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「あれ?見かけない顔がいるけど・・・新しい子入れたの?」
「そうなんです。福大の3年生なんですよ」
「じゃあ、アルバイトなのかい?こんな夜遅い仕事で、学業の妨げにならないの?」
「それは本人の責任ですからね・・・本人が大丈夫だと言っているので、僕はそれを信じることしか・・・」


勤労学生は大変だねぇ・・・なんて、さっき店に入ってきたダンディおっさん
――確か、小林さんとか言ったっけ――
が、少しろれつの回らない口調で言った。
俺には関係のない話・・・なんて無視してたら、亜門に軽く肩をつつかれる。
で、ようやく合点がいったのだ、今の会話は俺のこと話してたって。


「え・・・あ、はい、そうですね・・・朝早い日なんかは、バイトが遅いとちょっと大変かも・・・」


 しどろもどろになりながら、何とか答えてみる。
なんかおかしいとこなかったかな?なんてちょっと不安になったけど、ダンディおっさんは全然気にしてない様子で。
『じゃあ頑張ってね』なんて言いながら、部下だというOLさんの待つテーブルへと戻っていった。


「・・・っつーかさ、何か間違ってるだろ・・・」

      

 不貞腐れた表情で、亜門にだけ聞こえるくらい小さな声で呟いてみる。
一体何が何だっていうんだ。俺はただ、亜門に牧野サンのこと聞きに来ただけなんだぜ?
それなのに、何でこんなカッコでこんなことしてるわけ?


「・・・お前、そのカッコ似合わねーよな・・・」


 隣に立って、腰に手を当てて。上から下まで眺めながら言う言葉か?それが。
しかもお前が無理やり着せたんじゃないかよ。よく言うよな・・・全く。


「それ、返事になってないし。似合わないとか言うけど、俺にこれ着せたのあんただぜ?」

「ま、社会勉強ってことで」


 にやりと笑って俺の肩ポンポンと叩いて、シェイカーとジガーを取り出す。
俺に作ってくれるのかな?って、その仕草をじっと観察してたらさ、気づいたみたいだ。俺をちらりと見て、


「お前のじゃねーよ」


 と笑った。残念。


「その仕事終わったら、好きなの作ってやる」


 だってさ。でもさ、仕事って、仕事って・・・


「お前が勝手に押し付けただけだろ?俺、こんなことするつもりで来たわけじゃねーよっ!」


 マジで腹立つ。何で俺がカウンターの中に立ってなきゃいけないわけ?何でグラス磨いてるわけ?
なんで・・・坂口さんと同じ、ギャルソン服に着替えてるわけ?もうマジでわかんねー。
そりゃさ、Tシャツジーンズはやばいと思うよ?だからってさ、別にこれはないだろ・・・


「俺は今日じゃなくてもいいって言ったのに、待つ選択をしたのはお前だろ?
 どこからどう見ても『未成年』のお前を店に入れとくわけにはいかないし。こうする他に何かあるのか?」


 ・・・俺、大学生って嫌いかもしんない。何で言ったことひとつひとつに、理論攻めで返答してくるかなぁ。
しかも、『着替えて店を手伝うか帰るか』の選択権くれなかったし。
なんか、やり方強引なんですけどー。そんなこと腹の中で考えてたら。


「ギャルソン服渡した時点で、着替えるの拒否して帰ることもできたと思うけど?
 それを受け取って着替えたってことは、それがお前の意思なんじゃないのかなー」


 なんて、いつものにやにやした表情で言いやがる。
あーもう腹立つ!でも不思議だ。
普通だったら、グラス磨いてたタオル投げ捨てて帰りそうなものなんだけどさ、そうじゃないの。
いじられてもいいから、ここに居たいって気分なの。


「・・・磨き終わったら、ガバガバに飲んでやるからな」


 俺の隣で楽しそうにシェイカーを振る亜門にそう言ったら、奴は『覚悟しとくよ』と笑った。











 ついてこいよ、と俺を促した亜門が招き入れたのは、スタッフルーム。

『これに着替えたら出てきて』

 という言葉に何の疑問も持たず、いそいそと着替える自分を、今なら『バカだ!』って罵れる。
着替え終わった後で、奴の真意をわかってもよさそうなのにさ、俺は『こんな服、初めて袖を通すなー』
なんて、暢気に感動してた。
で、出てってみればカウンターの中に入れられて、すっげーさわり心地の良い、柔らかなタオル手渡されて。

