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 あー・・・朝から最悪な気分。玄関思いっきり閉めて、マリの顔も見ずに門を出て、近くに落ちてた石を思いっきり蹴飛ばした。何だよ、母さんと弟のあのにやけた顔と俺で遊んでるようなあの物言い。ああ、思い出すだけでイライラする。

 というのも、やっぱり全部あいつが悪い。『早く高校生になりたいなー』なんて言いながら、昨夜階段を降りていった弟。誰が想像するかよ、まさかそこで、俺の部屋で起こったやり取りを母さんに逐一報告してるなんて。しかも、自分に都合のいいように、作り話なんて混ぜ込んじゃって。朝起きてびっくりしたよ。いつもどおり、優雅にメシ食ってる場合じゃなくて、トースト咥えながら身支度してたら。


『正宗、牧野さんと野球見に行くんだって?』


 って、母さん言うんだもん。一瞬何言われたかわかんなくて、しかも、飲み込みかけてたパンを喉につまらせて、息できなくて焦ったよ。思いっきり咳き込んだら、噛み砕いたパンが床に散らばっちゃって。汚いんだから・・・なんて怒られた。いや、汚いのは確かに認めるけどさ、何?その『牧野サンと野球』って。俺、彼女と行く約束なんてしてないし、行く気もないんだけど。そりゃ、ちょっと誘ってみようかな・・・なんて考えたりもしたけどさ、意気地なしだから、すぐあきらめたし。何言ってんの?って顔で母さんを見たら。


『もう、びっくりしちゃったじゃない。いつものんびりしてて、おぼつかないと思ってたあんたも、とうとう女の子と2人で出かけるようになったのね・・・受験生っていうのがちょっと気に入らないけど、許すわ。その日は、牧野さんと一緒に楽しんでらっしゃい』

『いや、母さん・・・』

『あんた何も言ってくれないから、そんなこと全然知らなくて・・・』


 ダメだ、人の話聞いちゃいない。っつーか、俺が何も言わないのに、こんなわけのわかんないこと言い出すなんて・・・あいつしかいないじゃん。


『おふぁよー・・・』


 怒りで握り締めた拳がプルプルと震え始めたその時、大きなあくびとともに声が聞こえた。振り返れば、大きく伸びをしながらもそもそとソファに座る弟で。その寝ぼけた表情が余計にムカついてさ。こういうこと言うんだね、『火に油を注ぐ』って。怒り溜め込んでたら自分がどうにかなっちゃうと思って。


『このバカっ』


 半分寝てた弟の脳天を、思いっきりグーで殴ってやった。ゴンっ・・・っていう結構な音がして、でも奴は何の反応も見せなくて。まさか、強くやりすぎて、気を失っちゃったとか?なんてちょっと心配にもなってみたけど。


『・・・・・・ってーっ!朝からなんだよ、バカ兄貴!』


 と、突然頭を抱えてその場にうずくまった。良かった。反応がなかったのは眠さのせいで、俺のせいじゃなかったらしい。少し安心はしたけれど、それで俺の怒りがおさまったわけじゃなくて。


『お前、あることないことぺらぺらしゃべってんじゃねーよっ』


 もう一発、ガツンとやってやった。

 普通、こういう経緯で兄弟ゲンカが始まったら――しかも、慌しい朝に――、母親なら止めに入るはずなのだが。ウチの母親は一体何を考えているのだか。


『何?昨日言ったこと、もしかして嘘だったの?正宗は牧野さんと出かけるわけじゃないの?』


 なんて、素っ頓狂なことをのたまっている。今度は、俺が頭抱えて、その場にうずくまる番かよ・・・って、ウチの家族ってどうしてこーなの?なんか、みんながみんな、自分の都合の言いこと考えて、いつの間にかそれを脳内で現実の出来事に仕立てちゃってる気がするんですけど・・・。ってか、どうしてかーさんがこんなことでうろたえるんだよ。俺が誰とどこへ出かけたって出かけなくたって、母さんには全然問題ないじゃん。あー・・・なんだかなぁ・・・


『大丈夫母さん、兄貴は牧野さんと出かけるんだけど、恥ずかしくてごまかしてるだけだからさ。いいなー、彼女。俺も早く高校生になって、好きな女の子と色んな場所出かけたいなー・・・』

