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自分でも成長しないなあ、と思う。嬉しいこととか悲しいことがあると、何となく亜門の店を訪ねたくなるなんて。こと牧野サン絡みの事に限り・・・でもないな、最近は。模試の点取り方法とか、プライド捨てて聞きに行ったし。

 いつも通り、田村とバカ話――今日の話題は、専ら直井の事だった。冷たい態度で奴ののろけ話を一蹴した田村だったけど、実はずっと気にしていたらしい。全く、根は優しいというか、素直じゃないというか・・・だ――に花を咲かせながら家へ帰り、着替えをして戸棚を探る。育ち盛りの高校生、たかが弁当程度で晩飯まで腹が持つはずもなく。おそらくバカの所有物と思われる食べかけのスナック菓子――袋に大きく『タ』と書いてあった――を見つけ、それを頂戴する。いつも迷惑かけられてるんだ、これくらい食ったってバチも当たらないだろう。冷蔵庫のミネラルウォーターをグラスに注ぎ、菓子も持って自室に戻る。そいえば田村からドラえもん借りたんだった。とっとと読んでとっとと返そう。空き袋をゴミ箱へ投げ込み、グラスをシンクへ戻す。そろそろいい時間かな・・・と、玄関で靴を履き『田村んとこ行ってくる』と嘘をついて家を出た。

 毎度のこととはいえ、亜門のところに行く時の言い訳にさせてくれる――とは言っても、一度も許可を求めたことはないけど――田村くんには大感謝だ。敬意を表して、心の中で合掌。いつか大人になったら、2人でカウンターに座って、あの店でグラスを掲げたいね・・・なんて勝手な夢を見つつ、室見駅から地下鉄に乗っていざ天神へ。学校帰りの学生なんかで賑わうメイン通りを抜け、何度も通ったことがある、けれど普段では足を踏み入れることはない細い路地を歩き、遠慮勝ちに木製の重いドアを開けた俺を迎えてくれたのは、いつもと変わらぬ温和な笑顔を浮かべた坂口さんだった。



「いらっしゃい。模試の結果報告?」


・・・温和な顔してても、言うことは結構辛辣だ。しかも、模試はほんの数日前に実施されたばかり。いくら何でもまだ返ってこないよと答えると、分かってるよとカラカラ笑った。・・・温和な顔してても、言うことは結構意地悪だ。


「自己採点はどうだった?」

「・・・まあまあ、だと思う。数学はほぼ完璧、だと思う」


 それは嘘じゃない。数U、数Bとも解けなかったのは最後の設問の最後の問題くらいだったから。マークミスという初歩的なミスを犯していなければ、両方合わせて170点は軽いんじゃないか、と思う。坂口さんのスパルタのおかげです・・・と、多少嫌味を含めてお礼を言うと、生徒の出来が悪いと教え甲斐があるからね・・・と、軽い嫌味が帰ってきた。・・・全く。温和な顔してても、やるときはやる人だ。


「で、今日は亜門さんに用?」

「んー・・・そういうわけじゃないけど、何となく」


カウンターの椅子に腰掛けながらそう答えると、坂口さんは苦笑しながら磨いていたグラスを置いた。6時にオープンしたばかりの店内には、まだ客の姿はない。混みだすのは、1、2時間後なのかな。綺麗なOLさんや、ダンディなサラリーマン。酔って我を忘れるような客は、この店には来ないんだろうな、なんて事を考えていると。


「浪人覚悟で開き直りか?こんな時期にこんな場所で油売ってる受験生」


背後から、聞き覚えのある嫌味――さっきの坂口さんの優しい嫌味とは違い、本家本元本物のそれだ――な声がした。振り返ると、近くにあるドラッグストアの袋を持った亜門が、呆れた表情でため息をついた。あれ、おかしいな。ドアが開くベルの音なんて、全然聞こえなかったのに。お疲れ様です、と言いながら、坂口さんがグラスを差し出す。もちろん俺の前に。シュワシュワと音を立てる黒い液体は、どこからどう見てもコーラだ。しかも、アルコールなしの。


「なに、遅刻?坂口さんに店任せて」

「バカ、足りないものの買い出しに行ってたんだよ」


 ほら、と差し出した袋の中には、高校生にはなじみのないまっさらの領収書と、柔らかティッシュ――1箱ウン百円の、家じゃ絶対に使えない高級品だ――が2箱。ティッシュなんて店に置いてあったかな?ああ、酔った人にだけ特別に出すのか・・・と思ったけれど、それはどうやら違うらしい。亜門の自宅使いだって。いいな、高くて柔らかいティッシュ使えて・・・って、問題はそこじゃない。やっぱり体の良いさぼりだ。坂口さんに店任せて、個人的な買い物行ってるんだもん。

「領収書終わってるの、さっき気づいたんだよ・・・オーナーに発注かけるよりも、買いに行った方が早いからな」

「ふぅん・・・」

「家のティッシュが切れてるの思い出して、ついでに買ったんだよ。文句がないならその話はここで終わり」


 なんか、軽くかわされた気分。そうこうするうちにソムリエエプロンを着け、レジカウンタに領収書をセットした亜門が戻ってきた。俺の顔をじっと見て、何でここにいるんだ?と野暮なことを聞く。坂口さんに答えたように『何となく』と答えてみたけれど・・・さすが亜門さま。俺のことを坂口さん以上にわかっていらっしゃる。


「牧野と何があったんだ?」


 意地悪そうににやりとしてそう言った。『牧野と何かあったのか?』じゃないところが亜門が亜門である所以であるというか何というか。きれいさっぱりお見通しってわけですね。別に・・・とシラをきることもできるけど、どうせあとからばれることだし、後々面倒なことになるのは御免被りたいので、牧野サンが進路決めたみたいだね・・・と、あくまでも自分には無関係ですよ!というオーラを噴出させながら言ってみた。今日、話をしてたらそんな話題になったんだよ・・・と。


「進路?・・・ああ、こっちで進学するって事ね」

「知ってんの?」

「朝、あいつが学校行く前にたたき起こされた。で、そうやって言われた」


 寝付いた3時間後って、1番眠りが深いんだよな・・・と少し不服そうに付け加えた。亜門に対して同じ事を何度かしたことのある俺としては、少々耳が痛い言葉だな・・・なんて。こっそりと亜門から目を反らすと、今度は隣に立つ坂口さんと目が合う。思いっきり苦笑されて、どうにも恥ずかしくて今度は俯いた。全く。2人そろって意地が悪い。


「しかし驚いた。進学を勧めてたのは俺だし、そう決めたことには賛成だけど、まさかこっちに残るなんて。進学するなら絶対東京に戻ると思ったのに・・・」


 この身にしみる気まずさを少しでも晴らそうと、俯いたままコーラのストローを加えていた俺は、思わず空気を逆噴射しそうになった。必死でこらえたけれど、先走った空気はグラスの中でゴボボボボ・・・と音を立て、甘い匂いを放つ液体が外へ飛び散る。汚いな・・・と顔をしかめた亜門はクロスを放り、大丈夫?と笑う坂口さんは、手を拭くためのタオルを渡してくれた。

 ・・・って、亜門にとって予想外なのか?牧野サンの選択は不服なのか?頭の中で色んなことがぐちゃぐちゃになって、落ち着こうとした俺はとりあえず『トイレ』と言って席を立った。




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BGM♪スピッツ:夢じゃない