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「帰り、ファミマ寄っていい?」


 ショコと直井のおかげで気分が軽くなってからは、1日すげー早かった。あっという間に昼が過ぎて、あっという間に午後の授業が終わって、あっという間に放課後。もちろん、途中でケータイ使って家に電話して、母さんの都合の良い時間――もちろん、三者面談のだ――を聞きだし、崎やんに提出しに行ったり。もちろん、『どうして昨日の夜、手紙を出さないの!』という母さんのカミナリを喰らったけれど。

 帰り支度を済ませて、かばん持って立ち上がろうとしたら、ボディバッグを背負った田村がそう言いながら俺の席へと歩いてきた。何も言わなくても一緒に帰るという習慣はなかなかいいなぁ・・・と思いながらも、今日みたいに相手に対して後ろめたい・・・っていうか、弱みを握られてる・・・ってか、まあとにかく。頭の上がらない相手と一緒に帰るのは、結構きついかな、とも思う。


「いいけど・・・何買うの?」


 田村が寄り道をするなんて、結構珍しいこと。お菓子買ったりジュース買ったり、俺は結構するんだけど。ちょっと驚いたから、田村にそう聞いたら、真顔で『ドラえもん』なんて言うから、またまたびっくりして、田村の顔をまじまじと見る。ドラえもん?あの『あったまてかてーか♪』の?


「最近、はまったんだよ」


 俺の驚き方が気に入らなかったのか、不満そうに顔を顰めてそう言う。しかも、『悪いか?』という捨て台詞っぽい言葉も一緒に。いや、別に悪くないけどさ・・・田村とドラえもんって、どうしても結びつかないんですけど。しかも、本なら本屋で買えばいいのに。色々質問をぶつけたいところだったけれど、『嫌なら1人で行くからいい』と、微妙に切れた田村が踵を返しちゃったから、そんな事ないです・・・なんて言いながら、急いで奴を追いかけた。しかし、田村とドラえもん・・・



 ・・・なんて、不思議に思ってる場合じゃなかった。これ、面白いんですけど。本屋じゃなくコンビニへ来たかった理由は、廉価版が毎週金曜日に発売されているから。しかも、『厳選選りすぐり集』ってやつ。田村に並んで立ち読みしてたら・・・マジではまった。なんつーのかな。小さな頃は、道具が羨ましかったり、しずかちゃんの入浴シーンが嬉しかったりしただけなんだけど、今読み返すと、結構シュールっていうかさ、その時代の風潮をブラックに批判してるなーっていうのがわかるのさ。のび太の情けなさとか、社会にしがみつく必死さとか。スネ夫も素直になれない自分や背が低いことにコンプレックス持ってたり、ジャイアンも、ただ乱暴なだけじゃなく、ジャイ子にはめちゃくちゃ優しかったり。でも、ジャイ子はウザがって受け入れてくれないんだけどね。


「ちょっと・・・俺もこれ買うわ。マジで・・・」

「・・・さっき、散々人を馬鹿にしたような目で見てたのにな・・・」


 田村の皮肉も何のその。とりあえず、店にあった2冊と紙パックのジュースとポテトチップ買って、ホクホク顔でコンビニを出る。田村も大体同じようなものを買った。今日は勉強進まないこと確定だな、これは。今日出された数学の問題とか、明日の宿題とか、やらなきゃいけないことは結構あるけど・・・ドラえもんの魅力には何も勝てない。とりあえず、読み終わるまでは忘れてやる。

 ってか、忘れてやるといえば・・・結局、ショコに田村のこと聞けなかったや。いや、聞きたかったわけじゃないから、その言い方はちょっと間違ってるけど。でも、ショコ話したかっただろうな。目をキラキラさせてたもんな。田村は自分から何も言わないから、何があったのか全く見当つかないし。・・・っと。忘れてたといえば、田村の誤解解くのも忘れてた。決して、俺が牧野サン泣かせたわけじゃないってこと。でも、どうやって話を切り出そう・・・なんて考えてたら。


「・・・1限の放課、なんか大変そうだったな」


 と、田村から話を振ってきた。1限の放課、1限の放課・・・要するに、教室まで聞こえてたわけね。っつーことは、他の奴らにも聞こえてたのかな。それでもって、牧野サンの一言で、余計な勘違いしちゃった奴らもいるんだろうな・・・ちょっと、ショック。肩落として『まあね・・・』と答えると、田村は自分が買ったファミマの袋をガサガサとあさりだした。


