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「お前マジでムカつく!」
「俺のせいじゃないだろ。お前が勝手になつかれて、追いかけられただけじゃん。人に八つ当たりするなっつーの!」
「違うだろ、お前がちゃんとあの子振っとけば、こんな風に俺が追いかけられる必要もなかったじゃんか!」
「お前も知ってんじゃん、俺だって何度も言ってるって。でもどれだけ言ったってへこたれないし、しつこいし、俺だって困ってんだよ」
「じゃあそれをもっとあの子に伝えろよ!」
「言ってんじゃん。『あんたのことは、何があっても好きにならない』って。これ以上どうやって言えばいいわけ?俺わかんねーよ!」
「でも・・・・」
「はいそこまで」
頭にコツリ・・・という固い感触がして。振り返ったら、出席簿をトントン・・・と手で叩く崎やんと目が合った。
「談笑中のところも悪いけど、朝の連絡始めるぞ」
じろりと睨まれて、しぶしぶ席に戻る。全く、ホント朝からついてないよ。結局全力疾走で奥田さんから逃げ切れたのはいいけれど、櫻井センセの授業には間に合わなくてさ。でも、ただの遅刻のほうがまだマシって感じ?下手にカバンが机においてあったから、トイレ行ってるって勘違いされたみたいで。しかも走った後、その上学ランだから、教室についた時めちゃめちゃ汗かいてて。
『草野、すごい脂汗だぞ。そんなに腹が痛いのか?』
なんて、全然すっとぼけた心配をされてしまった。その上、『俺の授業は気にせずに、トイレに行って来い』なんて有難迷惑なお言葉まで頂いてしまって。別に、腹痛は自然の摂理だから、それでバカにするようなクラスメイトはいないんだけどさぁ、でも・・・ね。ちょっと気まずかったわけですよ、俺としては。
ってか、あそこで田村が逃げなきゃ、俺が奥田さんに追いかけられるようなこともなかったわけで。ここは田村に怒っとくべきだろ?って事で、授業終わった後、ソッコー田村を怒鳴ってみた。まあ、田村が『俺のせいじゃない』って言う気持ちも分かるけどさ、濡れ衣?とはちょっと違うけど、実に覚えのない迷惑かけられたことは、やっぱり許せないですよ。
朝の連絡?そんなもの、左耳から右耳へ。まともに聞いてられるわけないじゃん。ぶすーっと不機嫌な顔して、頬杖ついてたら。
「おい、俺が言ったこと、ちゃんと聞いてたか?」
なんて、崎やんに怒られた。しかも出席簿の背表紙――こいつがクセモノで、1センチ近くもある――で脳天叩くものだから。
「・・・痛い」
冗談抜きで、本気で涙しそうになった。もう、何だってこんな目に遭わなきゃいけないんだよ。朝から不幸5連発か?母親にからかわれ、弟に嫌味を言われ、奥田さんに追いかけられ、櫻井センセに変な心配され、それでもって、崎やんのこの仕打ち。俺、何か悪いことした?カミサマの機嫌損ねるようなことした?無神論者だから・・・なんて言われたらそれまでだけどさ。でも、俺以外にも無神論者なんてたくさんいる・・・ってか、日本人の大半は、都合のいい時だけカミサマを頼るっていう無心論者なわけで。だったら、俺以外のそういう奴らも、不幸に見舞われてもおかしくないのにさ・・・ちえ。どうせ運が悪いですよ、ってか、貧乏くじ引きまくりですよ。
「聞き逃した分は誰かに聞いとけ。じゃあ連絡終わり」
崎やんが教室を出て行くと同時に、ざわめき始める教室。それは俺がどうこう・・・というわけじゃなく、ただ単に、みんなの気が抜けたから。1限の開始までにはあと10分程度ある。もう、この隙に帰ってやろうか。んでもって、亜門の部屋奇襲しようか・・・なんて考えてたら。
「草野くん」
