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『木曜日の午後3時半、早良の総合図書館のベンチで、草野と田村が、一人の女を挟んで睨み合って、窓の外へダイブした。』


 小学生の頃、5W1Hという遊びが流行った。「いつ・どこで・誰が・誰と・何をして・どうなった」というのを、順番に紙に書いていき、最後に出来上がった文章を読んでみんなで笑う・・・というゲームだ。こんな文章が完成して、クラスメートに『お前ら、将来女の取り合いするんだな・・・』なんてからかわれた記憶がある。いや、別に今1人の女を取り合ってるわけじゃないけど・・・睨み合ってるわけじゃないけど、牧野さん挟んで向かい合ってるこの状況。それを彷彿させられる。顔から汗が噴き出してくるけれど、それは決して暑さのせいじゃない。眉間が疲れてきたのは、しかめ面をしている証拠だ。


「な・・・なんか深刻そうな表情しちゃって・・・3人とも、どうしたの?」


 最初に沈黙に耐えられなくなったのは、やはりというか何というか・・・俺だった。立ち上がって、わざとらしくへらへら笑って、2人――牧野サンとユカ――の顔を交互に見た。明らかに怒っている様子の牧野サンと、ほとほと困り果てた様子で、小さく息を吐くユカ。一緒にいるのに対称的な2人。その理由は・・・俺に知る術もない。

 誰かに背中を引っ張られる感じがして、思わず振り返る。同じように立ち上がって、俺のシャツをぎゅっと掴んで、背中に隠れるように小さくなるショコの姿を、視界の隅に捉えた。ああ、田村と顔合わせたくないんだな・・・と思って、彼女を庇うように、少しだけ両手を広げた。でも。



「草野くん」

「は、はい」

「邪魔。どいてくれる?ショコに話があるの」

「・・・・・」


 初めて見る、牧野サンの鋭い視線。いや、亜門の家でも見たことあるけど・・・こんなに迫力はなかった。小説の中で『視線が武器になるのなら、私は何度も死んでいる』っていうような表現があるけれど、ようやくその気分がわかったような気がした。視線って、本当に痛いんだ・・・

 でも、睨まれたからって、はいはいとここを動くわけにはいかない。ショコは明らかに田村を拒否してるわけで。それわかってて、しかもさっきの泣き顔見ちゃって、彼女をどうぞと差し出せるはずがない。横目でちらりとショコを見るけれど、小さく首を振るだけ。やっぱり、話をする気はないらしい。


「ってか、何の話なの?それって、今じゃなきゃだめ?」


ショコの代わりに質問。牧野サンは大きくうなずくだけで、そこを退けと言わんばかりの視線で俺を睨むだけ。でも、その視線はショコに届いていないし、届いたところで彼女が出て行くとは思えない。両者一歩も譲りません・・・って言うんですか?こういうの。藁にすがる思いでユカを見るけれど、ユカもきっとお手上げ状態・・・というよりも、なんだか事の次第を把握できていないという様子だ。その表情は明らかに困惑のそれで、きっと、彼女自体どうしてこんなことになっているのか、よく理解できていないに違いない。


「ショコ」


 俺を通していたら埒が明かないと思ったのか、牧野サンが直接ショコに声をかける。それと同時に、掴んでいた田村の腕をぐっと引っ張り、奴を俺の前に立たせた。故に、ご対面。気まずさやら後ろめたさやら困惑やら、いろんな気持ちが入り交ざって、どうしても田村の顔を見ることができない。牧野サン、いったいどういう魂胆があって、こんなことするんだろう・・・


「田村くんと話しようよ。このままでいるのは・・・」

「あたし、何も話すことないからっ」


 牧野サンが言い終わる前に、ショコは自らの大声でその言葉を遮った。そして、俺のシャツを離したかと思うと、一目散に建物の中へと駆けていく。


「ショコっ」


 それを間髪置かずに追いかける牧野サン。残された3人は、一瞬何が起こったのか理解できず、呆然と立ちすくむ。やがて、最初に我に返ったユカが『様子を見てくる』と館内へと歩き出す。そして、田村と2人残された気まずさに、俺はようやく我に返った。


「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」


 こういう場合は、いったいどうしたらいいんだろう。何もなかったかのように明るく話しかけるなんてこと、俺には到底できない。だからといって、何も言わずに逃げ出すのは癪だし、何より俺の荷物が置きっ放しになっている館内には3人がいる。深刻な話をしている中で顔を合わせるのもいやだし、『田村くんはどうしたの?』なんて聞かれたら返事に困ってしまう。昨日からケンカ中で、気まずいから何も話さずに逃げてきちゃいました・・・なんて、口が裂けても言いたくない。

 帰るなり話しかけるなり貶すなり、田村からアクション起こしてくれたらいいのにな・・・なんて、他力本願の都合のいいことを考えてみる。けど、奴も自分から動くような奴じゃない。田村をちらりと見ると、奴も同じように俺を見て。目が合って一瞬うろたえたけれど。


「・・・・・」


 田村は何か言いたそうに口を開きかけて、そして閉じた。気まずそうにうつむきながらくるりと向きを変えて歩き始める。向かう方向は・・・大通りだ。学校へか家かはわからないけれど、帰るつもりなんだろう。小さく息をついて、俺もその場を離れた。もちろん、俺の向かう先は3人のいる館内だけれど。


