30


9月、である。
今日は休み明けそうそうの実力テストで。
『絶好調』と、自信を持って言えるほどではないが・・・まあまあの出来栄えだったと思う。
でも、俺の場合、志望校が美大だからさ、あんまり当てにならないと思うんだよね。
いくら筆記試験が良くたって、デッサンや何かの実技が出来ないんじゃ、話にならないもん。
ま、夏休み中に予備校――親不孝通りの、某有名予備校――でしっかりお絵かきのお勉強してきたけどね。
おかげで、田村と『夏休み中にやろう』と言っていたこと――楽器屋めぐりとか、貧乏小旅行とか――
の半分はお流れになった。
俺だけじゃなくて、田村も予備校通いしてたし、お互い様なんだけどさ。
お互い受験地獄から抜け出せたら、計画実行しようということで、当面はお預けである。


「・・・ここ・・・だよな?」


手の中のマッチに書かれた住所と、目の前の住所と交互に確認。
ついでに、俺の正面にある店の名前と、マッチの名前も確認。
腕にはめたスウォッチを見れば、ジャスト6時。
この時間で、奴は店の中にいるんだかいないんだか。
と言うよりも、俺は堂々とこの店に入っていいのだろうか。

ここがどこか・・・っつったら、それは言うまでもないわけで。
この間もらったマッチと言えば、もちろん「BAR Bijou」なのである。
実は、ここへ来ようかどうしようか、夏休み中ずっと悩んでた。

『俺が知ってること、お前に教えてやる』

ってのは、例のあの男の言葉。
あいつが知ってて、俺に教えてくれるってのは、きっと牧野サンの東京での生活のことで。
もちろんすげー知りたいよ。
でもさ、俺が立ち入っていいテリトリーかって言えば、きっとそれは「NO」だ。
だから、花火大会の日、牧野サン迎えに行ったときは、店には絶対に行かないでおこうって思ってた。
知る必要も、彼女を救う必要もないと思ってたから。
東京で誰と付き合ってたとか、誰を好きだったとか、そんなの俺には関係ないって思ってた。
でも。
花火のときの、あんな悲しそうな笑顔とか。
苦しそうに話してくれたこととか。
直に見ちゃったら、気にしないでいられるわけないじゃん。
気になって気になって、何度も

『何があったの?』

って言葉を飲み込んで。

『俺と見る花火じゃ、俺の隣で見る花火じゃだめなの?』

って言う代わりに、強く手を握った。
せめて今だけは、この花火の間だけは、俺のこと考えて・・・って、強く願った。
合宿での花火の時もそうだ。
『どこ行ってたの?』と問うショコやユカに『弟から電話かかってきて、向こうで話してた』って笑って答えてたけどさ。
その後、ぼんやりして火傷しそうになったり、人の話聞いてなかったりって、何だか態度がおかしかった。
合宿終わるまでそんな感じ。
『心ここに在らず』っていうのかな、ほんとにぼんやりしちゃってさ。
俺の頭の中には『ハナザワルイ』って言葉ばっかぐるぐるしちゃって、
牧野サンの中で、そんなに大切な人なんだろうか、って考えるだけで悔しくて悲しくて。





店に入って、あいつに話を聞くべきなのか、それともこのまま帰るべきなのか。
俺には判断することが出来なくて。


聞きたいけど聞きたくない
入りたいけど入りたくない
知りたいけど知りたくない


逆ベクトルの気持ちが、いくつもぶつかり合う。
入ろうかやめようか。
店の前でうろうろしてたらさ・・・


「・・・・・?」


店へ入るOL風のオネエサマに、不思議そうな視線で見られた。
ちょっと気まずくなって、そそくさと店から離れる。
店の前でうろうろしてたら、客に迷惑かけるよな・・・
しかも、俺こんなカッコ――Tシャツとジーンズとスニーカーという、いつものラフなスタイル――じゃ、未成年だってばればれだ。
やっぱり、帰ろうかな・・・
小さくため息吐いて、くるりと回れ右。


「・・・・・」


でも。
思い留まって、もう一度回れ右。

俺、彼女のこと何も知らない。
東京での生活とか、家族のこととか。
福岡へ来た理由も儚い笑顔の訳も。
どうして城南祭のステージで「ハルジオン」をリクエストしたのかとか、どうしてそれを聞いて泣いたのかとか。
テツヤが言ってたっけ。

『好きだから知りたくなる』

って。
テツヤはユカが好きだから、ユカの事を知りたくて。
ショコは田村が好きだから、田村のこと、きっとたくさん知りたくて。
俺は牧野サンが好きだから、彼女のこと、たくさん知りたいと思う。

これは卑しい感情じゃなく、むしろ普通だって。
知りたがっていいって教えてもらったから。


「・・・・・」


扉の前に立って、大きく深呼吸。
意を決して、木製のちょっと古めかしい扉をゆっくりと押した。


「いらっしゃいませ」


後ろ手に扉を閉めると同時に、声がかかる。
一瞬肩を跳ねさせて、恐る恐る振り返れば、ギャルソン服に身を包んだ若い男。
・・・あいつじゃないじゃん・・・
店に来れば、あいつが出てくるって勝手に思ってたから、ぜんぜん知らない男の顔見たら、なんだか顔から血の気が引いたような気がした。
ギャルソンもさ、俺こんなラフなカッコだし、妙におどおどしてるし、なんかおかしいと思ったのかな。
ちょっとだけ眉間にしわ寄せて、表情を曇らせた。


「あ、あの、俺客じゃなくて・・・」


ここまで言って、本当に血の気が引いた。
俺、あいつの名前知らないじゃん。
しまった・・・何度も聞くチャンスはあったのに、うまいことはぐらかされて、そのままだったっけ。
『客じゃない』って言葉で、男の表情はさらに曇ってさ。


「何?ここはコドモの来る店じゃないよ」


『早く帰れ』、そんなニュアンスで言われた。
尻尾巻いてすごすご退散・・・ってわけにも行かないじゃん。
ここに来ること覚悟するのって、結構な勇気がいったんだぜ?


