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「ここは駆け込み寺じゃないんだけど」

「そんなことわかってるよ。いいじゃん、ちゃんと手伝ってんだからさ」


 いつかのギャルソン服に身を包み、やっぱり熱くて触れないグラスに辟易しながら、水滴を拭きつつ磨き上げていく。無駄口たたかずに黙々と作業をこなす俺をちらりと見て、亜門が軽く肩をすくめた。ま、無理もないか。夕方突然押しかけて、『手伝うからここにいさせて』だもんね。





 金曜日、俺たち4人は無言のままそれぞれ帰途に着いた。頭の中はショコのこと一色。
バカテツヤのせいで起こったこの最悪の事態を、どう切り抜けたらいいんだろうって、考えることはそればかり。せっかくの牧野サンとの2人きりの帰り道も、心から喜べなかったし楽しめなかった。
会話といったら『ばれちゃったね』『どうしようね』の繰り返し。
滅多にないチャンスは無駄にしたくないところだけれど、こればっかは仕方ないかな・・・なんてあきらめモードも入っちゃってさ。

 普段なら嬉しい週末も、今週に限っては魔の土日だ。ショコから電話かかってきたり、ショコが突然家に来たり・・・って考えるだけで怖い。
結局、ケータイの電源は切りっぱなし。土曜の朝イチで田村の家に押しかけて、理由も言わずに居座った。ま、突然田村の家に行くのはいつものことだから、奴も特に驚かなかった
――寝ているところに押しかけたのには、さすがに文句言われたけど――
し、理由も聞かれなかった。
いつもみたいにCD聴いたり、FUJIロックのビデオ見たり、時々勉強したり。だらだらと夕方までの時間を過ごした。奴は憎たらしいほどにいつも通りでさ、あの時顔を赤くしたこと、俺の見間違いだったんじゃないか・・・なんて思っちゃう。悔しいから・・・だけじゃないけど、俺もその件に関しては何も言わなかった。っつーか、言えなかった。
下手に口出ししたら、余計泥沼にはまりそうな気がして怖かったんだよね。




「今日は週末だし、店は比較的ヒマだからいいんだけどさ・・・この前の続き、聞きに来たわけ?」

「違う。家にいたくないだけ」

「親とケンカしたとか?」

「とある友達から連絡が来ると困るから」

「・・・なーんか、嫌な感じ。お前頼みごとしてる割に態度でかすぎ」

「うっさいよ。手伝ってんだからいいじゃんっ」


 ムキになって亜門にらんだら、思いっきり笑われた。やっぱりね。どうせ俺のことからかって遊んでるだけだって、気付いてたけどさ。でもやっぱり悔しいから、思いっきりそっぽ向いてやった。
週末だからヒマってのは嘘じゃないらしくて、7時という時間なのに、お客さんは2組のカップルしかいない。
亜門いわく、週末はサラリーマンが来ないんだってさ。その代わり来るのは若いカップルばかり。
坂口さんも特に仕事がないらしく。カウンターを拭きながら、俺たちの話を聞いて笑っていた。


「じゃあマサムネくん、家に帰りたくても帰れないわけ?」

「・・・まあ、そういうことになるっすね」

「連絡来ると困る友達って、女の子?」

「・・・・・・」


坂口さんの鋭い突っ込みに、言葉がとまる。これじゃ肯定してるのと同じじゃん。う・・・って小さな声で唸ったら『可愛いなぁ』なんて目を細めて言われてしまった。
なんか、すっげー子ども扱いされてる感じ。俺と坂口さんなんて、3歳しか変わんないのにさ。
大学生と高校生って、そんなに違うもんなんっすかね。


「いいなぁ、青春か・・・マサムネくん、女の子にはやさしくしてあげなきゃだめだよ。たとえそれが好きな子じゃなくてもね」

「勘違いするなよ、坂口。こいつは別に好きじゃない子から告られて逃げてるわけじゃないぞ。恋愛のタブーを犯して、責められるのが怖くて逃げてるだけ」

「・・・そうなんすか?亜門さん、詳しいっすね・・・」

「俺の周りの情報網、発達してるもので」


 亜門が俺を見てにやりと笑った。ああはいはい、牧野サンから聞いてるわけね、今回のこと。ちくしょう・・・と小さな声で呟くと同時に、店のベルが鳴った。
使っていたクロスを俺に投げて、坂口さんがお客様を出迎える。よって、俺は亜門と2人きり。


「で、ほんとの理由は何よ?この前の続きじゃないの?」

「だから、違うって言ってんじゃん」

「じゃあ何。用もないのにお前がここに来るとは思えないし」

「・・・・・どうしたらいいかわかんなかったんだよ」

「何が?」

「いろいろ」


 田村の家にいつまでもいるわけにはいかず、かと言って家に帰る気にもなれず、宙ぶらりんになってしまった自分。
もうひとつは、もちろんショコのこと。俺らが何人集まったって、この先ショコにどう接したらいいかなんてわかんない。
そりゃちょっと癪だけどさ、こいつに頼るのは。でも亜門にしか頼れないんだもん。仕方ないじゃん。


「牧野サンから聞いてんだろ?田村とショコの話」

「軽くね」

「軽くって・・・」


 反論しかけたところで、お客さんを案内してきた坂口さんが視界に入った。
同時に亜門の意地悪そうな笑みが、マスターとしてのそれに変わる。
俺もぶーたれてるわけにはいかないから、笑顔・・・とまではいかないものの、ちょっとまじめな表情で、いらっしゃいませ・・・と小さな声で言った。


