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 教室に戻ると、既にセンセ――今日は数学だ――が来てて。こういうとき、1番前の席は困る。チャイム鳴り終わってたし、堂々と前から入る勇気なくて、後ろのドアから入ったから、くすくす笑う――もちろん、遅刻したからだ――クラスメイトの間を縫っていかなきゃいけないし、センセにも絶対ばれる。後ろの席だったら、すすっと教室に入って、何食わぬ顔して自分の席座れるのに。予想通りしっかり見つかって、『重役出勤か?』なんてしっかり嫌味まで言われちゃって。あーあ、これが櫻井センセだったら、優しい言葉のひとつでもかけてくれたんだろうな。『体はもういいのか?』とかって。・・・いや、あのセンセに限ってそれはないか。昨日は昨日、今日は今日。明日は明日の風が吹く・・・を地で行くセンセだから。

すみません・・・なんて照れ笑いでごまかしながら何とか席に到着。座る瞬間に後ろ向いて、思わず直井とあやのちゃんを見てしまったのは秘密だ。しっかし、直井とあやのちゃんねぇ・・・2人の席離れてるから、同時に視界に入らないからかもしれないけどさ、なーんか、上手くイメージできない。2人が一緒にいるとこ。どちらかと言えばテツヤタイプのお祭男、直井と、優しくてちょっとおとなしくて、面倒見の良いあやのちゃん。どっちから言ったのかなー・・・なんて、どうでも良いこと考えてみる。きっと直井からだろうな。あやのちゃんの優しさに惚れて、押して押して押しまくったとか。んで、あやのちゃん優しくて断りきれなかったとか。いや、ああ見えても直井も結構イイ男だから、実は最初から相思相愛とか・・・意外や意外、あやのちゃんから・・・












    
























「いつまでぼんやりしてるつもりだ?教科書くらい出す気はないのか」


 突然、脳天に走る激痛。センセに出席簿の角で思いっきり殴られて・・・昨日はテツヤで今日はセンセ?厄日っつーか殴られ日っつーか・・・あんまり嬉しくない。やっぱり小さな笑い声が聞こえてきて。スンマセン・・・と謝りながら教科書とノートをかばんから出す。


「ついでだ。草野、問29を黒板に書け」

「はーい・・・」


 今日は微積の復習。当てられた問題は、微分してグラフを書けという、もっとも初歩のやつ。ホントは宿題だったけど・・・やってこなかった。ま、この程度ならすぐに解けるからいいけどさ。と言うことで、一応ノートを持って――『宿題をやってきました』というカムフラージュだ――前に出る。チョークを持って文字を書こうとして。


「次の問30は直井、31は牧野、32は藤原」


 なんてセンセが指名するもんだから・・・思わず、握っていた手に力が入って、ボキッと派手な音を立てながらチョークが折れた。ちょっと待ってよ・・・それはナシだろ、センセ。何で牧野サン?どしてユカ?その上直井?勘弁してよ、マジで・・・

 トホホ・・・とうなだれつつ、床に落ちたチョークを拾おうとして屈む。視界に入った上靴は牧野サンのもので。立ち上がった瞬間、目が合ったけど・・・


「・・・・」


 やっぱり、朝同様に目を逸らされた。それも思いっきり。・・・・ちと、ショック・・・かも。いや、かなりショックだ。頭の中で、ゴーン・・・と鐘の音が鳴り響く。その様子を見て、ニヤニヤと笑いながら肩をつつく直井と、殺人凶器と紙一重の視線を投げつけるユカ。平静を装って2人の意味深な行動――俺にとっては単純明快だけれど、事情を知らないクラスメイトからすればおかしな光景だろう――を無視し、黒板に向く。・・・が。


「・・・?」


 解けないのだ。こんな簡単な問題が。なんで?どして?今の牧野サンの無視、そんなにショックだったのか?俺。こんなことで動揺しちゃうほどセンサイな人間だったワケ?俺って。『解けない!』と思った瞬間、心臓が高鳴る。落ち着け・・・と思うのだけれど、それで余計にパニックに陥って。