『食器洗浄器から出てきたグラス、ひとつずつ丁寧に磨いて』

 と言われた。一瞬、言葉の意味がわからなくて。どうして俺が?ってのと、
洗いあがったグラスを、どうしてわざわざ?ってのと。グラス目の前にしてポカンとしてたら。

『グラス、磨くの。ほら、洗いあがったグラスの所々に、こうやって水滴の跡が残ってるだろ?
 そういうのを、傷がつかないように優しく取って』

『何で俺が?』

『話できるようになるまで時間かかりそうだから。
 でも、何もせずにぼんやりしててもつまんないだろ?君にお仕事与えてあげるよ』

 って、にっこり笑顔で言われた。
どうして!って反論しようとしたけど、亜門は小林さん――だったけ?さっき、俺の肩に扉ぶつけたダンディおっさん――に
女の子にお勧めのカクテルなんて聞かれててさ。
なんか1人ぽつーんと取り残された気分。仕方ないから、タオル持って、グラスをキュッキュと磨き始めた。


 初めてのことをやるときには、必ず発見がある。
今回もそれは例外じゃなくてさ。食洗器からあがったグラスが、あんなに熱いものだなんて知らなかった。
普段洗い物なんてしたことのない俺には、もう本当に熱くてさ、驚いてグラスひとつ割っちゃったよ。
パリン・・・って音が響いて。その後、空気が固まったみたいにしーんとなって。
ルイ・アームストロングの歌声だけが、店内に少し淋しく響いた。

『ケガなかったか?』

 怒られると思って反射的に目を閉じたんだけどさ、亜門は全然怒ることなくて、ちょっと心配そうに俺の顔覗き込んで。
小さくうなずくと、安心したように息を吐いて『良かった』と言った。

『・・・ごめん』

 ちょっと気まずくて、うつむきながら小さく呟いたら、いつもの顔でにやりと笑ってさ。

『スタッフルームに掃除道具あるから、手ぇ切らないように掃除しとけよ』

 って言った。その後、ちょっと驚いた表情で、カウンターの様子気にしてる客に、
『失礼いたしました』なんてかっこよく頭下げて。
そのとき、実はちょっと悔しかったんだ。
ああ、俺ってこいつに敵わない・・・って自覚しちゃってさ。
嫌いとかむかつくとか、最初は言ってたけど・・・やっぱり俺よりずっと大人だ、この人は。
いきがって大人のふりしようとした俺を、ちゃんと受け入れてくれる。
普通だったらグラス割ったら怒ってもいいだろうけど、亜門は最初に俺を心配してくれた。
こういうのって、普通じゃできないと思うんだ。
『誰でも失敗はあるから、気にすんな』なんて、割った側の気持ちがわかんなきゃ、絶対言えない。
俺だったら『何やってんだよー』って絶対言っちゃうもん。

『・・・慣れないこと、あんまりさせるなよなー』

 俺は大人じゃないから、全然素直になれなくてさ。
100%自分が悪いのに、責任なすりつけるみたいに強がって。思わずそう言った。


 店のマッチでタバコに火をつけて―――仕事中にそれってアリなのか?って思ったけど―――
煙をゆっくり吐き出してから、俺の頭ポンポンと叩いて。

『ま、慣れないこともたまにはやってみるってことで』

 今度は小さな子に微笑みかけるように、優しくにっこりと笑った。











「はい、お疲れ」

 グラス全部磨き上げて
―――食洗器からあがってきたグラスがどんどん増えるから、実際すっげー時間かかったんだけど―――
終わった・・・と息をついた俺に、亜門がグラスを差し出した。
無言で受け取って一気飲み。喉を通っていく柑橘系の酸味が、喉に心地よかった。
ふぅ・・・と息をついて。


