「今時、作文書かせる学校ってどうよ?」


 からからと、薄いアイスコーヒーを細めのストローでかき混ぜると優紀にすがるように視線を送る。


「しかも、お題が『未来』だって」


 あたしは、わざとふざけたように告げると目の前にちょこんと大人しくお皿に収まってるドーナツにパクつく。


「つくしは、どんなこと書くつもりなの?」


 優紀が、可笑しそうに首を傾げた。


「んー、まだなんも考えてないよ。未来なんて・・・。あたしは今で精一杯だっつーの」


 苦笑してると聞きなれた電子音。アラームだ。


「ごめん、優紀。これからバイト!」


 あたしはもぐもぐと、甘いドーナツを3口で詰め込むと、一気にアイスコーヒーで流し込んだ。


「あんまりがんばり過ぎないでよ?」


 そう言いながらポフポフと、胸元を払われる。ぱらぱらと細かくなったドーナツが、テーブルの上に落ちた。


「ん。ありがと」


 黄色い長方形のトレーを持ち上げると、ちょうど通りかかったお店のお姉さんに渡す。


「じゃ、ね」

 振り返ったあたしの肩越しに、なにかを見つけたような表情を零した優紀。見慣れない優紀の仕草に、あたしもつい後ろを振り返ってみたけど、特に変わった事などなくいつもの風景に首を傾げる。


「どした?」

「なんでもない」


 含んだ笑いをこぼしながらひらひらと手を振る優紀にあたしも手を振り返すと、彼女の笑いの意味を考えながら自動ドアが開くのを待った。





 未来、ねぇ。




  高校3年生になって。
  一人暮らしにも大分慣れて。
  それは、司のいない生活に慣れたってことでもあって。

  たまに、会いたいな、なんてことも思うんだけど。
  電話とか、くれないかな、なんてことも思うんだけど。

 思うだけだ。

 肩に掛けたカバンを持ち直すと、ついでに携帯を取り出して時間を確認。ちょっと急げばバイトに遅刻しないですみそうだ。少し歩く速度を速める。

 そう言えば、ならない携帯を握り締めながら眠りに落ちることは大変、寂しいことらしい。花沢類に言われて知った。言われてみれば、そうかもと、今更ながら他人事のように思う。けれどこればっかりはもう習慣になってしまってるので仕方がない。

 一人暮らしが寂しいなら、寂しいのになれてしまえばいい。

 司がいない生活がつらいなら、司の存在を忘れてしまえばいい。

 でもいくらがんばっても、寂しいことに慣れることはできず、司の存在なんて忘れられるわけもなく。ただただ、時間が流れるのを待った。そんなあたしに、未来なんて見えるわけがない。


 司のいない未来なんて────見えるわけが、ない。


 なんだか不意に目の奥に熱さが篭る。あたしはあわてて両目をこするとパシパシと頬をはたいた。


『あんまりがんばりすぎないでよ?』

 さっき別れたばかりの優紀の言葉と、優しげにあたしの胸元を払う指先が思い浮かんだ。


 意味もなく告げられる「がんばって」は、きついときがある。もう、十分がんばってるよ。がんばってるのに、まだがんばらなきゃいけないの?ヒステリックに、泣き喚いて問いただしたくなる。それでも自分に言い聞かす。


  がんばれ、あたし。
  がんばれ、つくし。


 あたしは、もう前に向かって歩くしかないから。どっちが前か分からなくても、とにかく一歩を踏み出さないと
司には、近づけないから。


 だから、さっきの優紀の「がんばりすぎないでよ」は、すごく沁みた。


  あたし、がんばってるよね?
  司がいなくても、ちゃんとやっているよね?


 認めてくれてるようで、嬉しかった。

 いつの間にか、止まってしまってた足元。もう完全にチコクだ。

 そんなとき、メールの着信音。瞬時に、優紀の顔が浮かんだ。(あれ?あたしなんか忘れ物でもしたかな・・・)これは、優紀の着信音だったから。


【がんばってるつくしにご褒美。後ろを向いてみて】


 後ろ?あたしは、素直にくるりと振り返った。

 なに?なんにもないよ?



 ガヤガヤとした人ごみ。いつもの変わらない日常。かさかさと木の葉が音を立て重なり合う。そろそろ、コートださなきゃね。なんて声も聞こえてくる。いつもと変わらない、夕方4時の街。

 あたしは首をかしげながら、再びバイト先に向かうべく踵に力を入れた。
とたん、グイと捕まれる肩。あたしはそのまま、後ろに倒れそうになって思わず目をつぶってしまった。

 倒れる!

