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「おはようございます」

 背後からかけられた声に、思わず肩が跳ね上がる。火曜日の朝、少し憂鬱な気持ちを持て余しながら家を出て、ガッコまでの道のりで、牧野サンに会わなければいい・・・と願いながらとぼとぼと歩く。しかし。願い事はもうひとつしておくべきだった。この甲高い声と妙なオーラは、昨日問題になった彼女しかありえない。恐る恐る振り返れば・・・悲しいけれどビンゴ。


「お・・・はよ。ってか、いつも必要以上に早いよね」


 長い髪をいつものようにシニヨンに結い上げた奥田さんは、『当たり前じゃないですか』と笑いながら俺の隣に並ぶ。・・・って、これって一緒に登校って意味?限りなくご遠慮願いたい気分なんですけど。


「休み時間ごとに3年生の教室行けるほどわたしも暇じゃないし、昼休みは田村先輩教室にいないこと多いし、帰りは時間がまちまちで難しいし。朝が1番確立高いんですよ」

「・・・何の?」

「先輩を捕まえられそうな。ま、今のところ捕獲率0%なんですけどね」



 捕獲率って・・・ここまでくると、田村に本気で同情する――もちろん、今までだって同情はしてたけど・・・ちょっと面白半分なところもあった――と同時に、逆に捕まっちゃえば楽になるのかも・・・とも思ってしまう。案外、捕らえられたらそれで満足しちゃって、簡単に解放されちゃったりして・・・って、いやいや、こんなこと考えちゃいけない。それでなくとも、今田村はショコとどうにかなる可能性があるのに。そして俺はそれを応援したいから。


「そういえば、昨日の夜先輩も田村先輩のおうちにいたんですか?」

「何で知ってんの?」

「だって電話取り次いでもらう時、声聞こえちゃいましたから。っていうか、あの切り方は酷いと思いません?まだ居留守使われるほうがマシですよ」


 頬を膨らませて怒る彼女に、そうされても仕方ないよ・・・と突っ込みたくなる。俺らのお年頃って、家に自分宛の電話がかかってくるのって結構嫌なんだよね。せめて田村のケータイに電話すればいいのに。って思ったけど、あいつ最近『指定着信許可モード』に切り替えたんだっけ。奥田さんの番号――ケータイも家のも――ヤツのメモリに入ってなければ、電話はつながらない。万が一に備えて、公衆電話着信まで拒否しちゃってるっていうくらい、徹底してるからね。

 校門がようやく見える。あと少し――昇降口まで行けば、下駄箱は違うから――でサヨナラできると思うとほっと一息。そうしたら『何溜息ついてるんですか?』なんて突っ込まれて。『あんたとお別れできることに安心してます』と答えることも出来ず・・・慌てて別の話題をふる。


「昨日、あの後田村の家に押しかけたりしたの?前それやったんだろ?おばさんが言ってた。上がってお茶飲んで帰った・・・って」

「昨日は行きませんでした。行こうかな・・・って考えたんですけど、あんな電話の切られ方したから絶対会ってもらえないって分かってたし、草野先輩いたのもわかってたし、おばさまに、またご迷惑かけても悪いと思ったし・・・」

「・・・へぇ」


 意外に常識人の部分もあるんだ。少し驚いた。・・・ってか、おばさんには気を遣えるのに、どうして俺には遣えないんだ?それ以上に、どうしてこうやってメイワクばっかり欠けるわけ?なんか、釈然としないんですけど・・・


「田村先輩と草野先輩って、親友なだけあって、運命共同体とか旅は道連れとか連帯責任とか、なんかそんなイメージなんですよね。田村先輩追いかけてる間は、草野先輩にも同じようにしていい・・・みたいな?」


 ・・・可愛く語尾上げて言っても無駄なんですけど。ってか、それ以前に俺心読まれちゃってるんですけど。なんで?奥田さんって超能力者なわけ?あ、でもそんなわけないか。もしそんな力持ってるんだったら、今頃田村は彼女のトリコだ。