「・・・どしたの?」

「いや、牧野さんがあんなこと言うってことは、朝のやり取りも、俺と藤原さんの勘違いかな・・・なんて思って。そしたら、ただでさえ踏んだり蹴ったりでボロボロのお前が、妙にかわいそうになっちゃってさ・・・とりあえず、はい」


 取り出されたのは、コロッケ。まだ湯気が立ってるやつ。嬉しいけど・・・なんか、少しだけバカにされてるような気がしなくもない。ショコといい直井といい田村といい、俺のこと食べ物で元気が出る奴・・・って思ってる気がしないでもないんだけど、まあいいか。嬉しいから。
 じゃあな・・・と、いつもの交差点で田村とサヨナラする。もらったコロッケ、熱いうちに食べたほうが美味しいから、歩きながらぱくりとかぶりついた。おそらくひとつ100円の暖爵いもコロッケ。コロッケといえば、ちょっと恥ずかしい思い出があってさ・・・家に2種類のコロッケがあって、誰もいなかったし、腹も減ってたから、1つずつ食べたんだよね。そしたら、そのうちの1つがすっげー美味くて。帰ってきた母さんが、『神戸コロッケがテーブルにあるから食べなさい』とか言って。もう、絶対これが神戸コロッケ、しかもめっちゃ高いやつ・・・だと思ったら、実は俺が美味くて感動してたのは、ローソンのコロッケだったんだよね・・・馬鹿みたいなウンチク言いながら『これは美味い!』って言い張ってた自分にトホホだった。

 とまあ、そんなことはどうでも良く。最後の一口を飲み込んで、玄関のドアを開ける。『ただいまー』と言いながらドアを閉め、階段をのぼって自分の部屋へ。かばんを買ってきた荷物をベッドの上に放り投げ、手近なジーンズとTシャツに着替えて、クッションにダイブしてジュースお菓子その他諸々――というかドラえもんを取り出した。まずはコーラを一口飲んで、ポテトチップを口に放り込み、咀嚼してから本を開く。昔は、しずかちゃんの入浴シーンが出る度に嬉し恥ずかしで、みんなの前では飛ばし読みして、誰も居ない時にこっそりそこだけ読み直したりしたっけ。恥ずかしくもなく堂々と読めちゃうあたり、大人になったっていうか成長したっていうか、幼いキレイな心を忘れちゃったというか・・・ちょっと淋しい気もするけど、ま、いいか。

 コーラを飲みポテトチップを食べページを捲るという一定の作業を繰り返していると、コンコン・・・と部屋をノックする音が聞こえた。『どうぞ』と言いながら、誰だろう・・・と頭をひねってみる。父さんは仕事中、母さんは、用があるときはいちいち部屋まで来ずに、下から叫ぶ。考えられるバカは、『ノック』という言葉を知っているかどうかすら危ういようなやつだ。ってことは、誰か来た?田村?


「入るよ」


 と言いながら部屋の扉を開けたのは、意外や意外。親愛なる――ってこともないけど――我が妹。日に焼けて相変わらず真っ黒な顔で、『今いい?』と俺に問う。しかし、この時間に家にいるなんて珍しい。テニス部といえば、俺が通っていた中学の中でも指折り厳しい部活だ。俺も最初テニス部入ったんだけど、1年生は基礎体力作りと素振りばっかりで、夏休みに入ってもボールを打たせてもらえなかった。結局夏休みが終わる前に陸上部に転部したから、1度もボールを打たずに、俺のテニス人生は終わったんだよね。


「お前部活は?」

「職員会議で休み」


 ベッドの上からもう1つのクッション引きずり下ろして、それに座ると、飲みかけのコーラを一気に飲み干し、食べかけのポテトチップを思いっきり口に詰め込んだ。おいおい、自腹切って買ったおやつに手を出すなよ、と思うけれど如何せん、さすがに5つ年の離れた妹にきつく言うことは出来ない。あのバカだったら、今頃あの世行きだっただろうけど。


「で、どしたの?」


 怒りたい気持ちを何とか押し殺し、訪ねてきた理由を問う。すると、少し怒ったように顔を上げて、俺を睨みつけながら――睨まれるようなことをした覚えがないから、少し焦ったけど――きつい口調で言った。





「大兄にお願いがあってきたの」

「お願い?」

「今週の日曜日、天神に連れてって」

「・・・は?」


 全くもって意味不明な妹のお願いに、俺は全く素っ頓狂な声を出して、彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。










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