちんと指定された問題を解いたページを開いて準備をする。どうだ、前の俺とは違うんだ・・・と、ちょっとだけ胸を張ってみるけど、『受験生がなにを言う』と突っ込まれればそれまでなので、声に出したりしない。

 『いつも通り』で済まない理由、それはもちろん俺の胸中で。思い違いだったとかガキとか、この間言われた言葉は、まだ消化できずにいる。亜門が俺をどう評価していたのかとか、どの部分が、どうガキだと思われたのか、とか。誰だって過小評価されるのは嫌だし、だからといって過大評価されるのも困る。ガキだと言われればむかつくけど、オトナだと言われてもどういう振る舞いをすればいいのか、分からなくなる。ショウネンって結構ナイーブなんだな・・・と思い、ふと『ナイーブ』という言葉の意味を思い出した。未熟で世間知らず。確かにその通りだけど・・・ちょっと、傷つく。

 亜門に言われたこと、勉強の合間に色々考えてみた。東京とか福岡とか牧野サンとかドウミョジとか。でも、どう考えてもやっぱり分からなくて。どうして牧野サンが福岡に残ることがいけないのかとか、亜門がそれに反対するのかとか、福岡残留を賛成した俺がガキなのかとか。それはやっぱり・・・


「ごめんなさい」


 突然、机がガクンと揺れて、シャーペンやら消しゴムやらが床に飛んだ。一瞬『地震か?』って身構えたけど、すぐにそれは違うと分かった。だって、牧野サンが机の隣で謝ったから。もう授業終わったの?なんて思ったけど・・・今、宿題の問題を黒板に書く人、当てられてたっけ。


「机の脚、蹴っちゃった・・・」


 ちょっと申し訳なさそうな顔をして、牧野サンはかがんで落ちたものを拾い上げる。


「あ、いいよ。俺拾うから」



「もう拾っちゃった。はい」


 手渡された青いメタリックのシャーペンと、細かいところが消しやすい『カドケシ』――もう少し柔らかいと誠使いやすいのに、といつも思う――と、もうひとつ。


「・・・?」


 可愛く折られた、これまた可愛いメモ用紙。俺のじゃない・・・よね?これは。それを持ち上げて牧野サンに手渡そうとしたけれど。


「・・・・」


 にっこり笑って、やんわり返されてしまった。えーと・・・つまりこれって・・・俺宛ですか?授業中だけど硬直。授業中だけど妄想開始。誰にも分からないように、こっそり渡してくれたこの手紙は・・・つまり、俗に言うところの・・・ラブレター・・・ってやつ、でしょうか?


BGM♪bump of chicken;とっておきの唄
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