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「・・・いいか、ここに来るのは構わない、ガッコサボるのもお前の勝手だよ。でもな、頼むから連続ピンポンだけはやめてくれ。これマジで。しかもこんな早くに・・・近所迷惑もいいとこだぞ」


遠くから声がするけど、無視。クッション抱えて、顔をぎゅーっと押し付けて、ソファの上でバタ足。埃が立つ!と、俺の後頭部をペシッと叩くと、亜門はおしゃれなガラスのテーブルに、2人分のコーヒーカップを置いた。


「ブラックだけど飲めるか?」

「・・・飲めない」

「あいにく普通の砂糖、しかも黒砂糖しかないな。それでもいいか?」

「・・・・我慢して飲む」


 と返事をしたものの、俺は顔を上げられないでいた。暗闇のおかげでおそらくばれていないだろうとは言え、この年になって泣いちゃってさ。そんな自分のふがいなさと、田村に言われた言葉を反芻してたら、夜全然眠れなくて。結局徹夜。朝顔洗いながら鏡見て、愕然とした。まつげが長くて二重の、自分のパーツの中で案外気に入ってる目が、ひどいことになってんの。まぶた真っ赤に腫れてて、いつもの半分くらいしか目がない感じ。起きてからおかしい・・・とは思ってたんだよね。なんかいつもより視界が狭いっての?ようやく合点がいった。

                           

 亜門にこんな顔見せたら、すぐに何があったか察しをつけられてしまう。親身になっていろいろ心配してくれるだろうけど、やっぱりバカにされるのは嫌だ。『お岩さんみてー!』なんて、笑われるのは容易に想像できる。


「おら、人がせっかく入れたコーヒー、無駄にする気か?ブラック飲めないんなら熱いうちに飲め。冷めると酸っぱくなって余計飲みにくくなるぞ」

「・・・俺、猫舌」

「・・・そうですか」


 小さなため息が聞こえる。ちょっと強引だったかな。


「俺、寝るからな・・・起床予定時刻は10時。とりあえず、お前もゆっくりしろよ。冷凍庫の氷、勝手に使っていいから」

「・・・どういう意味?」

「目、冷やせば少しはマシになるかも・・・ってこと」

「・・・・・」


隠してるつもりだろうけど、バレバレだぞ・・・と言って、亜門は寝室へ下がった。といっても、ここはワンルームマンション。ダイニングキッチンから続く12畳の部屋を2つに分けて使っててさ。アジアンテイストの衝立で、ベッドとサイドテーブルを上手い具合に隠してある。狭い空間を最大限に活かす・・・とでもいうのか?こんなとこまでセンスがよくて、うらやましいを通り越して憎くなってきた。天は二物も三物も与える・・・ってか?

やがて、規則正しい寝息が聞こえる。むくりと起き上がって、亜門がいれてくれたコーヒーを一口飲んだ。それはとても苦くて。不意に田村のことが頭に浮かんだ。あいつは、ちゃんとガッコ行ってんのかな・・・

 家族に顔を見られたくないがために朝めしも食わずに、いつもより早い時間に家を飛び出した。でもガッコに行く勇気はなくてさ。昨日の今日。あんなこと言われた翌日に、田村と顔なんか合わせられない。何事もなかった顔なんてできないし、きっと奴にあったらあからさまに避けちゃう自分がいるから。で、どうしようかと考えながら歩いてたら、いつの間にか室見駅にいてさ。ガッコ反対方向なのに。で、意を決してここに来ることにした。

 最初はチャイム1回。でも、待てど暮らせど反応なし。ため息と一緒にチャイム2回。それでも結果は同じ。あまりに腹が立ったから、何度も何度も押してやった。チャイム音がすべてなり終わる前に次の音が始まるから、ピピンポピンピンポーンピピピンピンポーピンピピピンポーンと、情けない音が案外大きく響く。これなら・・・と思ってたら案の定。血相抱えたパジャマ姿――といっても、Tシャツとハーフパンツなのだが――亜門が飛び出してきて、俺はようやく部屋に入れてもらえたのだ。まさか、あそこで怒られるとは思わなかったけど。





 亜門に言われたとおり、冷凍庫から氷を無断拝借して、ビニール袋に入れる。で、フェイスタオル――体育がある日だから、運よくカバンに入っていたのだ――でくるくると撒く。もう一度ソファへ寝て――今度は、きちんと仰向けに――目の上へ即席アイピローを乗せた。最初は気持ちよかったけれど、冷たすぎてそのうちぴりぴりと痛みを伴うようになる。目とアイピローの間に、ハンカチを入れた。

 今、7時半くらいだろうか。そろそろ朝の補講が始まる。母さんは俺が学校へ行ったと信じて疑っていないはず。まさか自分の息子がこんなところで油売ってるなんて、夢にも思わないだろう。だから、無断欠席してるんです・・・なんていう連絡が、学校から行かないようにしなきゃだよな。

目を冷やすのは一旦休憩。カバンからケータイ取り出して、崎やんのメモリを押す。3度のコールの後、いつもののんびりとした声が聞こえた。

『こんな早くにどうしたんだ?』

「・・・今日、ガッコ休むから」

『・・・理由は?』

「田村とケンカして、泣きすぎて目が腫れた」

『・・・了解。知恵熱出したってことにしとけばいいか?』

「・・・よろしく」

 プッ・・・と、通話を切る。崎やんの場合、下手な言い訳するよりも、真実を伝えた方がいいってことは、長い付き合いの中で嫌というほど実感した。この間のショコの件みたいに、からかったりすることもあるけどさ、でも、最終的には個人を大切にしてくれる。だから、今日休むことにもその理由にも触れなかった。俺と田村がケンカするってことはよっぽどのことで、しかも俺が泣いたってことは、奈落の底まで凹んでるってこと、あの短い言葉の中でちゃんとわかってるはずだから。

