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「やっぱり俺、自信ないよ・・・・」



 半分泣き声で、なぜか電柱の影に隠れて出てこない直井の腕を引っ張り、『自信を出せ!』と怒鳴る。こいつ、変なところで引っ込み思案っつーかおとなしいっつーか女々しいっつーか・・・約束の時間まで、あと少ししかない。勉強教えてくれって俺がお願いしたんだから、俺が遅刻するわけにはいかないじゃん。それを知ってか知らずか、さっきからこの有様。全く・・・
 あれから。帰る俺と牧野サンを外まで見送ってくれた亜門と坂口さんにお礼を言うと同時に、今日の約束をもう一度確認した。もちろん、勉強見てもらう、ってやつだ。坂口さんは相変わらず温和な笑顔で『待ってるからね』と言ってくれた。けど。

『坂口、お前んちにこいつ呼ぶくらいなら、うち使え』

 と、亜門が横から口を出したことにはびっくりした。だって、あんなに俺のことバカにした上に突き放したのに、だよ?てっきり見放されたとばかり思ってたのに。目を真ん丸くして驚いてる俺を尻目に、坂口さんは驚く様子を見せるでもなく、『そう言うと思ってました』なんて穏やかに言うし。何も言えない、埴輪状態の俺を置いてけぼりにして、よくわからない会話がポンポンと飛び交う。結局、亜門の家に6時、坂口さんが来てくれて、亜門も勉強見てくれて、その上牧野サンまで参加することに。でも、それは嬉しい。牧野サンと一緒に勉強できるのは、腹の底から嬉しい。嬉しいついでに、図々しいお願い事をひとつ。『俺くらいやばい友達、つれて来ていい?』ときく――この場合の『友達』は、もちろん田村じゃなくて直井だ――と、『何人でもつれて来い』という、ありがたい言葉が返ってきた。

 ・・・という経緯を経て、今ここ――亜門のアパートの前だ――に、直井と一緒に居るわけだが。しかし弱った。人懐っこくて明るい直井は、初対面の人――今日の場合は、亜門と坂口さんだ――に会うのが嫌、なわけじゃない。緊張して上手く話せない、と心配してるわけじゃない。彼らに教えてもらっても、成績が上がらなかったら・・・という、ネガティブなことを考えて、なぜか引っ込み思案になっているのだ。でも、俺は思うのよ、たとえ2人に教えてもらった結果、そんなに成績上がらなくてもいい・・・って。だって、俺が1人で勉強したって、良くてプラマイゼロ、悪かったらマイナスだ。だったら、少しでもプラスになった方がいいじゃん。・・・というようなことを直井に熱弁してみるけれど、やつは頭をフルフルと振るだけだ。


「・・・実は、あやのっちとすごい約束しちゃったんだよ・・・・」


 青い顔して頭を振る直井が、ポツリとそう呟く。そして続いた言葉は・・・


「・・・・今度のマーク模試で、700点取るって言っちゃった・・・」

「・・・・・」
              


 一瞬、思考回路が停止。そして考える。えーと、センター試験は、英国数が200点満点、そして理・社が100点満点の800点満点だ。あ、でも理社は2科目受けられる――実際、文系じゃ理科は1科目しか勉強しないから不可能なんだけど、あてずっぽでマークして出すのは本人の自由だ――から、実質1000点満点ともいえるけど。1000点中700点だったら、正答率7割。・・・絶対無理、って話じゃない。


「1000点中700点ならいけるだろ。・・・頑張れば」

「・・・800点中」

「・・・・・・」

「・・・しかも、『取れなかったら別れる』って・・・・」

「・・・・・」


 思考回路が再びフリーズ。えーと・・・状況を整理しよう。まず、直井はセンターの・・・というか、受験勉強をほとんどしていない。そして、今度の日曜日はマーク模試だ。そしてこいつは、通常5科目800点満点中、700点を取ると、愛しい彼女と約束した。ちなみに、その場合の正答率は87.5%。万が一取れなかった場合は別れる、と・・・・