 図書館に入る自動ドアのところで、ユカとご対面。2人は?と聞くと、『話し合ってる』と言いながら、俺のシャツの袖口を引っ張る。


「のど渇いた。ジュースおごって」

「やだよ、金ないもん」

「・・・けち」


 一体どんな会話だよ。ってか、俺が彼女におごる理由なんてないんですけど。でもまあ、館内で話をしているという牧野サンとショコの邪魔をするのも野暮なので、ユカのあとをついて再び外に出る。もう4時近いけれど、まだまだ暑い。日が暮れるまでにはずいぶんと時間があるし、これから西日の時間だ。少し気温は下がるだろうけれど、この暑さは夜まで続くだろう。

飲み物を買って――結局、ユカは自分の分は自分で買った――また、さっきのベンチへ腰掛ける。さっきと違うのは、隣に座るのがショコじゃなくてユカってことだけ。買った飲み物も一緒だ。俺はコーラで、ユカはミネラルウォーター。キャップ空けて一気飲みして・・・ふぅ、のどがすっとする。ユカものどを鳴らしながらごくごく飲んで・・・って、女のくせして豪快な飲み方だよな。見てるこっちも清々しいというか何というか。


「・・・で、何でこんなことになったわけ?まだ授業中だろ?」

「あたしもよくわかんないんだよ・・・6限、現国の先生出張とかで自習だったの。自習監督の先生が職員室に戻ってる間に、2人で話をしたらしくて・・・つくし、突然立ち上がって田村くんの腕掴んで、教室飛び出したんだよね。昨日の今日だし、ショコ休んでるし、何かわかんないけど草野くんまで休みだしさ・・・嫌な予感して、着いてきちゃった」

「・・・なんで?」

「だからわかんないって。ここへ来る道中も、2人ともぜんぜんしゃべらなくてさ。つくしは『ショコのところに行く』としか言わないし」

「牧野サンは、ショコがどこにいるのか知ってたの?」

「知ってたんじゃないの?お昼食べながらそんな話してたから」

「じゃあ、何で俺のところにメール入ったんだろう?」

「何度も言うけど、あたしはまったく知りません!田村くん連れてくのに、ショコに直接聞けなかったんじゃないの?逃げられる可能性もあるわけだし。現に逃げたし」

「そうですか・・・」


 なんか、釈然としない。簡単にまとめると・・・だ。ショコは牧野サンに、俺と一緒にいることをメールしてて、でもどこにいるのかまでは知らせなかったってことか?それでもって、理由はわからないけど田村に切れた牧野サンは、授業中にも関わらず田村引っ張って、教室出てきちゃったわけだ・・・


「3人も飛び出しちゃって、大丈夫なの?」

「一応、あやのちゃんにお願いしてきた。先生が何か言ったら、つくしと田村くんが体調崩して、あたしが保健室に連れてったことにしておいてって」

「はぁ・・・」


 先生はともかく、牧野サンと田村が教室を飛び出す瞬間を目撃しているクラスの奴らが、果たしてその口実を信用するだろうか。明日になったら、ショコと俺以外にも、もう一カップル誕生しちゃってるわけですね・・・高校最後の体育祭を間近に、妙に浮き足立ってる3年6組。あーあ・・・、明日から、牧野サンと田村がうわさされてるところを目の当たりにしなきゃいけないわけね・・・憂鬱。


「つくし、昨日の田村くんの態度に腹を立てたんじゃないかな・・・って思うんだよね。らしくなく女の子怒鳴りつけちゃったりしてさ・・・当事者じゃないあたしまで、ちょっと泣きそうになっちゃったもん」

「確かにね・・・あれはきつかったと思うよ」


 いきなり『迷惑』だもんな。たとえ自分が好きじゃない子に告白されたとしても、迷惑とはよっぽどのことがない限り言えない。ま、昨日は状況が状況だったから、田村がぶちきれた理由もわかるんだけどさ・・・でも、ショコにはきつかっただろうな。奥田さんも・・・と言えば。


「今日、奥田さんはガッコ来てたの?」

「知らないよ。学年違うし。毎朝昇降口で会うとは限らないし。でも、さすがのあの子でも昨日の一言はきつかったと思うよ。迷惑な上にうざいだからね・・・あたしだって落ち込むよ、そんなこと言われたら」

「でも、いつも言ってんじゃん、テツヤに」

「あれは打たれ強いからいいの。特別」

「・・・そうですか」


 都合の良い『特別』だよな。ま、確かにテツヤは打たれ強いし、ユカに何か言われたって、よっぽどのことがない限り落ち込まないけどさ。


「・・・ま、今回の詳しい話は田村くんなりつくしなり、当事者に聞いたほうが良いと思うよ。うわさをすれば、本人が来たしさ・・・」




 ユカが図書館の入り口を指差す。思わずその方向に視線をやると、泣きたいのをぐっとこらえたような、険しい表情をするショコと、少し不満そうに、憮然と頬を膨らませている牧野サンの姿が目に入った。


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                        BGM♪bump of chicken:同じドアをくぐれたら