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 試合開始1時間半前、人、人、人の外野席。右を見ても人、左を見ても人。シートを見れば人が座っていて、通路に目を向ければ人が歩いていて。野球に不慣れだという牧野サンは球場の熱気に圧倒され、ぽかんと大きな口を開いたまま、呆然としてしまった。こんな光景に慣れちゃってる俺はといえば、逆にこの熱気で興奮しちゃって。早く席取りしなきゃ・・・って焦りでいっぱいである。


「・・・すごい・・・普通の野球でもこんなに人が来るんだ・・・」

「普通・・・ってか、今日は日本シリーズだからね。パリーグの優勝チームとセリーグの優勝チームが試合して、日本一のチームが決まっちゃう試合」

「へぇ・・・そうなんだ・・・・」

「野球ファン・・・ホークスファンには見逃せない一戦なわけですよ」


 ぼんやりを通り越してあんぐりと口を開ける牧野サンを急かして、人ごみの中へと突進していく。ライト側中央辺りに空席を2つ見つけたから、狭い通路通って何とか座った・・・というよりも、歩きながらブルゾン脱いで投げて、服で席取りした感じ。俺らと同じような高校生らしきカップル――厳密に言えば、俺らはカップルじゃないんだけど――もその席狙ってたみたいで、結構『紙一重』みたいな感じ。ふぅ・・・と安堵の息を吐いて座る俺と、とりあえずバッグを膝の上に置き、少し疲れた表情で大きな溜息を吐く牧野サン。無理もないかな。朝からずっと歩き詰めだし。


「疲れた?」

「・・・っていうより、圧倒されちゃってびっくりしちゃった。昼間の人の多さにもびっくりしたけど、今はそれ以上に人がいるんだもん」

「確かにね・・・俺、売店行って飲み物とか買ってくるけど、何がいい?」

      

「あたしも一緒に行くよ?」

「いや、どっちかっていえばここで待ってて欲しいんだけど・・・」


 席のこともあるし――置いておけるような荷物もないから、このまま2人で席を離れてしまったら、他の人に取られること必須だ――これだけ混雑してるドームの中でもしはぐれでもしたら、それこそ一巻の終わり。楽しい野球観戦は、一転して淋しき迷子探しになってしまう。


「わかった。じゃあウーロン茶お願いします」

「了解」


 ブルゾンで俺の席取っておいてね・・・と牧野サンに軽く手を振って、もう一度混雑した人ごみの中へと向かう。しかし、どの人も完全な応援スタイルだな。ユニフォーム着てるし、キャップかぶってるし。メガホン持って、首にタオル巻いて。ちょっと、自分たちが場違いかも・・・なんて、普通のTシャツに身を包む自分を恥ずかしいと思ってしまう。父さんからの軍資金もあるし、奮発してメガホンとタオル買っちゃおう。もちろん牧野サンの分も。ま、最初からそのつもりではあったんだけどさ。ファンとして、グッズ持たずに応援するのはちょっと嫌だから。でも、せっかくの牧野サンとのお出かけに、ジャラジャラ応援グッズ持ち歩くのも嫌だったし。今持ってる――家にある、という意味だが――グッズが重複したって困ることは無い。所々ひび割れてぼろぼろになったメガホンを、まだ使い続けてる弟に売ってやっても良いし。・・・まぁ、『それくらいタダでよこせケチ兄貴』と言われることは必須だけど。

 しかし・・・想像通り、売店も人、人、人である。ある程度の間隔あけて、結構な数あるはずなのに。ちゃんと並んでるんだか並んでないんだか、よくわからない列。売り子さんも必死の形相しててさ、見てるだけで可愛そうになっちゃう。ついでだから・・・と思ったけど、もうここはドリンク諦めて、メガホンだけ買ってこうかな。きっと、席にも売り子の兄さんが回ってくるはずだから。・・・1人で全部こなしてるから、回ってくるまでに時間かかるけど。飲み物売店に比べて高いからちょっと嫌だけど。ホントはポップコーンよりもたこ焼き食べたかったけど。

 ということで、くるりと向きを変えてメガホン求めてグッズ売り場へと足を向ける。ここは飲食物みたくそんなに混雑してなくて――ファンは家からファン仕様で来る。つまりここに並ぶのは野球初心者およびオノボリさんだから、当たり前と言えば当たり前なのだが――楽にタオルとメガホン2つ手に入れて、愛しき牧野サンの待つ外野席へと足早に歩く。人通り激しい通路の柱を何となく見たら、『未来へ続く道は明るい』とか何とか書かれた禁煙のポスターが目に入ってさ、ふと思い出した。あの写真の男の名前。道明寺だ。オンミョウジでもホウリュウジでもなく、ドウミョウジ。

