四月。
 入学式も無事に済ませ―――とは言っても、かったるくて出席すらしていないのだが―――
 晴れて大学生になったとは言え、今までの生活ががらりと変わるわけではない。
 毎日足を運ばなければいけない校舎が少し遠くなったことと、
 いつもうるさく騒いでいた司がいなくなっただけ。
 些細な事だと思っていたけれど、それが結構、堪える。
 ・・・・・あらゆる意味で。




 
 腕時計を見れば、もう3時を軽く回っていた。
 こんな時間に登校・・・というのもおかしいが、講義を受けに来たわけではないからいい。
 学園の門をくぐり、向かう先は高等部。
 きっと、あの場所にいる。
 いつもみたいに足を投げ出して、ぼんやりと空を仰いでる。
 そして、はるか彼方の『あいつ』を想ってる。


 大学部と高等部を隔てる、手入れの行き届いたパティオ―――本当は、『哲学の森』なんて
 たいそうな名前がついているらしい―――に差し掛かる。
 そのまま通り過ぎてしまおうとして・・・・・何故か、気になった。
 視線を木々に移せば、自然と視界に映る、彼女の姿。

 

 張り詰めた表情で、大きな桜の木に向かい、思い切り両手を広げる。
 薄紅色の花びらが、春の風に、はらはらと舞い落ちる。
 木々の間から差し込む木漏れ日と、小さな花びらを全身に受ける彼女は
 まるで、この地に舞い降りた天使のように清らかだった・・・・・











 「・・・・・何してんの?」

            



 暫くの間、不本意ながらもその姿に魅入ってしまった俺は、なるべくさりげない口調を装って
 そうする彼女の背中に声をかける。

 「・・・・・ん?」

 儚い微笑を浮かべながら、彼女が振り返る。
 いつもなら、自分の奇行―――というのか?―――を恥じ、訳もわからず挙動不審になるところだが、
 どうしてだろう、今日はそのままの姿で、再び桜の木へ視線を戻した。

 「・・・・・・珍しいね。花沢類がこんな所にいるなんて」

 「・・・非常階段行こうとしたら、あんたの姿が目に入ったから・・・」

 そっか・・・と、小さく呟いた。
 
 「・・・・・で、何してんの?」

 答えてもらえなかった質問を、もう一度投げかける。
 そうしている間にも、桜の花は風に舞い、まるで牧野をパティオの奥に誘っているようにも見えた。

 「・・・・・桜にね、なれたらいいと思って・・・・・」

 今日の牧野は、いつもに増して変だ。
 今までの奇行に、今の奇妙な発言。
 ・・・でも、その言葉をすんなり受け入れてしまう自分も、もしかしたら変なのかもしれない。

 
 牧野は、桜になりたいんだ・・・
 桜になって、風とともに散ってしまいたいんだ・・・・・





      
      
    


       



                

 どのくらい、時間が経っただろう。
 ゆっくりと手を下ろし、牧野が俺を振り返る。
 その瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。

 「まだ1ヶ月なのに・・・・・辛くて仕方がないの」

 「・・・・・・・」

 「たった1ヶ月なのに、会いたくて会いたくて、仕方ないの・・・・4年間なんて長すぎる。
  あたしは信じて待ってるのに、もし道明寺が向こうで他の人と・・・なんて想像するだけで、
  気がおかしくなる」

 「司に限って、そんなこと・・・」

 「わかってる」


        


 浮かんでいたはずの涙が、雫になって頬を伝わった。 
 ・・・もう、壊れかけてる。
 
 「全部分かってる。道明寺が悪いわけじゃないことも、あいつに浮気なんてできるはずがないことも、
  4年後に迎えに来るのも・・・・・」

 牧野の涙を見るのは、これが初めてのわけじゃない。
 でも、ものすごく動揺してる。
 牧野に向かって微笑む事も、小さな身体を抱きしめてやる事もできないくらいに。

 「・・・・・桜みたいに、潔く散ってしまえれば楽なのにね。
  嫌な事うだうだ考えずに、ぱ・・・っと忘れちゃたら  どんなに楽だろう・・・・って思うよ」

 返す言葉すら見つからない。
 
 そう、司がいなくなって一番堪えること。
 それは、こんな牧野の姿を見ること・・・・・


 こいつは意地っ張りで強がりだから、淋しいの我慢して、無理やり笑顔を作って。
 だから、心が悲鳴をあげる。
 心の悲鳴を押さえきれなくなったとき、身体も悲鳴をあげる・・・・・





 「・・・牧野らしくないじゃん」

 やっとのことで動揺を押さえ込み、俺は無理やり微笑んで見せる。 
 彼女を抱きしめる代わりに、腕を地面へ伸ばした。

 「牧野に『桜』なんて似合わない」

 一歩一歩、ゆっくりと牧野に歩み寄り、ブレザーの胸ポケットに一輪の花を挿した。

 「・・・・・」

 「ほら、こっちの方があんたに似合ってる」

 胸の花を見つめ、そして泣きながら笑った。

 「・・・あたし、やっぱり雑草?」

 「雑草だって、花は花でしょ?それに、綺麗な花だよ」

 ポケットから『タンポポ』を摘み上げ、木漏れ日に透かして見せた。

 「すぐに散っちゃうなんてあんたらしくないよ。この花みたいに、地面深くまで根を張って、
  司がうんざりするくらいに待ち続けるんでしょ?そのくらい、雑草は強いんでしょ?」


 何度踏まれたって
 誰に踏みにじられたって
 花や葉が千切られたって
 
 そんなことで枯れてしまうような、やわな牧野じゃない




 「・・・なんか、バカにされたような気もするんだけど・・・・・ありがとう。元気出た」

 暫く手中の花を見つめていた牧野は、パッと顔をあげた。
 その笑顔はいつもの強気なそれで、何だか安心してしまい、ほっと息をついた。

 「花沢類は、いつもあたしが言って欲しいと思ってることを言ってくれるね。
  背中を押して欲しい時に押してくれるし、止めて欲しいときに止めてくれる」

 
 ありがとう・・・・・


 「・・・もう、あんたの『ありがとう』は聞き飽きた」

 牧野の髪をくしゃりとなでる。

 「・・・花沢類のそのセリフも、聞き飽きた」

 頭にある俺の手をそっと取り、ぎゅっと握る。
 
 「タンポポ、大事にするね」

 「捨ててもいいよ。雑草だし」

 「・・・自分の分身だから、簡単には捨てられないよ」

 牧野の言葉に、2人で声を出して笑った。







 バイトへ行くという牧野を見送って、俺も帰途へ着く。
 
 きっと彼女は知らない。
 俺がタンポポを送った、本当の意味を。

 タンポポの花言葉は『真心の愛』

 あんたが気付かなくても、俺はずっとあんたを見てるから
 笑ってる時も、泣いてる時も
 たとえ俺を見てくれなくても
 俺はずっとあんたを見てるから・・・・・


 「・・・ま、報われる日が来るとは思えないけどね」

 自嘲じゃなく、心の底から笑いがこみ上げた。
 足元に咲くタンポポを一輪千切ると、牧野と同じように、シャツの胸ポケットに挿した。
                                                      

                                  




 
 
 
        
 
 
 

 

























 


 +++++おまけ+++++


 タンポポの花言葉、本当はもうひとつあるんだよね。
 
 『司と別れて、俺のところへ来て下さい』

 そんな気持ちが少しでもあったことは、牧野には絶対秘密。
 

 ・・・しかし、牧野に似てるから・・・って、夜中に花言葉調べる自分も怖いよな・・・
 そんなことしてたのも、絶対に秘密。                                

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