「先輩、何でも顔に出しすぎなんですよ。まあ、よく言えば『ヒョウジョウユタカ』ってヤツなんでしょうけど。見てるほうは面白いし、大抵何考えてるかわかるから楽ですけどね。今、わたしが隣にいるのあんまり快く思ってないな・・・とか」

「・・・・・」


わかってんなら隣にいるなよ!と声を大にして言いたい。でもそうしたところで彼女が従うわけないってわかるから、そんな無駄な労力使ったりしないけど。はぁ・・・と大きく溜息をひとつ。そして。


「・・・・・」


 見つけてしまった、1番会いたくなかった人の姿。門の前で、ショコと立ち話をする彼女を。願わくば、見つかりたくない・・・という気持ちでいっぱいだけれど、それは不可能だ。高校の門など、それほど大きくない上に、登校する学生はまだまばらだ。さらに運が悪いことに、今日は声の大きく、妙に人目を惹く奥田さんが隣にいて、そしてショコは彼女の気配に聡い。そりゃ、ライバルだから当然といえば当然なんだけど。

 案の定、奥田さんを見つけたショコの表情が一瞬曇って、そして隣に並ぶ俺を睨む。わざとらしい声で『草野くんおはよう』・・・と言って、気付かれた、牧野サンに。

 一瞬だけ目が合う。先に逸らしたのは彼女だ。わざとらしいと言っても過言ではないくらいに顔を背け、ショコのブレザーを引っ張って行こう・・・と促す。ショコは奥田さんに向かって何か言いたそうに口を開いたけれど、牧野サンの態度があまりにもいつもと違うから、それに気を取られちゃったみたいで。時折こっちを振り返りながら、それでも牧野サンと一緒に昇降口へ向かった。

  





「・・・感じ悪いなぁ・・・」


 と、奥田さんが呟く声が耳に入り、ふと我に返る。そして、気持ちを探られないうちに先手必勝・・・と、彼女に『誰が?』と質問した。


「みんなですよ。安藤先輩はわたしのこと目の敵にしてるし、牧野先輩はピリピリしてるし・・・機嫌悪いのは勝手ですけど、自分の中で昇華しろ・・・って感じですよね。それでもって、自分の彼女のしつけができない先輩もムカつきます」

「・・・誰のこと?」

「草野先輩に決まってるじゃないですかっ!」


 寝ぼけたこと言わないでくださいよ・・・と、わけもわからず怒鳴られた。自分の彼女って、誰のこと?え?は?ぜんぜん意味わかんないんだけど。


「2年生の間じゃ、結構噂してる子いますよ。城南祭でバンドのボーカルやった先輩は、同じクラスに彼女がいる・・・って。大濠公園の花火大会も、手をつないで歩いてるトコ見たって子いるし、一昨日も、一緒に日本シリーズ見に行ってたんでしょ?」

「・・・あの・・・」


 今の奥田さんの言葉で、頭が一気に混乱した。誰と誰が何だって?ってか、何でそんなことになってるわけ?当事者が全然知らないところで。


「ねえ、奥田・・・」

「あーっ!!」


 その辺り、詳しく教えて・・・という言葉は、彼女の叫び声に虚しくかき消された。門から遥か向う、ずっとずっと遠くに、反応した、彼女の『田村スコープ』。どうやら奴の場所からでは、今の声は聞こえなかったらしく。少し俯いて、のんびりと歩く姿に、奥田さんはにやりと笑った。


「草野先輩、ここで失礼します。今日なら捕獲できるかもしれませんから!」


 じゃ・・・と俺に言うと、彼女は自慢の俊足――元陸上部の俺でさえ、辟易するほど速かった――で通学路を逆走する。その場に取り残された俺は、やっぱり混乱した頭を持て余しながら、元卓球部で、朝のせいかぼんやりとしていた田村が奥田さんに腕を捕まれる――捕獲される様子をぼんやりと見ていた。


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