頭抱えて机の上に伏せってた俺の頭上で聞こえる声。ちょっと心配そうで、でもだいぶ笑いをこらえた声。
「・・・ただいま草野は絶不調です。御用の方は後ほど・・・」
「・・・崎山先生に叩かれたところ、痛かったんだ?」
俺の言葉なんて無視、牧野サンは笑いながらそう言う。仕方ないから顔上げたら、ちょっと浮かんた涙――もちろん、笑い泣きの産物だ――をぬぐって、『あれからどうだったの?』と聞く。
「楽に逃げ切れるかと思ったんだけど・・・ほら、俺も一応元陸上部だったし。でも、あの子の執念半端じゃないわ」
「かなり追いかけられたんだ?」
「校門出て、外周回っちゃうくらいにはね・・・」
ほんと、すごかった。すぐに諦めるんだろうな・・・なんて思ってたけどさ、結構必死についてきちゃってて。マジかよ・・・と思いながらも必死に逃げてさ。挙句の果て、あの櫻井センセの問題――でもない――発言を喰らう羽目になっちゃったんだよね。
「朝から災難だったね」
「ね。自分でもうんざりだよ・・・」
「それでごたごたしちゃって、返し忘れちゃったんだけどさ・・・」
はい・・・と差し出されたのは、朝田村に渡し、そして何故か牧野サンの手に渡ってしまった日本シリーズのチケット。そういえば・・・と、その小さな紙を受け取る。
「田村くんのものかと思って返したんだけど、違うって言うから・・・」
「うん、ホークスのファンクラブ抽選で、俺が当てたの。田村と一緒に行こうと思ったんだけど、先約があるとかって振られちゃってさ」
さすがに、先約の中身までは言えないけど。
「そうなんだ・・・」
じゃね・・・と踵を返して、席に戻ろうとする牧野サン。後ろ姿を見た時に、弟に言われた『牧野サンとやらと一緒に行くの?』という言葉が浮かんで。
「あ、待って・・・」
思わず、呼び止めてしまった。足を止め、くるりと振り返り、不思議そうな表情で『何?』と言う。
「あの・・・さ。このチケット、再来週の日曜日なんだけど・・・田村行けないし、だからって、野球に興味のある奴らは、自分達でチケット手に入れてるはずだし・・・でも、弟は連れてきたくないし・・・もし暇で、良かったら・・・あの・・・」
もごもごと、俯きながら言う。俺頑張れ!弟のこととか、牧野サンにとってはどうでもいいこと口走っても頑張れ!最近、なんかいい感じで仲良く話せてるし、今日、あんなに不幸が続いたし・・・ちょっとくらい、いい思いしてもいいじゃん。でも、そのためには勇気出して誘わなきゃ始まらない。
「・・・・・」
ちらりと上目遣いで彼女の表情を覗き込んだら。ちょっと考えるように床を睨んで。あー・・・ダメかな。この表情じゃ。
「・・・だよね、急じゃ都合つかないよね・・・」
ごめん・・・と、消え入りそうなくらい小さな声で呟く。ちょっと・・・ってか、結構ショック。でも、仕方ないよね・・・牧野サン、俺と野球行ったところで何も面白くないだろうし、受験生がそんなことしてる場合じゃないし。牧野サンは就職組かもだけど。
「・・・あたし、野球のルールって全然わかんないんだけど。それでもいいの?」
「うん、誘う奴は他にもいるから、そんなにきにしな・・・」
自己完結させて、言い訳もどきを並べてた俺。でも、彼女の言葉が耳に届いてさ。思わず言葉を止めて、彼女の顔をまじまじと見た。牧野サンはいつもみたいにニコニコ笑って、でも少し恥ずかしそうにほっぺを赤くさせて。
「草野くん、あたしと行っても楽しくないかも・・・だけど、それでもいい?」
そう言ってクビをかしげた牧野サンを見て、思わず卒倒しそうになった。
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