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 固まった牧野サンの顔は、正直ちょっと面白かった。目を真ん丸くして、口は半開きで。思わず笑いそうになったけど・・・今の状況じゃ、それは流石にやばいだろ。笑って怒られて、肩をバシッと叩かれて、ハイそれでお終いよ・・・などという、いつものほのぼのパターンで終わるとは考えられない。とりあえず、牧野サン?と声をかけて、目の前で手を振ってみる。


「・・・どしたの?大丈夫?」

「あ・・・・」


 俺を見て、そしてさっき目を真ん丸くした『モノ』をもう一度見て。何か言おうとして、けれどそれを飲み込んで。牧野サンの身に何か起こったのはわかる。けど、何が起こったのかわからない。同時に、俺に何かを訴えてるのはわかるけど・・・何を訴えているのかは、わからない。そんなことを2.3度繰り返して、意を決したように何かを飲み込むと、くるりと踵を返し、走り出した。


「え?ちょ・・・」

「ごめん!トイレ行ってくる!!ショコたちに言っておいて!」

「え?だってトイレって・・・」


 トイレなら、この建物の中にあるよー・・・・と言う俺の言葉もむなしく、牧野サンの姿は瞬く間に小さくなっていった。向かう先は・・・さっきのプラネタリウム?え?何で?牧野サンの意図が、全く読めないんですけど・・・


「牧野さん、どうかしたのか?」


 反対隣の田村が、不思議そうな表情で振り返る。


「さあ・・・」


 俺にも分かんないと答えながら、牧野サンが目を真ん丸くした『モノ』を見ようと、その方向に視線を走らせて・・・何だか、不思議な気持ちになった。遥か前方、こちらに向かって歩く3つの人影。それは背の高い男ばかりで。1人は黒髪、1人は少し明るい茶色の髪を肩くらいの長さまで伸ばしてて、もう1人は、日に透けて金髪に見える髪の持ち主だった。・・・あれ、何かこの人達・・・俺、見たことある?でも、こんな派手な奴ら、一度見たら忘れないと思うんだけど・・・


「草野?」

「あ。先行ってて」


 ショコユカを追ってパン屋に入ろうと、ドアに手をかける田村にそう声をかける。何か・・・気になる。この中途半端な記憶もだし、牧野サンのあの態度もだし。あの3人を近くで見れば、何か思い出すかな。わざとらしくケータイ取り出して、メールを打つふりしながら、歩き出す。もちろん、3人に向かって。画面に集中するように見せかけて、実は聞こえる声にとにかく集中する。声を聞けば思い出せるかな。それとも、話している内容で。妙に緊張しながら、右手と右足一緒に出てないよな・・・なんてバカなことを考えながらゆっくり足を運ぶ。


「・・・だからさー・・・」


 声が届くところまで来た。うーん、黒髪の声に、記憶はない。それに同意するよう、長髪が何か言葉を発したけれど、その声もまた。うーん、直接話したわけじゃないのか?それとも、知っているということ自体が勘違い、とか。確かに、勘違いはよくする俺だけど、記憶力は悪くないと思う。と言うよりも、むしろ良いと思う――勉強ができるできないは、記憶力とは関係ないのだ、ということにしておこう。一体どこで・・・


「まあ、類らしいといえばらしいけどな・・・」


 長髪の言葉に、黒髪が頷く。と言うことは、金髪もどきが『類』っていう名前なのか。ん・・・類?最近どこかで・・・


「・・・・あっ!!」


 自分でも、驚くくらいに大きな声が出た。もちろん、周りにもしっかり聞こえていたわけで・・・平日ということもあり、俺たち城南生の他に、ここを訪れている客はまばらだ。けれど、その数少ない皆さまが、例外なく俺を振り返る。長身3人組もしかり。この気まずさをどう回避すりゃいいんだ・・・と、とりあえず俺は『独り言が癖の男子高校生』を演じるべく、ケータイの小さな画面に向かってぶつぶつ文句を言い始める。フライデーされるなよ馬原、とか、小笠原は移籍か・・・とか。何も映っていない画面を見つめて独り言を言うのは難しい。役者になんか、絶対なれないな・・・なんて、ちょっとどうでもいい事を思った。

      

 ・・・と、そんなことはどうでもいい。『類』って、類って・・・数ヶ月前、玄海の家――過酷な学習合宿をやった場所だ――でのことを思い出す。2日目の夜、牧野サンは花火大会の途中に抜け出して、弟からの電話に出たんだっけ。そのとき、確かに彼女は言った。『花沢類には絶対にあたしの居場所教えないで』と。あの3人組を見た牧野サンはその場から逃げ出して、3人組の1人の名前は、類。これは単なる偶然か?

