「・・・1組に、一緒にバンドやってる宮田って奴がいるんだけどさ・・・」


 何も知らない牧野サンに、どう言ったら上手く伝わるだろう・・・って、少ないボキャブラリー引っ張りだして考えて、ようやく口から出た言葉。極度に緊張して、口の中カラカラで。ああ、情けないよな。話ひとつ満足にできないなんて。俯いて、見えない草むしって、一向に次の言葉が出ない俺。でも、牧野サンは何一つ言わず、言葉を待ってくれる。彼女は何も言わないけれど、でも隣から伝わる空気で分かる。


『焦らなくていいから・・・』って。急かさない彼女に少し感謝して、深呼吸してから言葉を探した。



「そいつ、ボーカルやってるんだけど・・・ ちょっと事情があって、あんまり練習出てなくて・・・」


 この『ちょっとした事情』ってのが案外クセモノで、実は今回の事件の一番の原因でもあるのだ。 宮田は、校内で1,2位を争うほどの秀才だ。小学校、中学校と常にトップでい続けた宮田にとって、試験は『できて当たり前』の存在で、点数の取れない奴、順位の低い奴は軽蔑すべき対象だった。その価値観を自分の中に閉じ込めておく事ができない彼は、入学早々クラスでも浮いた存在になってしまって。偶然、実技選択―――入学時に、音楽か美術か書道か、どれでも好きな科目を選べるのだ―――が同じで、クラスも一緒になった俺と田村も、勿論奴にバカにされる人間の一部だった。でも、俺ら―――俺と田村は、小学校時代からの腐れ縁なのである―――は自分の成績が宮田以下だって事を重々承知していたし、成績だけ妙に良い宮田を嫌ってはいなかったから、結構奴に話し掛けていったっけ。もちろん、その陰には『秀才くんとお近づきになっておけば、試験のヤマを教えてもらえるかもしれない』なんて、あくどい考えがあったのだけれど。

 余談だが、他の奴らが宮田を敬遠する理由の背景には、奴を羨ましいと思う気持ちが絶対にあるのだ。それを隠そうとするから、どこかでやましい気持ちが生れる。そして生れたその気持ちをまた隠そうとするから、奴に対する感情にひずみが出てくるのだ。『頭の良い宮田が羨ましい』と認めてしまうことができたら、奴の厭味もそこそこ聞き流せただろうし、許せもしただろう。そして、許せた時に、奴の良さが初めて分かる。

 とにかく、そんな風に頻繁に話し掛けてた俺と田村に、宮田は少しずつ心を開き始めた。腹を割って話してみれば、奴が興味深い人間だという事がよく分かる。勉強が出来る宮田は、読書をこよなく愛していた。だから話題もボキャブラリーも豊富だ。勉強に役立たない雑学なんかもたくさん知っていて、一緒にいて楽しい奴だった。だから、俺たちは一緒につるむようになっていったのだけれど。

 高校生活にも慣れ、中だるみしかけた頃、何となくバンドを組もうか・・・?なんて話が出て。俺と田村は中学の時から楽器やってて。2人で金出し合って、好きなバンドのスコア買って、練習したりしてたから。運良く、担任だった崎やんが、時々だったらドラム参加してくれるって快諾してくれた。その時、宮田が言ったんだ。『俺が歌う』って。

 正直意外だった。だって宮田が音楽を進んでやるなんて思ってもみなかったし、音楽の時間だって、奴はそれほど良い成績を残しているわけではない。確かに良く通る声はしているけれど、歌上手くないし。無理じゃないの?ってやんわりと伝えても、やめる気配は全然なくて。結局俺らの根負け。音あわせするって言って初めてみんなで集まった時、宮田はしっかり輪の真ん中にいた。

 最初は不思議で仕方なかったけど、宮田が参加したがったのは、少し考えればわかる事だった。自分より下のレベルの俺と田村にできる事を自分が出来ないのは、宮田にとってこれ以上ない屈辱だったのだ。だから、俺たちに負けるわけにはいかない・・・と。あいにく、俺も田村も、自分の事を宮田以下の価値しかないとは、一度も思ったことなかったけれど。もともとプライドの高い奴だったから、練習で集まるたびに歌は上手くなってたね。

