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 英語が終わったつかの間の休憩時間も、30分しかない昼休みも、直井は自分の机で突っ伏してるだけで、誰とも、一言も口をきこうとはしなかった。何も知らない平井や久慈は、直井がやる気になったのは良い事だ、とか、今日が本番じゃなくて良かったな、とか、笑いながら慰めたりしてるけど・・・事情を知っちゃってる俺――と田村――としては、とてもとても、笑い飛ばすような気分にはなれなかった。きっと『今日が最後の追い込みだ!』って意気込んで、寝る間を惜しんで勉強した挙句の悲劇だから。あやのちゃんとの約束を守るつもりが、自分から破棄したようなカッコになっちゃったら、そりゃ悔いても悔やみきれないってもんだ。


「・・・アレ、どうするんだろうな」


 カレーパンにかぶりつきながら、田村があごで直井を指す。態度は横柄だけど、その表情は心配そのもので。何て返事をしたらいいのか、ものすごく困った。どうするもこうするも、直井自身じゃなきゃどうにもできない問題だし。俺があやのちゃんに『直井は頑張ったんです。今回はちょっと無理がたたって寝過ごしちゃっただけで・・・』って土下座してすむ問題なら・・・いや、土下座はしたくないな。


「俺、崎やんに聞いてこようかな・・・」

「何を?」

「全教科終わった後、英語だけ受けなおせないか?・・・って」

「そりゃ無理だろ。全く手をつけてないならまだしも、半分でも解いちゃってるんだから」

「・・・そうだよな」


 いつも冷静沈着な田村くんをちょっと恨めしくも思いながら、小さなため息ひとつ・・・って、実際俺も、人のこと心配してる余裕はないんだけどね。午後1番は国語。その後には『160点取れるよね?』と、坂口さんに半分脅迫めいたことを言われた数学が控えているのだ。・・・まあ、今更足掻いたって仕方の無いことではあるんだけど。

 なんて、田村と直井を心配しつつバカ話をしてたら、あっという間に昼休みは終わり。崎やんが問題持って教室に入ってきたから、問題集やらペットボトルやらをバッグにしまって、試験を受けます!っていう体勢を作る。国語は可もなく不可もなく、って感じだ。古文漢文さえしっかり押さえておけば100点は保証されたようなもの。現代文は・・・運次第だ。内容の取り方なんて、人によってそれぞれ違うし。間違えて開設読んだって腑に落ちないことがあるんだもん。真面目に勉強するだけ損って気もしなくもないのだ。

 読み慣れない古語をや漢文を読んで、ぐりぐりと解答欄を塗り潰していたかと思えば、時間はあっという間に過ぎてしまい、目の前の問題用紙には、地層とか遺伝とか、そんなコトバの羅列が。マークシートを見ればほぼ埋めてあるし、時計を見れば、模試全体の終了予定時刻の5分前。・・・ちょっと、今日の俺の集中力ってすごいかも。間に休憩挟んでるはずなのに、その記憶すら全くといっていい程ないんだもん。もしかして、途中から心配になった亜門や坂口さんが乗り移って問題といてくれたとか?・・・いやいや、それはありえない。なんてお得意の妄想を馳せてたら、崎やんの『終わりだぞー』という声が響いた。解答用紙を後ろから前に回し、全部が崎やんの手に渡ったところで『解散』という言葉が響いた。みんな、荷物をまとめて『疲れた』とか『難しかった』とか、思い思いのことを言いながら教室を出て行く。俺も、帰り支度は終えたけど・・・どうしてもこのまま帰る気になれなくて。


「・・・・」


 直井の隣の席へ、腰を下ろした。田村も心配だったのか、直井の前の席へ座る。当の本人は、休憩中と同じように机上でだれていて。なんて声をかけたらいいのか分からなくて。考えた挙句、『終わったぞ』なんて、間抜け以外の何モノでもないことを口走ってみた。

                           

 教室を見渡してみる。心配そうに直井や俺や田村のことを忙しなく見る牧野サンは、事情を知らないショコとユカにつれられて教室を出るところだったし、当事者であるあやのちゃんの姿は、既になかった。最後まで話をしてた平井たちも、ボディバッグを背負うところだった。奴らが出て行けば、教室は完全に空――もちろん、俺と田村と直井を除いて、だ――になる。ガタン・・・と音を立てて扉が閉まったとき、少しだけ教室内の空気が軽くなったような気がした。


「・・・俺らも帰ろうぜ」

「・・・・・」

「今回のことは仕方ないじゃん。あやのちゃんに、ちゃんと理由話してさ・・・」

「・・・・・」

「あやのちゃんだって、ホントはお前と別れたくないんだから、話せば分かってくれ・・・」

「ま、どんな理由にしろ約束不履行は事実だよな」


 せっかく優しい言葉をかけて直井を慰めてたのに、隣から田村が口を挟む。しかもかなり辛辣なこと言うし。『それはきついだろ!』って田村を睨んでみたけど、俺の睨みなんて何処拭く風、厳しいコトバをバシバシとぶつける。


「体調管理ができないのは、他の誰でもない自分のせいだし。そう考えれば、寝過ごしたのも自分の責任だろ」

「田村、それは言いすぎじゃ・・・・」

「田村の言うとおりだよ」


 今度は、俺の言葉を遮って直井がそう言った。机に突っ伏したままだから、声がくぐもっていてはっきりとは聞き取れなかったけど。『今回のことは、マジで俺が悪い・・・』って、今度は顔を上げて抑揚のない声で言う。


「・・・2人とも、心配掛けてごめん。あと、亜門さんと坂口さんにも謝らなきゃ。せっかく親身になって教えてもらったのに、結果がこんなのだもんな・・・」

「・・・・」

「帰ろうぜ。いつまでもここにいたって仕方ない」


 直井が立ち上がろうとした瞬間、教室の扉がカタ・・・と鳴った。3人で音のした方を見る。半分ほど開いた扉の影には、帰ったとばかり思っていたあやのちゃんが立っていて。少し怒ったような、少し笑ったような、複雑な表情で。その姿を見た直井は、石のように氷のように瞬時に固まっちゃって。それを見た俺と田村まで、何故か緊張した。


           


「・・・帰ろ」


 少しの沈黙の後、消え入りそうな小さな声であやのちゃんがそう呟いた。それは本当に、本当に小さくて。俺たちの耳に届いたのが不思議なくらい。きっと、最大級の勇気を振り絞ったんだろうな、って、あやのちゃんのこと、よく知らない俺でもわかった。直井は、一瞬だけ泣きそうなくらいに顔をくしゃくしゃにして、のろのろと立ち上がる。俺と田村を気まずそうにちらりと見て、ゆっくりと、あやのちゃんが立つ扉へと歩いていった。


「・・・これって、一件落着なのか?」

「ま、そうじゃない?」


 扉がゆっくりと閉められてから、ゆうに3分は経っただろうか、遠慮がちに田村に聞いてみる。すると案外平凡な答えがすんなり返ってきちゃって。ほっと一安心するとともに、どこか、拍子抜けしたような気がした。なんか、色々心配したことが全部徒労に終わったような、でも丸く収まってよかったような。


「日直でもないのに、最後まで教室に残るっていうのも珍しいよな」

「・・・そういえば」

「・・・俺らも、帰るか」


 田村の声を合図に、同時に立ち上がる。多少の疑問は残るけど、とりあえず晴れ晴れとした気持ちでガッコを出られるのだから、ここは良しとしよう。明日からいつもの毎日が始まるけど、模試が終わった次の日くらい、息抜きしてもいいかな、なんて受験生にあるまじき事を思ったりした。

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