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 あれでもない・・・コレでもない・・・と、タンスから服を取り出しては投げ、クローゼットから服を取り出しては投げ・・・を繰り返し、一体どれくらいの時間が過ぎたんだろう。俺の記憶が正しければ、着替えようと引き出しを開けたのは、かれこ2時間前だ。そして今は、待ち合わせの時間1時間前。振り返ってベッドの上を見れば、投げた服が山になってて。俺ってこんなに服持ってたのね・・・なんて、別の意味で感心してしまう。まあ、ほとんどがユニクロで買った安いやつなんだけれど。

 しかし・・・である。あの時、今日の待ち合わせのことちゃんと決めておいてよかった・・・と、本気で胸をなでおろしちゃってるわけで。試験期間は、今以上に成績上げることでいっぱいいっぱいで――美大行きたきゃ、死ぬ気で勉強しろという、崎やんの言葉に触発された・・・訳ではない。決して――牧野サンのこととか野球のこととか考えてる余裕無かったし、試験が終わった日は田村と楽器屋直行して。新しいギターに囲まれてたら、牧野サンと話をするなんて考えは、頭から飛んでしまった。もちろん、楽器など買えるはずも無く、思う存分楽器を弾かせてもらってから、スチール製の弦とピックを数個買って、店出てきたんだけどさ・・・

 でもでも。たとえ牧野サンと満足に話ができなかったといえども、この日のことを考えなかった日は無い。どこ行こう・・・何しよう・・・彼女が退屈しないように・・・って、そればっか考えててさ。もう、紙に書いて計画立てちゃったよ。11時に室見駅で待ち合わせて、ドームまでの直行便乗って――最近気付いたのだが、室見駅から直行のバスがあるらしい。今まで天神まで地下鉄乗って、それからバスに乗り換えてた俺って一体・・・って感じである――、お話なんかしながらバスに揺られて、ちょっと早い昼メシ。でも、情けないことにあんまり金ないんだよね・・・まだ、田村にjupiter――城南祭でやった「ハルジオン」のスコアだ――の金返してないし。忘れてるみたいだから、あえて突っ込まないけど。とにかく、金が無いからマックで昼食って。それからゲーセン行ったり、ホークスタウンの中うろうろして、GAPやABCマートを冷やかしたり。ボーリングしてもいいかも知れない。・・・でも、そしたら俺絶対金足りないよな・・・。恥を忍んで弟に借りるか、母さんに小遣いの前借を頼むか。

 服の山の上で、胡坐かいて腕組んで。一休さんみたく悩んでみて、ひらめいた。確か父さんがいるはずだよな、今日。仕事仕事で滅多に家にいないウチの父親。もしかしたら、可愛い子供に淋しい思いさせてる・・・って、気にしてるかもしれない。・・・こんなでかくなったガキに、そんなこと思ってるとは到底考えられないけど。ま、良くて妹だよな、遊びにつれてってやれないって気にしてるのは。言うだけ言ってみても損は無いよな・・・と、服選びは後回しにして、適当なシャツ羽織って階段を降りる。タイミングってモノも考えなきゃいけなくて。例えば、母さんと一緒にいたら、『無駄遣いが多い』とか何とかお小言が出ちゃって、もらえるものももらえなくなるかもしれない。もしその場に弟がいたら、誰と行くのか、何時に行くのか、野球見る前に何して遊ぶのか何食べるのか、根掘り葉掘り聞かれるに違いない。そっとリビングを覗いてみると、そこには誰もいなくて。母さんとここでテレビでも見ながらくつろいでるのかな・・・という俺の予想は大きく外れた。でも、この方が都合いいじゃん。小さくガッツポーズ作って、再び階段を登る。居間にいないということは、部屋で仕事をしてる・・・ってことで。突き当りのドアを小さくノックすると、『いるよ』という、何とも気の抜けた返事が返ってきた。


  

「・・・なんだ、お前か・・・」


 ドアを開けると同時に嬉々として振り返った父さんの表情は、俺を見た瞬間に落胆のそれに変わる。おいおい、失礼な親父だよな。息子の顔見て『なんだ』は無いだろ。思いっきり突っ込みたかったけど、それで機嫌を損ねられても困るから、とりあえずそこは流しておいた。


「あいつなら部活だろ。日曜日は午前中にいつも部活あるみたいだから」


 父さんの言葉を待たずとも分かる。訪ねてきたのは、可愛くもあり、扱い辛いお年頃である妹だと思ったに違いない。案の定、少し淋しそうな声で『そうか・・・』という言葉が返ってきた。


「母さんは?」


 父さんの書斎兼寝室。ベッド脇の机上にあるパソコンを覗き込むと、なにやら難しい言葉や数字が並んでいて。高校生の俺には分かりません・・・という感じであった。『お前には理解できないぞ』と苦笑した後、