 力の入った体に触れたのは硬いコンクリートではなく、暖かく且つしっかりと支えられた人の腕。真っ暗な闇で聞こえてきたのは、懐かしい声と安心感。


「てめぇ。ナニサマのつもりだよ」


 え?ごくりと喉がなる。ゆっくりとまぶたを上げると、目の前にちょうど、視線が合うように屈んだ司。


「数ヶ月あわねぇだけで彼氏の顔も忘れたのかよ」


 不機嫌そうににらみつける司に、あたしはただきょとんとするばかりで。なにをしたらいいのかわからない。


  会いたかった。
  声が聞きたかった。
  抱きしめたかった。
  スキ。
  どうして電話のひとつもくれないの。
  いつ日本に来てたの。
  ばか。
  傍にいてほしい。



 一瞬で、頭のなかでスパーク。ピクリともしないあたしに、司がなんだか心配そうな声をあげる。


「お、おい?どうしたんだよ?牧野?」


  司の、『牧野』とあたしを呼ぶ声。
  ずっと、ずっと聞きたかった、あたしを呼ぶ声。

  好きだ、という言葉より。
  愛してる、という言葉より。
  一番聞きなれた、『牧野』

 司があたしを呼ぶ声が、一番聞きたかったんだよ。


 ゆるゆると、足元から力が抜ける。ぶわりと瞳に熱いものがたまるのが分かる。それはもう自分ではどうにもできなくてワンワン声を上げて泣いた。道の真ん中で、あんなに泣いたのは初めてで。オロオロとする司を尻目に、子供のように泣いた。今日は、朝のミルクとお昼のお茶。さっきのアイスコーヒーしか水分取ってないのにどうしてこんなに、涙が出てくるんだろう、と思った。


「しっかし、お前よく泣いたなぁ」
 

 ニヤニヤと、隣で意地悪そうな笑いをこぼす司。


「・・・・・・うっさい」


 ズズズ、と鼻をすすると冷やしてきたハンカチでまぶたなんぞを冷やしてみる。いつのまにか、バイトは休みになってて(優紀が連絡してくれたらしい)なんだか、こんなにゆっくり公園のベンチに座ってるなんて・・・・・・信じられない。しかも、隣には司までいるし。


「・・・・・・いつ帰ってきたのよ」


 泣きすぎで篭ってる声でたずねると、悪びれもせず「さっきついたばっか」とかえってきた。


「お前のバイト先前で張ってようと思ってよ。待ってた。けどいくら待ってもこねーし」


待ってた・・・って。


「お前のダチは気づいてたみてーだけどな」


 別れる寸前の、優紀の含み笑いの理由はコレか。すっかりと熱を吸い取ってぬるくなってしまったハンカチを裏返すと、再びまぶたに乗っけて見る。


「明日には、またもどんねーとならねぇけどな」


 ツキンと、胸が痛んだ。さっきの司の腕の感触さえ消したいくらいだ。

 あたしは、きっとまた司の腕を忘れられずにすごすのだ。毎晩毎晩、恋しさに狂いそうになりながら何度も何度も思い出す。つかんだ肩の激しさとはまったく逆だった、柔らかな支えを。擦り切れるくらい、何度も何度も。


 あ、やばい。またジワリとしてきた。


「話、つけにきたぜ」


 話?あたしはゆっくりとまぶたの上のハンカチを取った。


「お前、もう進路決める時期だろ?」

「う、うん。もう、遅いくらいなんだけどね・・・・・・」


 無理やり笑顔を作って見る。


「・・・・・・NYこいよ」

「は?」

「NYにこい。別に今すぐ結婚しろって言ってる訳じゃねーぞ。結婚は3年後だ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 3年後って・・・!しかも、NYにこい!?


 コイツ、何言ってんのよ。アタフタとしてると、ぐいと肩を押さえつけられた。押さえつけられてる腕から伝わる妙な自信。


「もう、離れてるのヤなんだよ」


 それはあたしだって、一緒だ。照れたように俯く司の顔に影が落ちる。こうやってときたま、無防備に心の声を零すから。余計に切ないのだ。


「だから、お前がこい」


 さっきの照れたような司はもうどこにもいなくて。「お前がこい」と言い切った目の前の人はいつもの司。


「あ、あんたって・・・・・・ほんっと、自分勝手・・・・・・」


 空いた口が塞がらないとはこのことか・・・・・・。あたしのこの1年間はなんだったんだろう。


「……くるだろ?」


 あたしの前で手を差し出す、司。

 コイツ・・・あたしが断るって、微塵も思ってないでしょ。この自信・・・一体どこから来るんだろう。ほんとにうらやましい限りだ。

 けれど、ホントはあたしも分かってる。この手を掴まずにはいられないってこと。

 司。あたしの前をずっと走ってて。あたしの未来には、必ず司がいる。


「……じゃ、作文書いてから……ね」


 きょとりとしたあと、不思議そうに笑う。


「何の作文だよ」

「・・・・・・司をテーマに書くの」


  なんだか、何もかもがうまくいきそうな気がする。

  この手を信じて
  すべてを任せて

  このまま歩んでも、大丈夫。
  傍には必ず、司がいる。


「なんだ?タイトルは、世の中で一番イイ男。とかか?」



 喉もとのネクタイなんていつの間にか外しちゃって、普通の人がしてたらだらしない格好なはずなのに。夕焼けのオレンジを背に笑う司は悔しいくらいかっこいい。

 いつもいつも、あたしのほうが魅せられてばかりだ。


「ちがうよ。世界で一番いい男かどうかはわかんないけど……」


 明らかにムッとして、あたしを見つめる大好きな人。


「……牧野つくしの好きな男、だよ」


 聞かれたから答えただけの一言に、一瞬で耳まで赤くなった大好きな人。



  ――――ずっとずっと、大好きな人。








おしまい


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