俺たちのいないどこかで、自分なりに練習していた―――案外努力家なのだ。そして宮田のそういうところを、俺は結構気に入っている―――に違いない。だから4人で、崎やんのいない時は3人でセッションする事がだんだん楽しくなっていって。最高潮だったのは、丁度去年の今頃。城南祭のオーディション受かった頃の事だった。

 でも、楽しい事はいつまでも続かない。今回も例外ではなかった。オーディション後の中間試験で、宮田は急に成績を落としたのだ。それも一気に何十番も。成績表を手にした時の宮田の表情もだけれど、その結果が出た時の、学年のセンセイ方の慌て様を、俺は今でも忘れない。学年主任は訳の分からない言葉を並べながら、奴を生徒指導室に呼び出した。副主任は、何を思ったのか、宮田の両親を学校に呼び出した。唯一、いつもと変わらなかったのは、我らが担任、崎やんだったけど。普通は逆でしょ?担任が一番慌ててもおかしくないと思うんだけど・・・。

 とにかく、宮田の両親は、顔を真っ青にしながら学校へ現れた。そして成績を落とした息子を叱り、俺と田村、挙句に崎やんまでをその場へ呼び出し、『息子を誑かして』と罵った。『私たちの息子の経歴に、耐え難い傷をつけた』・・・と。俺たち―――特に崎やん―――にしてみればいい迷惑である。確かに、一緒に音楽をやってはいたけれど、音楽優先、勉強後回しを選択したのは、他の誰でもない、宮田自身なのだ。誰に誘惑されたわけでも、誰に強要されたわけでもない。現に、俺も田村も今までも成績―――名誉のために言っておくが、一応平均以上の成績はあるのだ―――をキープしていた。バンド優先しているのなら、俺たちの成績だって落ちてもおかしくないじゃないか。

 この時初めて知ったのだが、宮田の成績が優秀だったのには奴らしい理由が隠されていて。両親が医者だという宮田は、幼い頃から本を読まされ、文字を書かされ、とにかく、勉強一筋で育てられてきたそうだ。毎日日替わりで家庭教師が彼の勉強を監視する生活。奴にとって、常にトップでいることは当たり前の事であり、決して崩される事の許されないプライドの壁でもあった。

 両親に叱責され、呆然と床を見詰める宮田を見て、なんだか可哀想な奴だな・・・と思った。憐れみとか、同情とかではなく、同じ16歳の高校生として、自分だったらやりきれない何かを宮田から感じ取ってしまったから。確かに、歌う事を始めた理由は不純―――自分のプライドを守るためだけ―――だったが、それでも今まで続けてきたのだ。きっと、宮田の中で何か変化があったはずだ。果たして、今までの宮田が、親に科せられた義務を放棄してまで何かに熱中したという事があっただろうか。奴との付き合いはまだまだ短いけれど、俺は『絶対にない』って断言できる。だって、最近の宮田は目をキラキラ輝かせて、本当に楽しそうにしていたから。息子の変化に気づかないのか、それともただ、気づかぬふりをしているだけなのか。奴の両親は、俺たちの隣で目をひん剥いて、顔を真っ赤にしながら怒鳴り続ける。もう、完全に自分達の世界へ没頭だ。ねえ、あんた達。ここに部外者いることわかってんの?宮田の焦点、合ってないこと気づいてないの?あんた達の息子、自分の殻に閉じこもり始めてるって、気づいてる?何を言っても無駄だろうけど、でも、俺はこいつら―――自分達の面子を保つのに精一杯で、息子の気持ちひとつ慮ってやれない医者に、やり場のない憤りを感じた。と同時に、この先、宮田が練習に参加する事はもうないだろう・・・と、ぼんやり思った。










 もちろん、宮田との経緯は牧野サンに話していないし、話すつもりもない。よく知らない宮田の秘密、牧野サンに背負わせるのは酷な話だし、宮田にとったって、顔も名前も知らない人が、自分のことあれこれ知ってるのも嫌だろうから。