「・・・どしたの?草野。妙に顔色悪いぞ?」


 自分の当てられた問題を解いていく直井に言われた。ここは、ちと、助けを借りたほうがいいかもしれない。


「・・・俺ね、今牧野サンに思いっきり目を逸らされたのがショックで、問題解けなくなっちゃった」

「こんなに簡単なのが?っつーか、ここ宿題だったのに?」

「うん、すぐできるだろ・・・って思って、やってこなかったんだよね・・・」

「・・・お前、バカ?」


 ・・・時として、直井くんは田村よりもきつい事を平気でのたまう。が、ここは反論してる場合じゃない。実際そうなのだから。こんな些細なことで動揺しちゃって、問題解けなくなっちゃうなんて。だから、『ノート見せて?』と小さな声で懇願する。


「いいけどさ・・・これ、黒板に写してからだぞ?」

「っつーか、答えだけ見せてくれれば・・・」

「草野、お前のノートはキレイだなぁ。それはお前がキレイ好きだからか?それとも、俺の授業なんか受けなくてもいいと思ってるからか?」


 背後に忍び寄る影と声。2人してビクッと背筋を伸ばして・・・恐る恐る振り返ると、





腕を組んで妙な笑顔を浮かべたセンセ――もちろん、眉間には血管が浮き出ていた――が。俺と直井の顔を交互に見て、脳天をゴンッ・・・とやった。テツヤにやられたときみたいに一瞬目の前が真っ白になって・・・チカチカっと星が走った。


「草野っ!このページは宿題だとあれほど言っただろうがっ!それから直井!宿題忘れた奴にノートを見せるとは何事だっ!いつも言っているじゃないか。自力で解けない奴や宿題忘れた奴には絶対に答えを教えるな、と。解き方を教えてやるのはいい。でも、答えだけは絶対にだめだぞ」


 もう席に戻れ・・・と、センセは俺らの首根っこ掴んで教壇から引き摺り下ろす。牧野サンとユカは、俺らがそんなやり取りしてる間にとっくに問題解いてて。席に戻るときに、ちょっとだけ教室内見回して・・・心配そうに直井を見るあやのちゃん――やっぱり、直井の言ったことはホントだったのか・・・――、相変わらず俺を見ない牧野サン、その隣で、『ザマーミロ』とニヤニヤ笑いながら口パクで言う田村に、相変わらず殺人ビーム放出しまくりのユカ。っつーかちょっと待て。ショコまで俺を睨むのはおかしいだろ。まさか、直井と仲良くお出かけしてる間に、ユカから聞いちゃったりしたわけ?あの間違った情報を。もう・・・マジで勘弁してよ。

 その先は全然授業にならなくて。センセは俺と直井の悪事――っつーほど悪いことしてないと思うんだけどな、たまたま解いてなかった問題が、たまたま傷つけられたハートが痛んで解けなかっただけじゃん――に怒り心頭したらしく。『お前らはなってない!』と怒鳴りだす始末。『教室内の空気が受験モードじゃない』――受験モードってどんな空気だよ――とか『土日に天神をうろつく受験生が目立つ』――あの界隈は塾も多いんだから、受験生多くて当たり前だろ――とか『近々あるマーク模試はどう乗り切るつもりなのか』――言われなくても、それなりに対策立ててるよ・・・俺以外――とか、延々と語りだしちゃって。最後には『このクラスで模試の上位成績者を占めてみろ!』とかワケのわかんないこと叫び始めた。んなの無理に決まってんじゃん。全国模試だし、福岡だけだとしてもシューユーに勝てるはずねーじゃん。しかも6組って文型クラスだし。
 いい加減勘弁・・・というところで、タイミングよくチャイムが聞こえる。センセは悔しそうに舌打ちしたけど、クラスの空気が思いっきり緩んだのも事実。みんな、ようやく意味不明の説教が終わった・・・って安堵したんだろうね。俺もワンオブゼム。ところが。


「いいか、今日は授業進まなかったからな、来週までに今日の単元、全部仕上げて来いよ。ノート回収して、全部チェックするからな。特に草野!もしやってこなかったら、お前留年だぞ。分かったか?」


 もんのすごくありがたくない宿題をいただくという始末。・・・びみょーに、クラス中の視線が背中に刺さったのは言うまでもない・・・かな。


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