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 約束だから、と自販機に向かう牧野サンの背中は、とても小さく見えた。と同時に、この小さな背中で、今までどれだけ大きな物を背負い続けてきたのだろう、と考える。東京であった事とか、家族と離れ、1人九州に来たこととか。もし俺が牧野サンの立場だったら、そんな自分の運命に耐えられるのかなとか、俺は弱いから、傷ついてボロボロになって立ち直れなくなるんだろうな、とか。そんなことを思ったら、何故か彼女を抱きしめたい気持ちでいっぱいになった。でも、彼女は俺の恋人でも彼女でも何でもないから、そんなことはできないけれど。


「何飲む?コーヒー?それとも紅茶?ココアとかコーンスープもあるよ?」


 自販機の前で振り返った牧野サンに、思わずどきりとした。ヨコシマな事考えてたの、ばれてないかな・・・なんて、ほんの少しだけ沸いた後ろめたい気持ちを持て余しつつ、横からカフェオレのボタンを押す。もちろん、あったかいやつ。落ちてきたそれをポケットに入れ、ありがとう、と小さく呟いてからくるりと回れ右。何か、彼女の顔を見ちゃいけない気分。そんな俺の動揺を感じたのか、牧野サンは少し笑った声で『どういたしまして』と言った。そして、自分もボタンを押し、缶を取り出すと『戻ろうか』と俺を促した。もちろん、マリの待っているベンチまで。


「何買ったの?」

「ん?ココア」


 ほら、と目の前に差し出されたそれには、茶色の地に金色の丸が描かれていて。まるで月のように見えた。今日のような三日月ではなく、大きな満月。


「寒い時には甘いものが欲しくなる、って言うでしょ?」

「疲れたとき、だと思うんだけど・・・」

「・・・そ、だよね」


 はは、と力なく笑って、沈黙。ベンチに戻り、プルトップを空けてカフェオレを一口飲む。ミルクと砂糖の甘さが口の中いっぱいに広がって・・・ちょっと、後悔。甘さのないブラックにしとけばよかった。隣に座った牧野サンも、同じようにココアを一口飲んで、ふぅ・・・と一息。そして


「・・・どしてわかっちゃったのかな・・・」


 と小さな声で呟いた。それは俺に宛てた問いかけなのか、それとも自分に対する謎かけなのか瞬時にはわからなくて、答えていいものか悩む。どうしてわかったのか。きっとそれは、牧野サンのことばかり考えていたから。勉強会のときからずっと、彼女が俺に伝えようとしていたことは何だったのかな・・・って。考えて考えて、きっとそうじゃないかな、と思い当たって、今日、結論に達した。っていうか、あんな牧野サンを目の当たりにしたら、気付かない方がおかしいと思う。

 牧野サンは、それからずっと黙ってるから、さっきの言葉は俺に宛てたものなのだろう。どう切り出せばよいのか・・・と迷って、でも、適切な言葉が見つからなくて。


「・・・今日、家に帰ってから父さんが買ってる雑誌を読んでたんだ・・・」

 本当は違うけど。山になった雑誌の束から、古い雑誌を探し当てたんだけど。


「そしたら、今日星のふるさとで見かけた奴らが載ってた。茶色いサラサラの髪の奴と、黒いサラサラの髪の奴と、茶色い、ちょっと長めの髪の奴」

「・・・・・」

「牧野サン、その直前にすごい驚いた顔して逃げ出したから、何か関係のある奴らなのかな、と思ってその記事読んだら、日本の財界のジュニアとか書いてあって・・・だったら、牧野サンの彼氏・・・ドウミョウジと関係があるのかな・・・って」

「・・・・・」


 こういう時、自分が情けなくなる。どうしてもっと気の利いた物言いができないのか、とか、こんな直球以外の言葉が投げられないのか、とか。不器用なのは仕方がない。だからといって、人を傷つけていいわけじゃない。


「偶然福岡に遊びに来てただけで、牧野サンとは全く関係ないのかな、とも思ったけど、だったら、きっと牧野サン昔の友達だって喜んで話しに行くだろうな・・・って考えた」

「・・・やっぱり、変なところで鋭い」


 やんなっちゃうなぁ、と軽く笑って牧野サンはマリを呼んだ。小さな声で『マリ』と。彼女は嬉しそうに小さく吠えると、尻尾を振って牧野サンの足元にじゃれ付く。リードが短いから、少しだけ苦しそうに見えた。よしよし、とかマリはいい子だね、なんて言いながら喉や腹をなでてやると、気持ちよさそうに喉を鳴らす。俺がそうしてやっても、そんな表情見せないくせに。

「・・・逃げたのは、反射的に・・・なんだ。進――弟から、2週間くらい前に連絡があったの。花沢類からあたしの居場所をしつこく聞かれて、とうとう根負けしたって。でも、進にもあたしに対する罪悪感みたいなものがあったらしくて、『本州にはいなくて、もしかしたら九州に行ったかもしれない』とか、かなりごまかしたみたいだけど。あ、花沢類っていうのは、草野くんが言うところの『茶色いサラサラ髪』の人」

「うん・・・」


 雑誌に載ってたから知ってる、と言おうと思ったけど、その言葉は飲み込んだ。いや、今日あの3人を見た時点で、なんとなくわかってた。1人だけ雰囲気違ってたし、牧野サンのこと、心配してる空気を漂わせてたし。


「正直に言うとね、一瞬嬉しかったの。予想外の場所で、知ってる顔を見つけたんだもん。本当はそのまま駆け寄りたかったんだけどね・・・ふと我に返ったら、怖くなっちゃったんだ。だって、花沢類だけじゃなくて、西門さんや美作さんまでいて・・・あの2人も一緒だって事は、単純にあたしに会いに来てくれただけじゃないな・・・って。そうじゃなかったら考えられるのは道明寺絡みだって事で。でも、今更あいつの記憶が戻ったとか言われても困るし・・・とにかく、自分の中で、すごいパニック起こして・・・気付いたら、逃げてた」

「・・・・・」



 現状は複雑だ。そして分からないことが多すぎる。3人が福岡に来た理由も、ドウミョウジの現状も、牧野サンの気持ちも。そんな中、ただひとつ明確なことがあって。


「・・・嫌だったら・・・ゴメン」


 小さくそう断ってから、ベンチに投げられた牧野サンの左手に、そっと自分の手を重ねた。やりすぎかな、と思ったけど、そうしたかったのだから仕方ない。ただひとつ明確なこと。もちろん、牧野サンに悲しんで欲しくないっていう俺の気持ち。彼女の手はひんやり冷たくて。ココアもきっと冷めているんだろうな、と思った。もちろん俺のカフェオレも。

 手を握って、どうこうしたかったわけじゃない。ただ、わかって欲しかったんだ。福岡にいる牧野サンは、独りぼっちなんかじゃないって。もちろん、俺なんて何の役にも立たないだろうけど、でもこうして話を聞くことはできるし、寂しいときに隣にいることもできる。牧野サンが望むんなら、抱きしめる事だってできる。・・・少し、緊張するけど。


「・・・嫌じゃ、ないよ」


 少し間をおいて、牧野サンがそう言った。握られた手を少し強張らせながら。





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