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「別に店に来るのはかまわないけど・・・奇襲はやめろ。前にも言ったけど」

「前に言われたのは、朝ピンポンダッシュするなってことだけですー」

「奇襲には変わりないだろ」

「亜門を襲ってるつもりはありませーん」

「・・・可愛くないな、お前」


 そんな奴は帰れ・・・と、亜門が俺を追い払う振りをする。でも、俺は既にカウンターの中に入って、いつものカッコでいつもの仕事――洗い終わったグラスの水滴取り。3回目ともなると、なかなか慣れたもので、手つきがなかなかカッコいい――してるから、追い出すに追い出せなくて。しかし、この姿。自分でもちょっと惚れ惚れしちゃう。って言っても、グラス拭いてる自分の姿、想像してるだけなんだけどさ、きっとカッコいいんだろうなぁ・・・って。


「妙にテンション高すぎて怖いぞ、お前・・・ここに来るのだって珍しいし」


 本気で不思議そうな顔をする亜門に、『何で?』と問いかけてみる。別に珍しくないじゃん。俺と亜門はお友達・・・だろ?少なくとも、俺はそんなつもりなんだけど。


「いや、お前が俺んとこ来るのって、大抵テンションが下がりきってるか、困り果てたときか・・・だから」

 ・・・失礼な奴だな。本気で不思議そうな表情して、俺の顔を覗き込む。そりゃ確かに、亜門を頼ったり、ここに来たりするの――と言っても、まだ片手で数えるほどしかないが――は、そんな時ばっかだったけど、別にいいじゃん。気分の良いときに遊びに来たって。


「・・・ま、お前のテンションが高かったり、機嫌が言い理由なんて、牧野がらみだって予想はついてたけど」

「マサムネくん、好きな子と進展あったの?」


 突然。開店前の店内を掃除していた坂口さんが、爛々と目を光らせてすばやくカウンターに近づいてくる。狭い店内だから、俺らの話が聞こえてても不思議じゃないけどさ・・・それに、坂口さんだからいいんだけどさ・・・『好きな子』とか言われると、俺、照れちゃうんですけど・・・


「坂口、あんまり期待するなよ。こいつの場合、実際良いことがあった可能性よりも、勝手な妄想で自己完結してる可能性のほうが高いからな」

「そんなこと無いよ!」

「ってか、あいつ迷子になったんだってな、お前んちの近くで。お前に送ってもらったって、牧野喜んでた」

「それで株を上げちゃったわけなんだね?」

「株が上がったっても、たいしたこと無いぞ。下の下が下の中になったとか、そんな感じ」

「そっか・・・マサムネくん、まだまだなんだね・・・でも、諦めちゃだめだよ。女の子って、いつどんなシチュエーションで自分に惚れてくれるか、わかんないからさ」


 ・・・なんだかなぁ・・・って感じ。バカにされてんだか、貶されてるんだか褒められてるんだか、本気でよかったと言ってもらえてるのか。この2人の口調って、いまいちわかんない。相変わらずのナイスコンビだよな・・・と思う。亜門と坂口さん。きつい口調の亜門と、物腰の柔らかい坂口さんって、似てないようで似てる。雰囲気って言うか、かもし出す空気っていうか・・・うまくいえないけど、同じにおいがする。それでもって、その空気は俺にとって不快ではなく、むしろ心地良いから、また悔しい。そして、俺もこんな雰囲気に似合う人間になりたいと思う。・・・それを素直にこの人たちに伝えようとは思わないけど。どうせバカにされるだけだから。


「ま、俺には関係のない話だから、どーでもいいさ」


 大げさにため息ついて、亜門は俺が拭きあげたグラスをひとつひとつチェックしていく。ま、俺が丁寧に磨いてるんだから、チェックする必要もないと思うけど。でも。


「はい、これ拭きなおし。水滴取れても、お前の指紋がついてたら話になんない」


 コリンズグラスをぬっと目の前に突き出され、しぶしぶ受け取る。ちょっと自信過剰になりすぎたかな。いくらバイトじゃない――バイト料をもらっていない――とはいえ、適当な仕事で許される・・・って訳じゃないから。いや、むしろお世話になってる亜門にだからこそ、少しは役に立って恩返ししたいというか。ほら、俺も大人だからさ。持ちつ持たれつ・・・って言うの?これから先、亜門に世話になることが多々あると、本気で断言できるし。


「そういえば、マサムネくんそろそろテストじゃないの?」


突然、坂口さんに話題を振られ、俺はしまった・・・というように顔をしかめる。できれば忘れていたかった上に、話題にするのは避けていたかった『テスト』という言葉。思い出しちゃったじゃん、昼間の崎やんとのやり取り・・・