 その後―――宮田がこっぴどく両親にやられた後、流石の俺らも、奴のバンド存続は諦めていた。だから、福岡市内の、安くて古いライブスタジオで、チューニングしながらぼんやりしているところに、宮田が姿を見せたときは、腰を抜かすほど驚いた。そして、姿を見せた宮田を嬉しく思ったし、親に反発してまでもバンドを続けたいと思ってくれた奴を、心から歓迎する・・・つもりだったけど。世の中上手くはいかないよね。予想できることではあったけれどさ、宮田の練習出現率は日に日に低下していって、今では月に一度姿を見せればいい方だ。

 宮田の気持ちもわからなくはない。自分のやりたいことと親の枷との間で板ばさみになって、身動き取れなくなって。どっちつかずの中途半端な位置。煮え切らない宮田に苛々したりもするけれど、一番憤りを感じているのはやっぱり本人だから。外野が出来ることは、そっとしておくことと、どちらかに足をつけるように助言してやることだけ。それもお節介な話だけどさ。

 正直言って、次回の―――今年の城南祭のステージも狙ってる俺らにとって、宮田は微妙な存在だ。奴が開き直ってバンドに専念するのなら、こっちは両手を広げてそれを歓迎する。逆に、親の敷いたレールを歩くというのならそれを応援する気持ちはあったし、新しいボーカルを探す手配もした。でも、今のままの宮田じゃ、俺たちだって身動きできない。だから、バンド辞めることをやんわりと勧めたよ。だって、天地がひっくり返ったって奴がバンドを取ることはありえないとわかっていたから。でも、奴は断固としてそれを受け入れなかった。また、あのくだらなくて高すぎるプライドが邪魔したんだよな。

 ボーカルがそんな状態で、俺らが取れる処置はただひとつ。俺か田村が歌うこと。ギターやベース弾きながらだって歌は歌える。だから、宮田が練習に出たときには演奏に専念すればいいし、いないときは歌えばよかった。結局、ボーカルは俺が引き受ける―――じゃんけん3回勝負という、なんともいい加減な決め方だったけど―――ことになって。でもね、自分で歌い始めると、なんていうのかな、歌詞に対してこう、思い入れみたいなのが出てきてさ。きっと、この頃だった。自分で作詞作曲始めたのは。田村も俺に触発されたのか、編曲の勉強なんか始めちゃって。

俺ら、音楽を通して自分のやりたいこと、少しずつ見つけていったような気がする。






 それから約8ヶ月後、今年の3月のこと。そろそろ城南祭のこと考えようってことになって、ちょうど崎やんが練習見に来てくれてて、演奏する曲とか決めてたんだ。今年は去年よりもバンドで参加しようって奴らが多くなりそうだから、ここらで自分たちの曲でもやって、他の奴らに見せ付けてやろうって話になって。宮田に連絡してみたけど、案の定というか、受験生になるということで、奴は進学塾―――予備校の春期講習に毎日通い詰め。でも城南祭では歌うって聞かないから、とりあえずやる曲のデモテープだけ送って、練習しておけよって言っておいた。


「宮田が練習来ないのがあたりまえになってて、それに慣れちゃった俺らも悪いんだよね。 せめて、『少しでも出られないか?』って、練習の度に声かけてやるくらいのことすれば、 今回みたいな事起こらなかったかもしれない」


そう、最悪な出来事だった。オーディション当日、俺らの順番は3番め。授業後すぐに行われることになってたから、音合わせとかリハーサルとかやってる暇なくて。もうぶっつけ本番だったの。前日の打ち合わせでは、オリジナルを最初にやって、審査員―――っても、センセイ方だけど―――の度肝を抜いて、後は教師受けしそうな曲を2曲やろうってことになってた。崎やんの合図で、田村のベースが先に入って、前奏始まって、いざ歌が入るというとき。いつもの癖で、俺の口が動いてしまったのだ。宮田よりもほんの一瞬早く。