「お隣さんと出かけたよ」


 と言う。そう・・・と、何気なく答えたけれど、心の中では2度目のガッツポーズだ。コレで、小遣いねだってるのがばれる心配も無い。まあ、後から報告されちゃえば同じだけど、さすがに『返せ』とは言わないだろうから。


「で、お前は?ここ訪ねてくるってことは、小遣いせびりに来た?」

「・・・ご名答」


 直角にお辞儀をして、ついでに両手を揃えて出し、『頂戴』のポーズをする。


「今から野球見に行くんだけど、ちょっと小遣い足りなくてさ・・・お願いします」

「嫌」


 父さんの即答っぷりったら、そりゃもう豪快なもので。思わず父さんの顔を凝視した。そしたら、ぷっと吹き出して『嘘だよん』なんて言う。一瞬、殴ってやろうかこのくそ親父・・・なんて思っちゃったけど、財布を取り出す姿を見たら、そのムカつきもどこかへ飛んでいってしまった。


「ただし、出世払いな。お前有名なアーチストになって、俺を楽させてくれよ・・・」


 掌に、薄っぺらい紙の感触。そこには、予想外の諭吉さんが!!ちょっと、たまにはやってくれるじゃありませんが親父様。コレなら気兼ねなく牧野サンと遊べるってもんですよ。ついでに、田村にもスコア代返せるってもんですよ。

 『楽しんでこいよ』という父さんの言葉を背に受けながら、部屋のドアを閉める。さっき、『アーチスト』を『アーティスト』って訂正してやるの、忘れちゃったけど・・・ま、いっか。言い方が古いってだけで、間違いじゃないし。スキップしながら部屋に戻り、ぱっと目に付いたTシャツとジャケットを羽織ってみる。鏡に映った自分を見たら。


「・・・似合うじゃん」


 今まで悩んでたのが嘘みたい。さっき全然考えもしなかった組み合わせが、こんなにうまくいくなんてさ。俺って、感性の人間?考えずに、思ったことを即実行・・・って方が、成功するのかもしれない。

 なんてことを考えながら、親父様に頂いた諭吉さんを、拝みながら財布に入れる。ハンカチとケータイポケットに入れて、鼻歌交じりに階段を降りると、丁度帰ってきた母さんとご対面。野球行ってくる・・・というと、母さんは俺の顔をまじまじと見つめた後、わざとらしく大きな溜息をついた。

E

「・・・何?」


 なんか、釈然としない。出かける息子に溜息かよ。まあ、そりゃ受験生だし、野球観戦なんてのんきなことする前に勉強しろ・・・ってことなのかもしれないけどさ。でも、どうやらそうじゃないみたいで。母さんが好んで使っている大きなバッグから、なじみのない題名の薄い雑誌――確か、父さんが仕事で必要な情報を得るべくして読んでいる経済雑誌だ――を取り出す。

「今お隣さんとお茶しがてら、お父さんに頼まれた雑誌を買ってきたんだけど・・・」


 おもむろに雑誌を開いて、そのページと俺を何度も何度も見比べて、再び大きな溜息。おいおい、人に頼まれた雑誌、勝手に開いて読むなよ。どうせ本の大半も理解できないくせに。でも・・・大体、言いたいことは分かった。次の言葉が母さんの口から出る前に、先手必勝。


「無理だよ、父さんと母さんからじゃ」

「そうよね、それは分かってるんだけどね・・・」


 俺にはい・・・と雑誌を渡す。つまり、『見ろ』ということだ。男に興味なんてないけど、見なきゃ見ないで母さん煩いから。仕方なくそれを受け取って、そして、一瞬息が止まりそうになった。


「あんたより1つ年上なだけなんだって。それなのにこんなに背が高くて、こんなにかっこよくて、こんなに立派で。こういう息子を持った母親は、本当に幸せでしょうね・・・」


 そういいながら、まだ溜息をつき続ける母さん。でも、その言葉の半分以上は俺には届かなくて。さほど大きくない写真。そこに写っているのは、紛れも無く亜門だ。でも、髪形が違う。あんなストレートじゃなくて、癖のあるパーマ。そう・・・これは、亜門のそっくりさんだ。城南祭の買出しのとき、牧野サンが立ち読みしていた女性誌に載っていた奴だ。

 体中の血液がものすごい勢いで流れているのが分かる。手も足も震え、頭がガンガンして、心臓がバクバク言って、破裂するんじゃないか・・・なんて。何度も深呼吸を繰り返し、、自分に落ち着け・・・と言いながら、写真の右隅にに載せられた小さなコメントを読んだ。

『道明寺財閥のご子息、道明寺司さん(18)。来年9月よりコロンビア大学に入学し、経営学を学ばれる予定』


      



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