 ケータイをしまって、再びソファに横になる。牧野サンは、今頃補講受けてんのかな。ユカもきっといつもどおりガッコ行ってて、テツヤは爆睡中だろう。補講なんて端から出る気のない奴だから。きっと、ホームルームも遅刻するんだろうね。ショコは俺と同じ、サボりを決め込んでるはず。俺、自分のことしか考えてなかったけど、昨日のあの事件の一番の被害者はおそらく彼女だろう。秘めてた想いを、自分の思惑とは関係なくばらされ、その上、好きな男には迷惑とまで言われるし。

 本当は、今日こそ学校へ行かなきゃいけないってわかってた。明日になれば、今日以上に田村と顔を合わせにくくなるだけだ。失恋の傷は時間が癒してくれるかもしれないけれど、親友とのケンカの傷は、時間が経つにつれ、傷口が悪化する。俺、田村のこと好きだから、このまま気まずくなって話せなくなるのは嫌だから。でも、田村は俺と友達やってても価値がないって言ったんだよな・・・あーあ、余計なこと思い出して、また自己嫌悪。


「・・・俺って、ダメダメだよな・・・」


 声に出さなきゃ、やってられなかった。言葉とともに、大きなため息ひとつ。昨日、涙のせいで赤いだろう目をどうやってごまかそうか考えながら、藤崎のマックに向かう俺のケータイに、1件の着信。それは牧野サンからで。俺が店を飛び出してすぐ、ショコも同じように店を飛び出したらしい。その後をユカが追い、それをまたテツヤが追いかけ、奥田さんは神妙な顔つきで店を出て行き、自分1人取り残されたそうだ。運よく地下鉄の駅の場所もわかるから、1人で帰れるという連絡。正直、ありがたかった。ホントは、誰とも会いたくない気分だったから。亜門の部屋での食事も途中だったけどさ、戻る気にはなれなくて、そのまま家へ向かう。家族の誰とも言葉を交わすことなく、ベッドに倒れこんだ。

 幸か不幸か、誰からのメールも連絡もなく。わずらわしい思いをさせられずにすんだけれど、誰の様子もまったくわからない。・・・まあ、わかったところでどうにかなる問題でもないのだが。


「・・・なぁ」


 返事が戻ってこないことを知りながら、亜門に声をかけた。眠っているから、起こさないように小さな声で。無駄なことだけど、なんか『独り』だと思いたくなくてさ。静かな部屋の中、自分とだけ向き合っていたら、今以上にずるずると気分が沈んでいく一方だから。たとえ返事が返ってこなくても、独り言になってしまっても、声に出していたかった。亜門がここにいて、俺は1人じゃないぞと、自分自身に言い聞かせたかった。けれど。


「・・・なんだよ」


 あからさまに不機嫌な声。でも、返事が来た。それだけですっげーうれしくてさ。でも、俺は素直じゃないから。『起きてんのかよ・・・』なんて憎まれ口を叩いてみる。


「お前が冷凍庫開けたり氷をがしゃがしゃやったり、雑音がうるさくて目が覚めたんだよ」

「ってか、なんで10時までも寝るわけ?仕事夜からだからって、怠けすぎじゃねーの?」

「バカ。夜からってことは、帰ってくんのは夜中ってことだよ。俺は4時に寝て10時に起きるっつー規則正しい生活してんの。怠けてるわけじゃねーよ」

「・・・そっか。ごめん」


 沈黙。自分から話しかけたくせに、いざ返事が返ってくると困る。それに、俺すっげージャマしてる。亜門、今のうちに寝とかなきゃ仕事に影響するのに。あー・・・俺ってホント、駄目だわ・・・

 そんな自己嫌悪が伝わってしまったのか、少し柔らかい口調で、気にすんな・・・と返ってくる。


「出かける前に、1.2時間仮眠取るからいいよ」

「・・・うん」

「・・・で?」

「?」

「俺には聞く権利があるだろ?お前がここに来た理由。せっかく気持ちよく寝てるところ、連続ピンポンで起こされたんだぞ。その上、今日は平日だときてる。お前がガッコサボったこともバレバレ。そんな奴を置いてやってるんだから。いいたくない事までは聞かないからさ、せめて理由だけでも教えろ。家にいられないのか?」

「・・・・・」


 姿は見えないけれど、声でわかる。いや、姿が見えないからこそ、声でわかる。なんか、また泣けてきそう。今度は別の意味で。俺、亜門にこんなに心配してもらえるような人間じゃないのにさ。あー・・・これって、うれし涙ってのかな。凹んでるときって、人の優しさが身にしみるんだよな。だから、今の俺には、亜門の優しさで・・・身を切断されそうだ。

 少し黙って、考えてみる。亜門に話そうかどうしようか・・・ではなく、どう伝えたらわかってもらえるのか。


「・・・ゆっくり言葉まとめればいいかさら、思い切って言ってみろ。吐けば楽になるぞ」


 少し笑いの混ざったその声が、すっげー心に響いて。不覚・・・とは思ったけれど、駄目だった。さっき一生懸命こらえていた涙が、また流れてしまった。



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BGM♪bump of chicken:太陽