「・・・直井くん、君は今までのマーク模試で最高何点取ったんだい?」

「・・・400点」

「それって、正答率50%だよね?」

「でも、それすら滅多に取ったことない」

「ちなみに、今回自信の程は?」

「あったらこんなに悩んでないだろ」

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・ってお前バカかぁ!!」


 状況をしっかり理解した俺は、思わず直井の胸ぐらつかんでそう怒鳴る。何を約束してんだこいつは。そりゃ確かに『模試で成績上がったら、あやのちゃんに遠足デートしようって誘え』ってけしかけたのは俺だ。でも、そんな高得点取る約束しろって言った覚えも、こんな勝ち目のない賭けをしろと言った覚えもない。一体何を考えてるんだこの男は。


「だって、だって仕方なかったんだよ!」


 心底情けない表情浮かべて、それでも胸ぐらを掴む俺の腕を必死に掴んで、直井が抵抗する。もう、ほとんど泣き顔って言っても過言じゃない。でも・・・ちょっと面白いかも。


「俺だって、そんな約束したくてしたわけじゃないやいっ!でも、男だったらちょっとカッコいいとこ見せたいじゃないか!相手はあやのっちだぜ?俺の愛するあやのっち。彼氏が彼女にカッコいいとこ見せて何が悪い?!お前だって牧野さんにいいとこ見せたいだろっ?!」

「カッコいいとこ見せたきゃもっと別のやり方があるだろ?!バラの花束贈るとか、バラの花束贈るとか・・・・」

「お前だったら、牧野さんにそんな事できるか?『君の歳の数だけこの花をプレゼントするよ』とか、そんなこっぱずかしいこといえるのか?!」

「でも、だからってそれはないだろっ!何だ、お前の男の美学は『自爆』かよ?!第二次世界大戦で、片道のオイル積んで敵の戦艦に突っ込む特攻隊がカッコいいのか?」

「だってあやのっち頭良いんだもん。そのあやのっちより、良い点数とってこそ男じゃん・・・」

「・・・・・」


 胸ぐらを掴んでいた手を離して、大きく溜め息。直井の気持ちがわからない、ワケでもない。そりゃ生きるか死ぬかの瀬戸際――・・・は言いすぎか――に立たされてる身としては、そんな勝算のない賭けをするのはどうかと思うけど、彼女の前じゃ、カッコいいトコ見せたいよな。しかも、あやのちゃんは副級長だし、国立文系の中では、両手の指で足りるくらいの順位を取るくらいに頭良いし。ちなみに、1本指で足りるのは、我がクラスの級長、平井だ。


「でも俺、今モーレツに後悔してるよ・・・」


 がくーんと、地面に埋まっちゃうんじゃないか、ってくらいに俯いてそう言う直井の声は、ほぼ涙声。慰めようにも、かける言葉が見つからない。こんなにテンション低いヤツと勉強して、俺って大丈夫なのかしら・・・と、自分のテンションまで落ちてくる。はぁ・・・と溜め息をついてふと視線を上げると、玄関のドアを開けて顔を出した亜門と目が合った。よう、と言うように手を軽く上げ、隣の直井に視線を移す。軽く首をひねって、玄関のドアを閉めて俺たちに向かって歩いてきた。



「遅かったな、牧野もう来てるぞ」

「うん・・・」


 ちらりと直井を見たけど、俯いてるその姿はさっきと変化ナシ。亜門が小声で『友達?』と直井を指差す。小さく頷くと、いつものにやりとした笑顔を浮かべて、直井の肩をぽんぽん、と叩いた。そして『気楽になれ』と笑って言う。するとどうだ、俯いてた直井が微かに顔を上げて、苦笑しながら首を縦に振った。コレには俺もびっくり、だ。まさか、亜門にこんな特技――っていうのか?があるなんて。

 そうして3人で亜門の部屋に入った。牧野サンがシンクの前に立って『おにぎり作ったから』と笑う。坂口さんは、もうすぐ着くそうだ。こうして和やかに始まった勉強会が・・・・あんな地獄の勉強会になるだろうとは、全く予想できなかった。


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BGM♪スピッツ:スパイダー