「ごちそうさま」


 やっとお礼。


「今のすっげーうまかったんだけど、何?」

「シンデレラ」


 なんか、ちょっと意外な名前だったけど。でもうまかった。もう1杯これ作ってもらおうかなって思ったけど。


「オレンジジュースとレモンジュースとパイナップルジュースをシェイカーで混ぜたやつ。
 もちろんノンアルコールだけど・・・うまかったんだ?」

 その言葉に、ちょっとかちんと来た。酒じゃないじゃん、これ。
しかも、『まだお子ちゃまだな・・・』なんて、ほんとに楽しそうに笑われてさ。


「酒出せよ!カクテル飲ませてくれるって約束だろ?」

「これもカクテル。俺嘘言ってねーよ?」


 ぶーたれてる俺に、仕方ないな・・・って笑ってさ、また新しいカクテル作ってくれるのかな?
シェイカーの蓋開けて、材料入れ始めた。


「今度はアルコール有りで」

「はいはい。とりあえずベストとネクタイ取って、そっち側座れ」


 自分の正面、カウンター席を指して言った。
了解!と、俺が足取り軽くスタッフルームに消えたのは言うまでもないだろう。


「ご希望通りのアルコールだぞ・・・と。名前は『マンゴスティーナ&マンゴー』。
 先に言っとくけど、アルコールカクテルは、これしか出さないからな」


 コトン・・・と目の前に差し出された、オレンジ色の液体を見ながら、『なんで?』と聞く。
俺、そんなに酒弱くないよ。心配してくれなくても。


「そうじゃなくて、家に帰ったらアルコール臭かったなんて、親に殺されるだろ、お前が。
 それとも、ちゃんと行き先言ってあるのか?」


 ・・・言ってません。田村の家行ってくるって嘘つきました。そうか、そういう配慮全然してなかった。
最初は牧野サンのことで頭がいっぱいで、ここについたら、飲ませてくれるっていうカクテルのことで頭がいっぱいで。


「ノンアルコールだったら飲ませてやるから。ま、今日は我慢我慢ってことで」

「・・・・・はい」


 ちょっとうつむいて答えて。
一口飲んだら、マンゴーの味がふわっと広がって、酒なんだろうけど、全然酒っぽくなくて。


「・・・んまい」

「そりゃ良かった」


 バーテンにとって1番の誉め言葉・・・と、笑った。


「・・・で、牧野の話だろ?」

「うん」

「ハナザワ・・・だっけ?」

「そう」

「残念だけど、俺もよく知らない」


 飲みかけていたカクテルを、思わず吹き出しそうになった。知らないって、知らないって・・・


「あんた牧野サンのことなら教えてくれるって言ったじゃん。いきなり『よく知らない』って・・・」


 そりゃ詐欺だろ?これだけは教えてもらおうって思ってたこと知らないなんて、俺何のためにここまで来たわけ?
働き損?


「牧野がよく一緒につるんでた4人組の1人だってのはわかるけど・・・
 その中のどれかまではわかんねーからなー。あ、1人はわかるから、3人のどれかかー・・・」


 1人でぶつぶつ独り言。俺にはさっぱりわかんねーよ。腕組んでうーんってうなって。
見当はつくけど、実際わかんないから・・・とか何とか。
もういいや。俺、あきらめよっかな・・・。小さくため息ついて、もっと大きな疑問にぶち当たった。


「ってかさ、あんたなんでこんなとこでバーテンしてんの?大学生なんだろ?英徳だっけ?」

「・・・・・・」

               

 シェイカーに材料入れながら・・・無言。じっと俺の顔見て。・・・何?俺、何か変なこと言った?


「・・・前から不思議に思ってたけどさ・・・」

「何?」

「お前、俺のこと『英徳』ってよく言うけど、違うぜ?そんな金持ち大学入れなきゃ、入りたくもねーよ」

「・・・は?」


 お前、何言ってんの?と、今度は俺が亜門の顔をじっと見る。


「だって、あんた雑誌載ってたじゃん。タイトル知らないけど、高校生くらいの女の子がよく読むやつ。
 でさ、『ミスター・ユニバーシティ』とかいう企画で。今と違う髪形でさ、なんか妙にクルクルの」


 忘れたとか言うわけ?あんなにでかでかと載ってて?それってかなりやばくない?
それとも、また俺をバカにしてんのかな、からかわれてるか?俺。

 疑い深い視線でじーっと亜門見てたら、くわえタバコでシェイカー振って
―――俺のだと思って、手抜きしてるように見えるんですけど―――
ちょっと顔を曇らせた。『それ、俺じゃない』なんて首ふりながら。

 ゴブレット・グラスを取り出して、綺麗なピンク色の液体を注ぐ。炭酸のシュワワ・・・って音がすげー心地いい。
グラスに落ちていくカクテルが、店の照明でキラキラして、なんだか幻想的だった。


「サマー・デライト」

「いただきます」

「・・・・お前がそれ飲み終わったら、昔話してやろうか?」

「・・・バカにしてる?」


 まさか、子供はおねむの時間ですよ・・・とか?
でも、亜門は俺の皮肉―――になるのかな、これ―――なんて全く無視して、
タバコの火を消して捨てるとさ、俺に向き直って言った。


「俺が東京にいた頃の、悲しいお姫様の話」


と。



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