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おばさんが差し出す電話の子機。誰も受け取ろうとしない俺たち。田村の喉がごくりとなった音が、妙に大きく響いたような気がした。困惑顔で電話を差し出すおばさんに、田村はフルフルと首を振る。
「い・・・いないって言って切ってよ・・・」
「そんなこと言っても、もう『いる』って言っちゃったし・・・」
「じゃあ、風呂とかトイレとか・・・」
「でも・・・」
おばさんがそうそう言って、電話を田村により近づけた瞬間、
【田村先輩!居留守使おうとしてるの、バレバレですから!!】
と、奥田さんの大きな声が聞こえた。田村は困惑した表情で俺を見たけれど、どうすることもできないから、顔の前で両手を振って、できる限りの拒絶を示す。俺が電話に出たところで、何の解決にもならないどころか、彼女の怒りに油を注ぐことになりかねない。だよな・・・とでも言いたそうに肩をすくめ、今度はテツヤを見る。でも、いつもと同じへらへらした薄ら笑いを浮かべてるだけで、俺が見ても『役に立たない』ことは一目瞭然だ。
「田村ぁ、早くしゃべらないと亜美ちゃん怒ってここまで来るかも・・・だぜ?」
そのくせ、寿命が縮まるようなことは平気で言うから。田村も一瞬顔を真っ青にして、おばさんの手から急いで電話機を奪い取った。
「ごめん、今友達とか彼女とか先輩とか後輩とか先生とかじいちゃんとかみんな来てて手が離せないから!」
意味不明な言葉を一気にまくし立てて、田村は電話の『切』ボタンを勢いよく押した。何か言いかけていた奥田さんの声が、『プー・・・』という機会音に変わる。肩で荒く息をする田村を見て、そしてテツヤと顔を見合わせる。さっきまでの落ち着いた田村はどこへやら。目の前にいるのは、妙に慌てふためいた・・・ガキ?へぇ・・・珍しい。田村がこんな風に慌てるの。なんか、イイモノ見て得した?みたいな・・・。
「っつか、何で保留にしないわけ?」
「だってすぐに出ると思ったから・・・それに、前保留ボタン押し間違えて電話切っちゃったし・・・」
申し訳なさそうな表情を浮かべるおばさんと、怒り心頭の田村。気持ちはわかるけど・・・八つ当たりはダメだな。余談だが、保留を押し間違えて電話を切られたのは、若き日の俺だったりする。おばさんの『ちょっと待ってね』という声の後、田村の声でも保留の音楽でもなく、いきなり無機質なプー音が聞こえたから驚いた。急いでかけなおしたら、おばさんが平謝りしてたのを覚えている。
子機を持って、おばさんが『ごゆっくり』と部屋を出る。でも・・・あんな切り方して、いつ奥田さんが来るともわからない田村家に長居するのは・・・ちょっと怖い。あの子の場合、チャイム鳴らすと同時に玄関開けて、この部屋まで怒鳴り込んできそうだよな。『田村先輩酷いじゃないですか!』とかって。想像して・・・背中に寒気。動物並みの勘を持つテツヤもそれを感じちゃったみたいで。
「・・・俺ら、そろそろ帰ろっか・・・」
「うん。マサムネ、明日も早いんだろ?俺もユカちゃんに会いに、早くガッコ行くつもりだし・・・」
「ちょ、まだ8時前じゃん。まだいいだろ・・・・」
おそらく、田村も考えてることは同じだろう。ヤツにとっては、俺らが一緒にいた方がありがたいわけで。でも・・・彼女だけは何があってもごめんだ。本気でご遠慮願いたい。
「じゃ、田村くん。また明日ね」
「さよーなら・・・」
裏切り者!!と叫ぶ声を背中で受け止めながら、そそくさと階段を降りる俺とテツヤ。田村ゴメン、お前が親友でも、これだけは譲れない。
「おばさん、俺たち帰るね」
「ご飯ごちそうさまでした!」
「もう帰るの?」
リビングに顔を出した俺たちの姿を見ると、ダイニングテーブルを拭いていたおばさんはその手を止めて、スリッパをパタパタと鳴らしながらやってくる。男子高校生3人で食べ散らかした夕食の残骸は、それはきれいに片付けられていて。さすが主婦だな・・・なんて感心すると同時に、姉ちゃんも、こんな風に出来るのかな・・・なんて、どうでも良いことをふと考えてしまった。
「うん。もうちょっといたいけど、奥田さんからの電話、めちゃくちゃ不自然に切ったからさ、ここまで押しかけてくると怖いな・・・とか思って」
「きっと来るんじゃない?」
半分本気、半分冗談で言ったその言葉に、おばさんがさらりと返したから・・・俺もテツヤも、一瞬動きが止まった。来るんじゃない?って、来るんじゃない?って・・・
「前に一度、来たことがあるのよ。体育祭終わった頃かしら・・・?夜の9時頃チャイムが鳴って、誰かと思ったら、可愛い女の子がいたからびっくりしたわ。上がってお茶飲んでいったけど、明るくてさっぱりしてて良い子ね」
「・・・・・」
「・・・・・」
テツヤと顔を見合わせる。不幸な田村。ホント、凄い子に好かれちゃったね・・・その事実に驚いちゃって、その後続いた『私とお茶だけ飲んで、あの子とは会わずに帰ったけど・・・』というところは、すっかり聞き逃してしまった。ついでに『凄く礼儀正しい子だったわよ』という言葉も。
その場で意外な奥田像にもう少し驚いていたかったけど、田村が降りてきて引き止められたら困るから。おばさんに『また来るね!』とおやすみなさいの挨拶をして、急いで玄関を出る。自転車跨って、ひとつ目の門を曲がって、田村が追いかけてこないことを確認して・・・テツヤと安堵の息を吐いた。
「しっかし、アミちゃんってすごいねー・・・」
「って、お前だってユカに対して同じようなことしてんだろ。突然家押しかけたり、毎日電話したり」
「毎日電話はしないよ。毎日メールはするけど」
「どっちも一緒」
大きく溜息を吐いて、自転車を漕ぎ出す。大通りまで出たら――今の時点で、俺は少しだけ大回りしちゃってるのだけれど――テツヤとサヨナラ。奴は能天気に歌い始めるから、てっきりこのまま帰ると思ったのに。
「・・・何?」
「いや、マサムネくんを送ってあげようと思って」
大通りまで来たのに一緒に曲がるから。自転車止めてテツヤを見た。そしたら、大真面目な顔で、『傷ついてる人間は何をしでかすかわからない』とか言って。そりゃ確かに傷ついてるけどさ・・・俺、思いつめちゃうほど弱くないんですけど。いやな顔して断ってやろうかと思ったけど・・・たまにはいいか。テツヤが俺のこと心配してくれるのは、正直嬉しいし、滅多にないことだから。
「・・・じゃあ、おとなしく送られてやるよ」
「じゃあ、送ってやるよ」
バカ言ってろ・・・と笑いながら、正味3分の道のりを進みだした。