『だから牧野サンとは出かけないっつーのっ!』


 もう、こうなったら堂々巡りだ。いつまで経っても決着なんかつきゃしない。いいよいいよ、俺は牧野サンと野球でもサッカーでも遊園地でもホテルでも、どこでも一緒に行くことにしとけよ。あー・・・朝から腹立つ。


『お前、早く高校生になりたいんだったら、それ相応の自覚持っとけよ!』


 イライラして怒鳴りつけてやったら。そんな俺のことなんてどこ吹く風。大きく伸びをしながら、『俺の辞書に、無理って言葉はないの』なんていう悠長な返事が返ってきた。


『別に高校生になりたいって言ったって、いい高校に入りたいとかじゃないし。っつーかむしろ、兄貴みたく、毎朝こんなに早くにガッコ行って勉強しなきゃいけないような高校生にはなりたくないし』

『んなノンキなこと言ってたら、高校生止まりだな。大学生になる気はないわけだ?』

『ご冗談。あのね、どこの高校にも、指定校推薦って枠があるんです。必死に勉強して、いい高校入って、そこでも必死に勉強するくらいなら、レベル低い高校で、ちょっとの勉強で成績上位をキープして、良い内申点取って、それで指定校推薦で楽に大学入った方が賢いじゃん。どうせ大学はどこ行っても一緒だしさ。俺地元から離れる気、あんまりないし。だったら就職のこと考えても、地元の大学で十分だし』


 ・・・・・黙って聞いてれば、都合のいいゴタクばっか並べて・・・しかも、言ってること間違ってないから腹が立つ。その上、実はこいつはめちゃくちゃ成績が良いのだ。俺なんかよりずっとずっと。頭良い上に要領もいいから、常に成績はトップ10入りでさ・・・・だから、『レベル低いガッコ』とか言いながらも、志望校・・・というか、ガッコから受けろ!と勧められてるのは、ここらで一番レベルの高い修猷館だという。本人はまったく行く気ないみたいだけど。そういうところも気に食わないんだよな。あー・・・マジでムカつく。

 でも、実は俺もわかっちゃってるのである。認めるのは悔しいけど。こいつに口で勝てるはずがない。どれだけ頑張っても、どれだけ『上手いこと言った!』と思っても、難なくかわされてしまう。その上、いつも冷静で飄々としているから、そのうちムキになって言い返してる自分がむなしくなっちゃってさ・・・


『・・・・もういいっ!ガッコ行く!』


 そのまま扉開けて、玄関へ向かおうとしたけれど。


『大兄』


 ・・・ん?この声。振り返ると、実はダイニングテーブルでは妹が出かける前のオレンジジュース。・・・こいつ、静か過ぎて、そこにいること全然気付かなかった。


『学校行くのはいいけど、カバン忘れてる』


 コーヒーカウンターの上に投げられた俺のカバン。冷たい目で俺を見ながら、それを指差した。


『あ・・・ありがと』

『大兄、子供じゃないんだからさ、そんな、女の子と出かけるって事で冷やかされたくらいで、ムキになって怒らないでよ。これが自分の兄だと思うと、それだけで恥ずかしくなっちゃうし、情けなくなっちゃう。小兄も、大兄がすぐムキになることわかってるんだから、からかって遊ぶなら夕方とか夜とか、時間に余裕のあるときにすれば?あとお母さん、一緒になって騒いでる前に、洗濯物干したら?さっき、洗濯機鳴ってたから、早くしないと皺になるよ』

『・・・・・』


             


 3人で、目がテン・・・である。部活の朝練行ってきます・・・と、学校指定のカバンを持って、相変わらず冷めた空気を纏ながら玄関へ向かう妹に、俺ら3人は、行ってらっしゃい・・・と手を振る以外に、一体何が出来ただろう・・・この家の中で、一番冷静且つ一番頭が切れるのは、もしかしたら妹かもしれない・・・なんて、ふと思った。

 ・・・なんて一騒動があって。ガッコ行く前から気分はイライラ。このまま休んでやろうか・・・とも思ったけど、そうするわけにもいかず。どうしようか・・・と、石を蹴りながら歩いてたら、前方に田村発見。とりあえず、田村の背中にあたっとこ。小走りで奴の後ろにそーっと立ち、勢いよく背中を平手で叩いてみた。パチーン・・・という軽快な音が、少しだけ気持ちよかった。


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                       BGM♪スピッツ:ナンプラー日和