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 廊下の向うからセンセが見えたからとりあえず教室に入って、買ってきたものを自分のかばんに入れる。さっきのショックをかみ締めながら授業を受け、終わりを告げるチャイムがなり、センセが教室を出ると、平井と田村の机にそれぞれのワイロを置く。ありがとー、とかサンキュ、とか(一応)感謝の言葉を背に受けながら、俺は自分の机にうつ伏せた。あー・・・最悪。マジで帰りたい。っつかさ、牧野サンも酷いよな。あんな風に力いっぱい全否定しなくたっていいじゃん。当事者の俺がいる前でだよ?フツーそんな事目の前で言われたら傷つくってわかるだろ。なんてこと、本人にはもちろん周りのトモダチにも言えるはずがなく。よってこうして1人で溜め込むことになる。


「・・・草野くん?」


 ほぼ自暴自棄の耳に届いたのは、おそらくショコの声。どうせ朝のやり取りをユカに聞いて、説教しに来たんだろ・・・なら、顔上げなくてもいいかな、なんて思う。でも、もう一度俺を呼ぶ声は、『怒っている』というものとは遠くかけ離れているような気がして。


「・・・何?」


 しぶしぶだけど、顔を上げた。不機嫌そうな表情とか、怒ってるそれとか、そんなショコの顔が目に入るんだろうな、って思ったけどそれは大きな間違いで、大きな目でじっと俺を見るショコは、どこからどう見ても『心配してる』としか言いようのない表情を浮かべていた。


「・・・元気?」

「あんまり」

「・・・だよね」


 会話とは呼べない『会話』をして、沈黙。何か言いたそうだけど言い出せないような困った顔をするショコに、『どしたの?』と助け舟を出す。すると、少し恥ずかしそうに顔を赤くして、大きく息を吸って『これあげる』と、机の上に紙パックのジュースを置いた。手にとって見れば、それは俺がこよなく愛するいちご牛乳で。


「・・・どして?」

「ちょっと、元気出してもらおうと思って・・・」


 住人不在の隣の席に腰を下ろし、ショコが言う。彼女の顔といちご牛乳を交互に見て・・・ちょっと不信感だけど、結構感激してたりして、俺。『ありがと』と小さな声でお礼を言って、早速ストローを差し込む。一気に吸い込んだいちご牛乳はすっげー甘くて、でもその甘さが身体に染みこんでいって、情けないけど、少し泣きそうになった。


「さっきね、ユカから草野くんとの朝のやり取り聞いて・・・」

「直井が出てくる話?」

「うん。でね、ユカは『つくしが元気ないのは、絶対草野くんのせいだ!』って言ってたんだけど・・・」

「で、俺のこと責めにきた?」

「違うよ。あたしはそうは思ってない。だって、あたしが田村くんに振られた・・・ってか、酷いこと言われたとき、草野くんすごく優しかったから。ただの友達にあんなに優しくできる草野くんが、好きな女の子に意地悪なことできるはずないって思うし。今朝のこともあったし。つくし、すっごく不自然に顔逸らして教室にむかってっちゃったから。それに・・・悪いとは思ったんだけど、1限の休憩時間の、つくしの声が聞こえちゃったから・・・」

「そっか・・・」

「だからね、元気出して欲しくて」

「うん」

「草野くんが悪いわけじゃないから。・・・多分。上手くいえないけど・・・」


 ショコ、一瞬でも疑ってゴメン・・・このいちご牛乳、『アメとムチ』のアメだと思った。それで、後からユカとショコの怒りの二重奏を聴かされるんだと思ってた。・・・けど、これを口に出したら、なんだか大変なことになりそうだったから、ここはお口にチャック。
 ここでショコの会話も止まっちゃって、何だか妙な空気が流れ始めたから・・・話題転換してみる。ショコの気持ちは本気で嬉しかったし、これ以上俺のじめじめした空気に付き合わせるのも失礼だと思ったからさ。


「そいえば、日曜日に田村と天神で会ったんだって?昨日そんな話聞いたけど」

「誰から?」

「田村に決まってんじゃん」


 えー!ウソー?!と、ショコのテンションが急に上がる。嬉しそうに笑って、両手で頬を押さえながら『キャー』なんて叫んじゃって。おいおい、このテンションの変わり様は何なんだよ。まさか、田村と何か言いことあったとか?でも、それを聞く前にショコからの矢継ぎ早の質問。『どんな顔でそれを言っていた?』とか『そのときの田村くんの様子は?』とか『他に何か言ってなかった?』とか。


「なーんにも。ってか、『マックに行った』ってこと以外、何も教えてくれないんだもん。詳しく聞こうとしたら『ただマック行っただけだっ!』ってにらまれちゃった。何、何かあったの?」

「えー・・・聞きたい?聞きたい??」



 すっげー嬉しそうにそういうショコに、『別に』と、思ってもいないことを言いたくなるのは人間のサガだろう。でも、ここでそんなこと言ったら首絞められるのは必至だから。それに事実聞きたいし。『しょーがないから聞いてやるよ』と、少しカッコつけて言ったら、『素直に『聞かせてください』って言いなさい!』と怒られた。


「あの・・・」

「草野―、お約束の三者面談の希望表、コピってきてやったぞー」


 ショコの声を遮った直井の声。薄っぺらい紙をぱらぱらと振りながら俺の席へ来た奴は、ショコとを合わせ、『俺、また邪魔した?』と不安そうな声で言う。


「ううん、全然平気だよ。どうぞ」


 にっこり笑って、ショコは直井に手を差し出す。悪いね・・・と苦笑しながら、俺の目の前に紙を突きつけて、『ありがたく思えよ』なんて偉そうに言う。おいおい、俺はこの紙を手に入れるために散財したんだぞ?お前こそチョココルネとコーラ、ありがたく腹の中に入れろよ・・・なんて思ったら。


「これもやる」


 と差し出したあんドーナツ。掌に納まったそれを不思議な気持ちで眺める。そして、視線を直井へ移動。すると奴は少し困ったような表情で



「さっきのお詫び」


 と言った。さっき・・・ああ、1限放課の、牧野サンの問題発言か。別に直井のせいじゃないのに。でも気持ちはありがたいから受け取っておく。ついでにショコの気持ちもありがたかったから。


「半分食べる?」


 と聞くと、嬉しそうに目を輝かせて、うんうんと何度も首を縦に振った。袋開けて半分に割ろうとしたけど、隣にいる直井の視線が気になってさ。しかも、それが俺じゃなくてあんドーナツに注がれてるから。『お前も食う?』と聞くと、さっきのショコと同じように、嬉しそうに目を光らせて、ものすごい速さで首を縦に振った。実は昼メシの1つだったというあんドーナツ。それを俺にくれるって言うんだからうれしい話じゃない。女の子には恵まれてないみたいだけど、俺、トモダチには恵まれてるみたいだ。

 丸いパンを3等分して、仲良く口に入れる。周りにまぶしてある粉砂糖と、中に潜む粒あんが程よく甘くて。『美味しいね』『うまいな』と3人で頷きながら口の中のものを飲み込むと同時に、3限の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 ほんの1時間前に、あんなに落ち込んでいたのがウソみたいな気分だった。

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          BGM♪スピッツ*スピカ