「真面目に店員してるじゃん」

「あんたにメーワクかけれないだろ。ここ追い出されても困るし」


 そう言ったら、ちょっと目を見開いて、俺の顔まじまじと見てさ。何かと思ったら、今度は急に表情を崩して、『お前可愛いなぁ』なんて言った。
目を細めて、愛しそうに言われてもこっちは困るんですけど。でも、可愛がってもらえることに対しては悪い気はしない。認めるのは癪だけど。


「で?うっかりショコちゃんとやらの気持ちを田村くんとやらにばらしちゃった・・・ってのは、あいつに聞いたけど?」

「ちょっと訂正。俺がばらしたんじゃないよ。奥田さんっていう、田村のこと好きな後輩がばらしたの」

「でも、お前その場にいたんだろ?とめられなかったわけ?その奥田さんとやらを」

「止めようとしたけど、うるさい!って跳ね除けられた」

「・・・要領悪いよな」


 ちょっと呆れた表情で俺を見る。いいじゃん、ほっとけよ・・・って感じ?ユカにも散々言われたよ。牧野サンにも呆れられたよ。自分でも気にしてるんだからね、その場にいても何もできなかった・・・どころか、最悪の事態を招いた不甲斐なさに。

 言い返そうとしたところで、要領悪いのは事実だから何も言えなくて。磨くグラスもなくて、手持ち無沙汰にうつむいてみる。
アディダスのスニーカーが目に入ってさ。ギャルソン服とのちぐはぐさに、またちょっと気分が沈んで。あー・・・俺って情けない。自己嫌悪。
牧野サン、俺のことどんな風にこいつに話したんだろう。


「昨日の生物の時間、突然大声で叫んで教師に当てられたんだって?しかも答えられなくて他の奴らより多く宿題もらったとかって?」

「・・・・・」

「で、昼休みに必死に片付けてたのに、例の後輩に呼び出されて、それすら中途半端で終わったんだって?その上ショコちゃんのこと田村くんにばらしちゃって」

「・・・・・」

「つくづく、要領悪いよな」

「・・・ほっとけ」


 牧野サン、何でそんなことまで言っちゃうのさ。ってか、昨日の話でしょ。そんなことが筒抜けになるほど、この2人の距離は近いわけ?ほんとのほんとは付き合ってるとか?

 カクテルのオーダーが入って、亜門はそれに取り掛かる。
坂口さんは手際よく野菜スティックやらチーズやらの準備始めて。俺だけやることなし。
ま、金もらって働いてるわけじゃないからいいんだけどさ。ぼんやりと2人を眺めてたら、坂口さんと目が合ってしまった。


「マサムネくん、亜門さんに気に入られてるね」

「・・・そっすか?ただ遊ばれてるだけだと思うんですけど」

「それが気に入られてる証拠。亜門さん、気に入らない奴には話しかけもしないからね。それで一体何人のアルバイトが辞めてったことか」

「・・・面接の時点で断らないんですか?あいつ。しかも、それじゃ坂口さん大変じゃないっすか。人が増えて、減って・・・みたいな」

「一応亜門さんも面接には立ち会うけど、採用の決定権はオーナーにあるからね。亜門さんが入れたくなくても、オーナーがOK出しちゃったら、従うしかないだろ?」


 苦笑しながら、坂口さんは亜門をちらりと盗み見る。俺たちがこんな会話してるとはまったく気付いてないみたいだね。
滅多に見ることのできない仕事顔――ちょっと真面目で、ちょっと笑ってる――で、カクテル作ってる。


「でも、坂口さんがずっとここにいるってことは、亜門に気に入られてるってことっすよね」

「・・・そういうことになるのかな」

「わかる気がしますよ。坂口さんすっげー感じいいもん。俺のこと『かわいい』とかって子ども扱いするのはちょっといただけないけどさ。俺も坂口さん好きになりそう」

「・・・・・」


 さっきの亜門みたいに坂口さんも目を丸くして、そして嬉しそうに笑った。なんか、いい笑顔だな。優しくてあったかい感じがする。


「俺もマサムネくん好きだよ。そういうこと、素直に言えちゃうところが可愛い」

「だから、可愛いとか言わないでくださいよ。俺一応高3なんっすからね」

 ちょっと頬を膨らませて反論すると、ごめんと笑いながら謝る。でも、謝罪の気持ちは見られない。きれいに盛り付けされたおつまみを持って、客席へと運ぶ彼の後ろ姿を、ちょっと恨めしい気持ちで見つめた。


「・・・おまえ、やっぱり可愛いわ」

  

 ポツリと亜門が呟く。驚いて奴を見ると、やっぱり意地悪そうな表情浮かべて笑ってさ。優雅にシェイカーを振っていた。


「要領悪くて素直で可愛くて。あいつがほっとけないのもわかるような気がするわ」

「・・・あいつ?」

「牧野」


 突然、思いもよらない名前が出てきて、心臓が跳ね上がった。グラスを持っていなくてよかったと、心底思う。もしグラス磨いてたりしたら、絶対に落としてたから。


「ま・・・牧野サン?」


 上ずった声で聞き返すと、亜門はそう・・・と言いながらゆっくりうなずいた。・・・やべ。顔が熱くなってきた。あらぬ想像が、頭の中を駆け巡る。亜門に気付かれないように、顔を引き締める努力はするんだけど・・・どうしても口元が緩んでしまう。

 一体、どういう意味で亜門はこんなことを言ったのだろう・・・?



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