 呼び出し喰らうまで忘れてた上に、用紙までなくしちゃったから、それに対するお小言は最初から覚悟してましたよ。でもさ、志望校に対するお小言までここでもらうとは思わなかったよ。『嘘を書くな』『無茶を書くな』『身の程を知れ』。その場で書いた第3希望までのガッコをひとつひとつ指差しながら、ケンモホロロに冷たい口調で言われたよ。そりゃさ、俺だって受かると思って書いてるわけじゃないし――いや、正直言えば、第3希望のガッコくらいは、余裕で受かるかな・・・なんて、少し期待してたけど――、志望欄に書いたからって、絶対そこ受けなきゃいけないわけじゃないし、まだ10月なんだしさ、夢くらい見たっていいじゃん。ちょっと不貞腐れてた俺にとどめの一発、崎やんなんていったと思う?『東京以外も考えとけよ』だって。ちょっとひどいと思いません?それって、、暗に『お前じゃ無理だよ』って言ってるようなもんじゃん。でもおあいにく様、俺は東京の美大に行きたいの!東京に行きたいの!行きたいっつったら行きたいの!!さっきも言ったけど、まだ10月だし。入試までにはまだ4ヶ月もあるんだぜ?諦めさせるにはまだ早いだろ。それとも崎やん、若い希望の芽を、こんなに早いうちに摘み取ってしまおうとでも言うのかい?そりゃあんた、鬼ってもんだよ・・・というようなことを、遠まわしに崎やんに言ってみたけれど。

『じゃあ勉強しろ。英語の成績上げろ、古典の成績上げろ、デッサンの勉強しろ。東京の美大に行きたいんなら、がむしゃらに勉強しろ』

 だからね。まあ、腹を割ってきちんと話せば、崎やんが厳しく言う理由もわかるんだよ。ここは普通科の高校だし、3年生になった今、カリキュラム――時間割に美術の授業は組み込まれていない。そうなれば、必然的に実技テストは分が悪いだろう。だって、ガッコじゃ教えてくれないし、だからと言って、塾へ通って絵ばかり描いているわけにも行かないし。だから、勉強しろと言われる。筆記試験で、少しでもライバルに差をつけなきゃ、実技のフォローはできない。筆記試験と実技試験の点数の合計が、ボーダーラインを超えていれば合格なんだから、苦手科目をどれだけカバーできるか・・・ってところに重点が置かれる。つまり、崎やんは、『技術では取れない点数を、今から死ぬ気で勉強して、筆記科目でカバーしろ』ってことを言いたいんだと思う。でも、正直言って俺傷ついた。だって真っ向から否定されちゃったんだもん。こりゃ、マジでやる気になるしかないよね。職員室で崎やん睨みながら話聞いてたら、その意気込みが通じちゃったらしくて。

『とりあえず、今回の試験、古典と英語でクラス10位以内に入ってみろ。そうすれば、多少は光が見えるかもしれないぞ』

 挑戦的な物言いでにやりと口元を歪める崎やん。むー・・・あんまり釈然としなかったけど、今の時点では、これでよし・・・と、するしか・・・ない、らしい。

よくよく考えたら、ものすごい目標を立てられちゃったわけで。それに気付いた時、しばらくはこのこと忘れていよう・・・と思ったんだけど、坂口さんの素敵な一言で、ものすごくリアルに浮かび上がってきちゃってさ・・・もう、この話題避けるわけにはいかないし、たてられた目標を忘れるわけにはいかない。


「・・・あれ?何だかものすごく浮かない顔になっちゃったけど・・・俺、変なこと言った?」


 知らず知らずのうちに下へ向いていく俺の顔。もちろん、崎やんのことを思い出しちゃったから。心配そうに覗き込む坂口さんに、亜門が『気にすんな』と声をかける。


「どうせ妄想にはまって1人で落ち込んでるだけだよ。こいつのことはいいから、ホールのチェックだけ、も1回して」


 俺の背中を思い切り叩きながら、坂口さんに笑いながらそう言った。・・・ちょっと、痛いんですけど。俺のことを気にするように、ちらりと振り返ってホールへ行ってしまった坂口さんの背中をちらりと見て、大きなため息1つ。


「何?試験がいやなわけ?」

「別に。そういうわけじゃなくて・・・」


 来客を告げるベルの音が響く。でも、そんなことお構いなしにしゃべり続けようとしたら。


「・・・?!」


 突然。亜門に頭と肩をぐっと押されて、無理やりしゃがみこまされる体制。急すぎて、思わずしりもちをつく。な、なんだ?このバカ力。痛かったし、急なことで驚いたし、力任せすぎてムカついたし。文句の1つでも言ってやろうかと思って立ち上がろうとしたけれど。


「・・・・・」


 亜門の右手は相変わらず俺の頭に置かれたまま。そして、その手で上から押さえつけられているものだから、立ち上がれやしない。一体何なんだよ・・・文句の1つでも言おうと、大きく口を開けた瞬間。


「お久しぶりです、崎山さん」



 亜門の営業ボイス。・・・崎山さん・・・・?崎山先生?・・・ってことは、崎やん?

 思わず口を両手でふさぎ、その場にかしこまって体操座り。ひざを抱える手に、思わず力が入る。
・・・これって、かなりやばい状況じゃない?平日の夜、アルコールを扱うお店、担任と生徒。しかも、数あるテーブル席の存在を無視して、亜門の前―-カウンターなんかに陣取りやがって。

 進退極まりないこの状態。一体どうしたらいいんだろう・・・?

                

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                      BGM♪スピッツ:正夢