 他に、核心を突く事を言わないだろうか。もっと何か話せよ!と心の中で毒づきながら、くるりとUターンして3人の後に続く。さっきの奇声で、とっくに『変な高校生』扱いだろうから、ケータイの画面見つめたままの俺が後に続いたって、大しておかしいとは思わないだろう。というか思わないでくれ。


「いいじゃん。星、見たかったんだもん」

「そんなの東京でも見れるだろ・・・っつーか、ホームシアター買え。で、部屋で見ろ。お前の部屋なんて、ベッドとテレビ以外ないんだから、そりゃぁ綺麗に映るだろうよ」

「カクカクした部屋で、プラネタリウムなんて見ても楽しくないし。って言うか、2人とも勝手についてきたんだから、文句言わないでよね。ホテルで待ってれば良かったじゃん。それ以前に、福岡までついてくる必要あったの?まだ、ホントかどうかわかんないのに」

「本当だったら悔しいだろ。感動の再開を、お前に独り占めされたくない」

「・・・俺は独り占めしたい」


 『類』と呼ばれる奴は・・・なんか、変な男だ。話す声もその口調も、どこか人と違う。のんびりっていうのか、ぼんやりっていうのか・・・あくせくしてないっていうのか、浮世離れしてるっていうのか。しかし、『東京』とか『再開』とか、『ホントかどうか分かんない』とか、ぴったり合致するキーワードが盛りだくさん、だ。これは、決まり・・・なのか?この男が『花沢類』で、牧野サンが逃げ出した原因だ・・・って。

 本当はもっと尾行――とは少し違うか――を続けたかったけれど、いつの間にかパン屋の前に戻ってしまって。仕方ないからここで断念、だ。3人の後ろ姿を見つめながら、牧野サンが彼らに見つからないといいな、と思った。と同時に、彼らは牧野サンに何をするつもりでここまで来たのだろう、と不安になる。黒髪が言っていた『感動の再開』をするためだけに、わざわざ本州を離れたこの地まで、探しにきたりしないだろう。『福岡に来ても頑張れよ』などと、今更別れの挨拶をしに来た、なんて余計に考えられない。ということは、理由は1つだ。牧野サンを東京に呼び戻すため。彼女は俺にこう言いたかったんだろうか。『東京の人たちに、自分の居場所がばれた』と。


「・・・・」


 いや、独りよがりの勝手な妄想は危険だ。特に俺の場合は。牧野サンはもっと別のものを見つけて逃げ出したのかもしれないし、3人の言葉の中には、『牧野』という言葉も『つくし』という言葉も、出てきていない。もしかしたら、城南生の中に東京からの転校生が他にもいるのかもしれない。俺たちの知らない、理系クラスや専門クラスに。わざわざ福岡に来たんじゃなくて、偶然福岡に来る用事があっただけかもしれない。うん、偶然がいくつも重なっただけかもしれないんだ・・・・


「草野?」


 茶色の紙袋を片手に持った田村が、見せの扉を半分だけ開いて顔を覗かせる。


「ソーセージとかハッシュドポテトとかのパンもあるぞ。カレーパンも美味そう」


 ホクホク顔の田村が、妙に生き生きとした声で言った。見る限り、自分の分はしっかり確保しました、ってところか。早く買わないと売り切れるぞ、なんて言うから、『友達なら、俺の分も買っとけよ!』と可愛くない言葉を返した。

 そう、さっきのはきっと偶然なんだ。牧野サンの居場所は、東京の奴らにばれたりなんかしてない。彼女は卒業まで、この福岡で平穏に暮らすんだ。勉強して受験して、大学生になるんだ・・・と、自分に言い聞かせる。けれど、それは自分が一番よく知っている。俺の悪い予感は、十中八九外れないこと。

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BGM♪カルマ