2.



長い遠距離恋愛の果てに念願の結婚の日を迎えたのは、つい3ヶ月前のことだ。

幸せすぎて目が眩む、それはきっとこういうことを言うのだ。
ずっと知らぬまま暮らしてきて、いきなり手の届く距離に差し出されたものだから、文字通り夢のような生活に、実は戸惑うとか味わうとか余裕もなく、無我夢中で掻き抱くような、そんな絶頂の毎日だった。





仕方ないじゃないか。
目覚めれば隣に必ず彼女がいる。
欲しくて焦がれてやっとやっと手に入れた、彼女の寝顔がすぐ横に!!

冷静になれという方が無理な相談で、




「つくし・・・・」

まだ眠りの中にいる彼女を、思いっきり抱き締められないのは拷問に近い。
だから乱れた彼女の黒髪に指を通してみたり、丸い額を露にして軽く弾いてみたり、

「・・・ん・・・もう朝?」

目を擦りながらくすぐったそうに竦ませた裸の肩に、そっと口付けてみたり。

「っ!」

瞬間、首筋まで赤く染めて飛び起きる仕草も可愛くて。
窓を照らす朝陽も明るい時刻だというのに、仕事も立場も忘れてしまう。

「時間なんか気にすんな。誰も来やしねーよ。」

幸い使用人達も、邪魔をされた司の報復を恐れてか?
この時間、二人の部屋の扉を開ける勇気のある者は誰一人いない。
このまま見境なく押し倒せたならどんなにいいだろう。


でも彼女の理性は石より鉄より強固なのだ。

「ダメ!子供じゃないんだから遅刻なんて格好悪い!ぐずぐずしてると先にシャワー使っちゃうよっ?」

普段、外出先での待ち合わせには、特に悪びれるでもなく平気で遅刻するくせに。
仕事に関して彼女は頑ななほど律儀で、司としては少々面白くない。


財閥の概要から歴史、株式、経営のノウハウ、またはパーティーでの作法や語学に至るまで、つくしはそれらの特別に組まれたプログラムをこなす傍ら、楓に命じられた通りメープルホテルの仕事を手伝っている。
いきなり彼女を道明寺の主要部門に配置するのは無謀だという楓の判断であった。

だが、そんなもんは所詮、嫁いびりの口実に決まってる。
母親とはいえまったく、相変わらずの汚いやり口。
ババアなんかにゃ勝手に言わせて、仕事もプラグラムも放っておけばいいんだ。

しかしその司の忠告に、負けん気の強い彼女がはいそうですか≠ニ素直に頷くはずもなく、受けて立ったとばかりに挑む姿は、勇ましいというか何と言うか。

少しぐらい頼ってくれと思うのは、男の我儘だろうか。

だから時々、くだらない悪戯を仕掛けたくなるのも、彼としては仕方がないことで・・・。





そそくさと布団を引き寄せながら、ベットの周りへ視線を泳がせるつくし。
ところが、昨晩、脱ぎ散らかしたままのはずのパジャマが見当たらない。

「・・・あれ?」

胸元の布をしきりに気にして、困り顔をきょろきょろさせている。
その横で、司の口から忍び笑いが漏れた。

つくしは素早くそれを察知すると、拳骨を頭の上に振りかざして脅しの体勢。

「ちょっとあんた、隠してるでしょ?ふざけてないで返してよ。」

「どうせ脱ぐんだろ?そのまま行けば?」

当然、その程度の脅しに司が怯むはずもなく、静観の姿勢でせせら笑うと、
すかさず彼女を隠す布団を引っ張った。

「ギャッ!!」

短い悲鳴があがると同時に、思いがけず司の心臓も跳ね上がる。

「うっ・・・!」


無防備に晒された彼女の素肌。
前のめりに隠した胸元は見えないものの、強張る背中は小さく華奢で、めくれたシーツの上に横たわる白い両足が目に眩しい。


ダメだ、ヤバイ!!鼻血がでそうだ。


しまった!!と舌打ちするがもう遅い。
強情な彼女へのささやかな意地悪のつもりが、仕掛けたこっちが罠にはまってしまった。

「ヤダ・・・ッ」

すっかりうろたえて俯く彼女の項や腰のくびれ、背筋に沿って散らばる朱色は、まさに彼自身が施したものだとわかってはいるものの、鮮やかに色付く昨夜の痕跡を陽の光の下こうもありありと目の前に突きつけられては堪らない。
ごめんと言って乱れた身なりを整えてやればいいけれど、彼女の恨めしげな上目遣いも可愛くて可愛くて、可愛いすぎる!!






ついに司の我慢の糸がプツンと切れた。


もう〜朝だろうが昼だろうが関係ね〜!
我慢できない!ヤってやるっ!!!



「つくしっっ!!!」

が、野獣の形相で圧し掛かろうとする彼に、ハッとするつくし。

「信じらんない!!バカ!カス!ヘンタイ!エロ男ッ!!」

彼女の鋭いパンチが命中したのは言うまでもなく────







──── と、まあ確かに、他愛のない痴話喧嘩(だと思っている)は数え切れないほどあったろう。
結婚してから数ヶ月、調子にのって少しばかりやり過ぎもあったかもしれない。

でもそれは、言い換えればちょっと辛口のスパイスのようなもので、バカップル上等、
正真正銘まぎれもなく甘々の新婚生活だったはずなのだ。







それがどうしてこうなるんだ?









気付いた時には何やら物思いにふけて、話し掛けると不機嫌面。
かと思うと、じーーっと鋭い視線を投げてきたりもして、極めつけは今朝の彼女。
この7日間のつくしの変貌振りに、あれこれ考えて悶々とする司。

彼の憂鬱な雨は、まだ止みそうにもなかった。