・・・なーんか、やな感じ。なんでこんなとこに禁煙のポスターなんて貼るんだよ。しかも、こんなキャッチフレーズ。ダサいっつーの。何が『未来へ続く道は明るい』だよ。普通に『未来は明るい』でいいじゃん。ってか喫煙者がタバコ辞めて未来が明るくなるんだったらそんな楽なことはないよ。戦争がどうとかテロがどうとか騒いでるのがバカみたいじゃん。こんな時にこんなこと思い出しちゃうなんてさ。あんな男のこと、考えたくもないのに。
 気分悪いことは忘れるに限ると、メガホン片手にブンブンと首を振る。と、ジーンズのポケットから振動が伝わってきて。着信は牧野サン。どうしたんだろう?まさか、ぼんやりしてる間に俺の席取られちゃったとか?もしくは、女の子1人だから、ナンパされて困ってるとか?


「ハイ?」


 とりあえず電話に出てみる。でもその声は切羽詰ったものでも不安いっぱいのものでもなくて、ちょっとだけ安心。


『あ、草野くん?今、飲み物売ってるお兄さんが近づいてきたんだけど・・・もう買っちゃった?』

「まだ。ってか、売店すごい人でさ・・・そっちで買えばいいやと思って、丁度諦めたところだった」


 そうなの?すごいタイミングだね・・・と彼女が笑う。そうだね・・・と、つられて俺も笑う・・・けど、ふとあの男の顔が頭に浮かんでさ・・・なんか、笑ってられなくなった。なんか、ムカつく。そいえば、牧野サンさっき『普通の野球』って言ったよな、確か。ってことは、『普通じゃない野球』は見に行ったことあるのか?普通じゃない野球って、どんなものなのかはわかんないけど。


『あたし買っとくよ。何がいい?』

「・・・コーラ。おっきいの」

「了解!」


 早く帰って来てね・・・なんて可愛い言葉を残して、ラインが切れる。楽しそうな牧野サンと対照に、気分が重くなっていく俺。なんかさ、俺の想像――今回は妄想じゃなく、想像――が当たってれば、牧野サンは『普通じゃない野球を』あの男――ドウミョウジと見に行ったってことだ。だから野球誘ったときにあんな表情したんだ。ちょっと悲しそうな、ちょっと悩むような表情。あの男と一緒に行った野球を思い出して。

 野球見るの、初めてじゃないじゃん。見に行ったことあるんだったら、野球のルール知らなくないじゃん。

 牧野サンの待つ外野席へ1歩近づく度、少しずつ気持ちが沈んでいく。出かける前はあんなに楽しみだったのに、昼間はあんなに楽しかったのに。ってか、俺おかしくない?タダの昔のオトコじゃん。昔の彼氏と牧野サンが、一緒に野球見に行ったってだけじゃん。それだけなのに、どうしてこんなに気分が悪くなるわけ?どうしてこんなに気分が重くなるわけ?せっかくの牧野サンとのデートなのに。せっかくの日本シリーズなのに。

 頭ではおかしいと分かっているのに、心がついていかない。ざわざわと波打ちだす感情。歩く度に波は少しずつ荒れていく。
スタンドに入り、人で溢れた通路を抜け牧野サンの姿を見つける。ぼんやりと中央に広がるダイヤモンドを見つめていて。・・・その目には何を映しているんだろう、その脳裏には誰がいるんだろう。そんなことを考えていたら、俺の視線に気付いたのかな、俺を見つけてニコリと笑って手を振った。その笑顔の裏には影らしきものなんて見つけることが出来ないくらい楽しそうで。何とか笑顔作って手を振り返す。
どうしてだか分からないけれど、涙が出そうになった。それは牧野サンに嘘をつかれた――彼女はそんなつもりなかったんだろうけれど――からなのか、理由の無い嫉妬を感じているからなのか、それとも、自分自身の感情をうまくコントロールできないからなのか。必死で我慢して、ぎこちない笑顔を浮かべたまま牧野サンの隣に腰を下ろした。


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                 BGM♪スピッツ:さわって変わってpart2