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「おばちゃん、メロンパンとコロッケパンとチョココルネ1つずつ!」


 1限終了後の購買。まだそんなに混雑してないだろうな・・・という俺の考えは全く甘く、イイモノ――自分の食べたいものを確実に手に入れようとするしっかり者と、おそらく寝坊が原因で朝メシを抜くはめになり、空腹に耐えられなくなった奴らでごった返していた。人ごみにもまれながら、大声張り上げて何とか目当てのモノを手に入れる。ワイロを渡す代わりに、直井はまだ白紙の三者面談表をコピーしてくれるし、平井は数学のノートを昼休み中だけ貸してくれると約束してくれた。田村は・・・なんか、俺がおごるの釈然としないけど、昨日はご馳走になっちゃったし、一応慰めてもらったし。仕方ないかな・・・とも思う。ま、父さんに『出世払い』と称してもらった1万円が、半分以上残ってるから・・・って、思い出しちゃったよ。いい加減田村にスコア代返そ。・・・あまりにも遅すぎて、すっかり忘れられてるかもしれないけど。

 おばちゃんに100円玉を3つ渡し、代わりにパンをもらって、ふぅ・・・と息をつく。とりあえず、第一関門は終了。次は・・・大して苦労も無い。だってジュース買うだけだから。あ、でもパンで手がふさがってるから、缶を3つ抱えてくのはちょっときついかな・・・小さな窓に群がる人を掻き分けて、今度は自販機に向かう。直井はコーラだっけ?で、平井がスポーツドリンクで・・・田村、冷たきゃ何でもいいって言ってたから、また野菜ジュースでも買ってってやろう。せめてもの反抗ってやつ?どうせ『お前が飲め。で、俺には別のやつ買ってこい』とか言うんだろうな。赤い自販機にコインを滑らせて・・・そして、最悪。


「あ・・・・」

「・・・・」


 ふと振り返って視線がぶつかったのは・・・牧野サンだ。一瞬ドキッとして、でもすぐに気まずくなって。彼女も同じように思ったらしく、昨日や朝のように、パッと目を逸らした。でもこんな至近距離で、しかもお互い1人なのにそのまま避ける訳にはいかなくて。


「・・・職員室?」


 何を言ったらいいのか分からなかったけど、とりあえず何か言わなきゃ・・・と思って口から飛び出した言葉がそれだった。牧野サンは少し戸惑ったように『うん』と言い、小さく頷く。


「・・・朝、三者面談の紙、出し忘れたから・・・」

「そうなんだ・・・」


 お互い目も合わさないでそんな言葉交わして。気まずいよ・・・なんて妙な焦りを感じる。そしてふと我に返ると、俺の後ろにはジュースを買い求める学生が2.3人、列になって待っていた。・・・こんなところで傷心感じてる場合じゃない。コーラのボタンを押すと、ガコン・・・と鈍い音を立てながら缶が落ちた。腰をかがめて取り出すけれど・・・手がいっぱいになって、お金が入れられないという最悪な事態に気付く。しまった・・・おばちゃんに、白いビニール袋もらっておけばよかったよ・・・という後悔も既に役立たず。パンかジュースか、もしくは両方ともを地面に置くしかないか?と思ったけど。


「・・・良かったら、持つよ?」


 意外にも、そう言ってくれたのは牧野サンだった。あまりに予想外だったから、一瞬時間が止まっちゃったけど・・・。いつもなら2つ返事で、首を30回くらい縦に振って『持っててくれたら嬉しいっす』なんてお願いしちゃうけど、今日ばかりはそういう気分にもなれず。だからといって、この大変な状況で、このありがたい申し出を断るのもどうかと思うし・・・とりあえず、『じゃあ、お願い』と言って持っていたパンを渡す。急いでコインを入れて、1本を学ランの右ポケットへ、1本を左ポケットへ、左の自販機へスライド移動して手に入れた最後の1本――田村の紙パック野菜ジュースだ――を左手に持って、牧野サンからパンを受け取る。