口をあけたまま、宮田は目を大きく開いて俺を見た。田村も崎やんも驚いて―――でも流石だ。演奏を止めることはしない―――、俺を見る。この俺ですら驚いた。ってか、普通考えられるか?自分のパート間違えるなんて・・・でも、こんな中途半端なところでやめるわけにもいかないし、今さら宮田と変わるわけにもいかない。仕方ないから、歌い続けた。でも、宮田の視線が痛くて。声を出すのが苦しいわけじゃない―――だって、自分で作った曲だ。自分の声の高さに合わせてあるのに、苦しいはずがない―――けど、目を瞑らずにはいられなかった。でも、しっかりと閉じた目でも、宮田の表情が見える。


「・・・草野くんが歌ってる間、宮田くんはどうしてたの?」


「わかんない。俺ずっと目閉じてたし。でも、ステージの上で客席に背を向けて、 呆然としてたんじゃないかな・・・歌ってても、宮田の視線感じたから」


 その後の2曲は、勿論宮田が歌ったけれど・・・もう、俺も田村もすっかり動揺しちゃって、音外すし、音落とすし。崎やんだけは、悔しいほどに落ち着いてリズム刻んでたけどさ。お陰で、曲が止まったりテンポがおかしくなったりってことはなかったけど。演奏は最悪のできだったと思う。あんなので、よくオーディション通ったな・・・とも。ま、崎やんが言うには、最初のオリジナルのインパクトが強かったんだろう・・・って。いろんな意味で。


「オーディション終わったあと、宮田は何一つ言わずに帰っちゃってさ。 何言ったらいいのかわかんなかったけど、でもとにかく何か言わなきゃいけないような気がして、 声かけたけど・・・思いっきり無視された」


 無視されただけなら良かった。奴は一瞬振り返って、そして俺を睨んだ。その瞬間、足が竦んだよ、情けないけど。もう、負の感情を全てひっくるめたような冷たい視線。これ以上近づいたら、ナイフで刺されるんじゃないかって、本気で思った。もう、どうする事もできなくて、どんどん小さくなってく宮田の姿、動けないままずっと見てた。


「・・・そのまま、宮田君とは話してないの?」

「いや、次の日宮田の教室覗いたら、そりゃちょっとは硬かったけどさ、案外普通に話し掛けてきてくれて」


 とは言っても、『結果はどうだった?』の一言だったけれど。でも嬉しかった。崎やんや田村じゃなく、俺に声をかけてくれた事が嬉しかった。


「でも俺はオーディションの時の事、何て言ったらいいのかわかんなくて、結局謝る事もできなくて・・・」


 だって、謝ったら、余計に宮田のプライドを傷つける気がしたから。

『お前のパート取っちまってごめんな。ついいつもの癖で・・・』

なんて、言えない。


「そんな事言ったら、もしかしたら宮田には、練習来ない事を責めてるように聞こえるかもしれない。 でも、俺はそんな事全然・・・ちょっとしか思ってなくて」


 何も言えないまま一週間が過ぎて。宮田の態度も少しずつ元に戻ってきて。だから、安心してた。宮田は俺のミスを許してくれたんだって、勝手に誤解してた。だからあの日の事を話題に出す事を故意に避けていたし、今日だって、ふざけた態度で宮田に『遅刻』のお願いしに行ったりしたのだ。


「でも、宮田はその怒り・・・って言ったら違うかもしれないけど、俺に感じてたイライラ、 隠してただけだったんだ。だから、今日あんな事が・・・・」


 この先の言葉を口にするのを、一瞬ためらった。宮田に言われた数々の罵り。自分がそんな風に思われてたなんて、それがかなりショックで・・・口に出したら、自分でそれを認めなきゃいけないような気がした。それに、たとえそれが頭に血が上った宮田が口に出した軽はずみな言葉だとしても、牧野サンに知られたくないと思った。少しでも、俺がそんな風に思われてるってこと。


「・・・それが、落ち込んでた理由?」


 彼女の問いかけに、小さく頷く。でも、言葉を続ける事ができなくて。膝をぎゅっと抱えて、その間に顔をうずめた。自分が少しでも小さくなるように。





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