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「送ってくれてありがと」

「どういたしまして。それと送らせてくれてありがと」


 どんなお礼だよ、と突っ込みたい気持ちは山々だけど、テツヤにしてみれば心の底から本気なのだから仕方ない。冗談でも何でもなく、ユカを送れたことを心の奥底から喜んでることは、その表情を見れば誰にでもわかる。だらしなく垂れた目と、だらしなく伸びた鼻の下。そしてだらしなく笑う口。・・・端から見てかっこいいものじゃない。むしろ隣に立つのはご遠慮したい顔だ。しかしまあ、よくここまで表情を崩せるものだ。テツヤだって普通にしてればそれなりにカッコいいのに。

 藤原家――母親と2人暮らしだというユカは、こ洒落た2階建てのアパートに住んでいる――の玄関先で壁にもたれる俺は、『風邪引かないように温かくしてね』とか『寝坊しないように早く寝てね』とか、まるで母親のように小言を繰り返すテツヤを辛抱強く待っていた。部屋の中からは『うん』とか『わかった』というユカの小さな声が聞こえる。しかしユカも偉い。何だかんだでテツヤを邪険に扱うけど、こういうときは最後までちゃんと付き合ってやるんだから。・・・送ってもらった手前、邪険にはできない・・・っていうのもあるだろうけど。


「じゃあ俺達帰るからね。また明日ね」


 暇を告げるテツヤの声が耳に届いたので、俺も少しだけ顔を覗かせて、軽く手を上げた。


「なんか無理やり付き合わせちゃってごめんね」


 申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせるユカに、いつか倍返ししてもらうからいいよ、と言う。もちろん冗談半分で。だけど。


「まかせて。三倍返しするから。こいつが」


 とテツヤを指差して笑う。指を指されたテツヤは嬉しそうに破顔して、


「任せろ!三倍返しするから、俺が」

と、自分を指差した。・・・心の底から幸せな奴だ。


「まずは手始めに、ちゃんと草野くんのこと送って行ってね」

「任せて!ちゃんと家まで送り届けるから!」


 兵隊よろしく、テツヤは『気をつけ』の姿勢をとり、顔の前に手をかざし、敬礼のマネをする。そして使命感に燃えた目は、まるで炎がメラメラしている・・・ように見えた。しかし、いくらほぼ無理やりつき合わされたとはいえ、家まで送ってもらうのは悪い。・・・テツヤに。


「西新の駅まで送ってくれればいいよ。そうすればテツヤも帰りやす・・・」

「ダメだって。『家まで送る』って約束したんだもん。それは守らなきゃ」


 俺の言葉を遮って、ユカが反論する。そりゃ約束ってか、そう言ってはくれたけどさ・・・送ってくのはテツヤだし。自分の家を通り過ぎてまで送ってもらうのは流石に忍びない。しかもチャリの2人乗りで。相手がユカなら軽いし嬉しいしでテツヤも鼻歌気分だろうけど、相手は俺だ。ユカを乗せるのとは天と地ほども違うだろう。やっぱり・・・


「いや、でも・・・」

「大丈夫、任せて。家までしっかり送り届けるから!こいつが」

「任せろよ!家までしっかり送り届けるから!俺が」

「・・・よろしくお願いします」


 ・・・もう、何を言っても無駄のような気がしてきた。ここは大人しく、家まで送ってもらうことにしようか。しかし、この時間はちょうど晩ご飯時で。流石に送ってもらって『ハイサヨナラ』ってわけにもいかない。俺が首に縦を振ったことで満足したのか、テツヤは『最後の名残』でユカにお別れの挨拶を始める。その隙を狙って、ケータイで家に電話。コール2つで母さんが出た。


「今から帰るんだけど、テツヤも一緒なんだけど・・・」

『テツヤくん?田村くんじゃなくて、テツヤくん?』


 母さんが不思議がるのも無理は無い。だって『田村ん家行ってくる』って家を出てきたんだもん。親をだまして――そんな大そうなものでもないけど――出てきたことは忍びなく思いつつも、ここでゆっくり状況説明をするわけにもいかない。とにかくテツヤなの、と無理やり話を丸め、晩ご飯が残っているかと聞く。


『カレーでよければあるわよ。テツヤくんの分も』

「んじゃ、2人分取っといてよ」

『おまけでオムレツも焼いておくわ』


 流石母さん・・・と褒め称えようと思ったけど、後に続いた『本当はカツカレーだったんだけど、あんたの分、もう無いから』という言葉に、その気持ちは跡形もなく消えた。いや、母さんが悪いわけじゃない。だってそんなことするとは思えないから・・・俺の脳裏には、悪魔の触覚を生やし、意地汚く笑う2人の姿が浮かぶ。

『兄貴いないぜ』
『カツ・・・あまってるね』
『・・・食っちまう?』
『食っちまう』
『最初から『無かった』ことにしとけば、絶対ばれないな』
『そうだね・・・』




 という、いかにも頭悪そうな会話まで聞こえてくる。帰ったらどう締め上げようか、あのバカ共を・・・

『あとどれくらいで着くの?』

 母さんの声に、ふと現実に戻される。そうだ、今から帰るんだっけ、俺。大体の目安を伝え、電話を切る。テツヤもちょうどユカとの別れを終えたらしく、眩しいほどの笑顔で『帰るぞ!』と言った。・・・俺が電話してる数分の間に、一体何があったんだ?この世にも奇妙な笑顔の訳が。


「お前、ウチで晩ご飯食ってくだろ?カレーだって。オムレツ付き」

「マジで?めちゃ嬉しいんですけど。カレー大好き。オムレツも大好き」


 お前んち豪勢だな・・・と嬉しそうに笑うテツヤに、『本当ならカツカレーだったんです』とは言えなかった。何も知らなかったら俺だって小躍りしてたけど・・・実情を知ってしまった今、手放しでは喜べない。ああ、知ってしまうのはある意味罪なのね。こんなことなら知らなきゃ良かった。大人になるって事は、知って後悔することなのかしら・・・と、ふと思った。


「んじゃ、出発しますか」

「お願いします」


 ハブ――2人乗りするために、自転車の後輪につける棒だ――に足をかけ、自転車にまたがったテツヤの肩を持つ。『出発していいか?』と聞かれたので、いつでも、と答えた。


「んじゃね、ユカちゃん、また明日〜」

「明日な」


 ひらひらと手を振ってようやく出発。軽快に進みだした自転車。いざ行かん、オムレツカレーの待つ我が家へ。






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