「・・・ありがと」

「・・・どういたしまして」


 じゃあね・・・と別々に教室へ戻りたい気分だけど、2人とも向かう場所は同じで、且つ残された休み時間は殆ど無い。必然的に並んで教室へ戻る恰好になってしまって・・・これが死ぬほど気まずい。日曜日のことを蒸し返すわけにも行かず、かといって無難な会話は見つからず。おそらく、彼女には三者面談の話題もタブーだろう。だって亜門が来るに決まってるし、亜門の存在は、日曜日の話題に直結しかねないから。大学受験の話もまた然り。下手したら、牧野サンが大学行かないかもしれないという、秘密のはずの話題まで持ち出しちゃいそうだから。

   

「きょ、今日もいい天気だよね・・・」

「・・・そうだね」


 結局、バカみたいな言葉しか思いつかなくて。天気の会話なんてこれ以上膨らむはずもないのに。『野球のときよりも天気いいよね』なんて口走りそうになって、急いで口を閉じた。目が合うのが怖いから、お互いまっすぐ前を見ることしかできなくて。並んで歩いてるはずなのに、牧野サンがものすごく遠くにいるように感じる。・・・土曜日までは、いや、日曜日の夕方までは、それなりに近くにいるんだな・・・なんて思えたのに。


「・・・パンとジュースは、全部草野くんの?」


 突然、牧野サンが話題を振ってくれたから。少し驚いて、本当に少しだけ、嬉しかった。


「いや、平井と直井と田村へのワイロ」

「ワイロ?」

「今朝の数学の・・・・」


 ここまで言って、口を閉ざした。俺バカじゃん。今朝のことなんて口に出すなよ。牧野サンも何か感じ取っちゃったみたいで。小さな声で『ゴメン』と言った。いや、謝るくらいならあんな風に視線逸らさないで欲しかったっつーか、数学のときだけじゃなく、登校中も、昨日の朝も、普通にして欲しかったっつーか・・・


「・・・いや、俺こそゴメン・・・」


 うつむいて、そう言うのが精一杯だった。しばらく無言のまま歩き続けて、少し顔を上げると『3−6』というプレートが目に入る。これでこの重苦しい空気から逃れられる・・・と思ったけれど。


「あれ?草野、牧野サンと一緒にお買い物?」


 運悪く、というかタイミング悪く、と言うか。後ろからほぼ駆け足の速さで俺たちを追い抜いたのは、直井だった。手中のパンに気付き、『サンキュ』と言いながら自分のモノ――コーラとチョココルネだ――を取り、俺らを交互に見てにやりと笑う。・・・やな予感。ここで下手なこと言うなよ・・・と心の中で願うけれど。事情を何ひとつ知らない直井にその願いが聞き入れられるはずも無く。


「草野は時々鈍感だから、言いたいことははっきり言わなきゃだめだよ」


 と、明らかに勘違いしたままの言葉を牧野サンに向けた。直井・・・と合図を送るけれど、それに気付いてないのか、故意に無視しているのか、『仲直りできたみたいで良かった』と言葉を続けた。一瞬不思議そうな表情を浮かべた牧野サンも、次のセリフで直井の意図することに気付いたみたいで。一瞬顔を真っ赤にして、怒った様子で

    

「あたし、別に草野くんと付き合ってないから!」

 と大きな声で言った。その後気まずそうに俺と直井を見てから、早足で教室へと入っていく。

 その場に残されたのは、牧野サンの言動に呆気に取られている直井と、死刑宣告を2度も喰らった死刑囚のような気分の俺。『振られた』という事実を再び、しかもダイレクトに突きつけられて、ショックで膝から力が抜けていくのが分かった。2限開始のチャイムが響き始める。我に返った直井が、心底済まなさそうな表情で『俺、悪いこと言った?』と言う。首を横に振る以外、俺には何もできなかったけれど。




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