「お、俺、ここで働いてる人に用があって来たんですけど・・・」

「誰に?」


う、これを聞かれると辛い・・・っつーか、困る。
一体なんて答えりゃいいんだよ。
黙ったままうつむいた俺に、遠慮なくぶしつけな視線を投げかけていた男だけれど。


「あ」


突然、何かを思い出したように表情を変えて、そして笑った。


「もしかして、あんた『マサムネ』くん?」

「え?」


びっくりして、顔を上げる。
そしたら、そいつは『ああ、なるほどね・・・』なんて1人で納得しながら、うなずいたり笑ったりしてて。
話が見えない上に、なんか気持ち悪い。


「何で俺の名前・・・」


って言ったときには、すでに目の前の男はいなくて。
その代わり、奥から


「亜門さん、マサムネくんが来ましたよー」


って声が聞こえた。
なんか一気に拍子抜けしちゃってさ。
でも、それと同時に肩の荷が下りたというか、急に緊張が解けたというか。
あの男がどっか行っちゃったから、俺どうしたらいいのかわかんなんくて。
ここにいるのは、入ってくるお客さんに邪魔かな・・・とも思うけど、奥へ入ってく勇気もなくてさ。
結局、そのまま入り口で待ちぼうけ。
ぐるりと店内を見渡せば、そこは俺の住むところとは別世界って感じで。
薄暗い照明と、ウッド基調のクラシカルな雰囲気。
音楽はもちろんジャズ。
これ・・・ナタリー・コールの曲だよね、俺でも知ってる。
結構な年のおばちゃんのはずだけど、声が深くて澄んでて綺麗で。
10年くらい前に出たアルバム――確か、『Take a look』ってタイトルだった――中古で買って何度も聴いた。
今流れてるのは知らない曲だけど、それでも彼女の声は耳に心地いい。


「・・・お前来るの遅いよ。1ヶ月の遅刻」


曲に聴き入ってたら。
突然横から声かけられてさ、すっげーびびった。
隣を見れば、いつもの感じ悪い笑みを浮かべる奴がいて。
って、名前『亜門』っていうんだっけ?
ようやく知ったよ。
いや、別に知らなきゃ知らなくて良かったし、野郎の名前知ったところで嬉しいことなんてないんだけど。


「・・・しょーがないじゃん。予備校通ってたし、今日模試あったし」

「模試のために勉強してんの?自分が目指すのはもっと先なのに?」


今から目標見間違えると、後が辛いぞ・・・と笑うけど、俺には意味がわかんない。
何で模試のために勉強しちゃいけないのさ?
よっぽど不思議そうな顔してたのかな、ちょっとバカにするように笑って、言葉を続ける。


「お前は何のために、勉強がんばってんの?」

「志望校合格のため」


こいつバカかよ、当たり前のこと聞いてんじゃないっつーの。
そう思って、得意げに答えたらさ、だろ?って笑われた。


「模試でいい成績とることが目標じゃないんだろ?だったら、何で模試の前に張り切って勉強すんだよ?
 目標前の経過地点で人に勝って、お前何が嬉しいわけ?」

冷静な奴の声。
なんか、鈍器で頭殴られた感じがして、急に自分が恥ずかしくなった。
バカにした態度は気に食わないけど、こいつが言ってることはもっともで間違いなくて。
俺、受験生のくせしてこんなことにも気づかずに勉強してた?


「・・・・・」


こいつの言ったことは正しいけど、でもそれを素直に認められるほど大人じゃないから。
言葉探してうつむいたらさ、頭の上に、大きな手の感触を感じた。


「・・・なんてえらそうなこと言ったけどな、俺もお前くらいの時はそうだった。
 模試とか定期テストとか、そういうときにしか勉強しなかったから、大学受験もボロボロでさ」


今気付けたお前はラッキーだったな・・・って、俺の頭をぽんぽんと叩いた。
・・・ちくしょう、これじゃ完全にガキ扱いじゃん。
すっげー悔しくてすっげーむかつくんだけど、でも何でだろうね、その手がすっげー優しくてさ。
こいつにこんな感情持つのは癪だけど、安心できて、少しだけ心地よかった。


「で、模試はできたのか?」

「当たり前だろ?」


俺を誰だと思ってんの?って虚勢張ったら、

「牧野のこと好きなコウコウセイ」

って言われた。
はい、ごもっともです。正解です。
やっぱり、いつもの憎たらしい笑い浮かべてさ。
こいつがさっきの優しい手の持ち主だなんて、絶対信じたくない。


「じゃ、その牧野サンのお話でもしましょうかねぇ?」

壁に持たれて腕を組む『亜門』はかっこいい。
その仕草がすっげーサマになっててさ、牧野サンの見てた、あの雑誌を思い出す。
あの時とは髪形違うんだ、こいつ。
クルクルの髪型、個性的で良かったんだけどな。
でも、何で東京の大学生が、こんなところでこんなカッコしてんだろ。
さっきのギャルソンとはちょっと違って、ネクタイやベスト無しの白シャツのみ。
シャツのボタンも2つくらいはずしてて、少し襟立ててて。
テツヤを彷彿させる、クロムハーツっぽい首飾り
――ネックレスやペンダントなどという、生易しい感じのものではないのだ――が妙に似合う。


「ってか、あんた時間は大丈夫なの?一応仕事中なんだろ?」


コウコウセイはコウコウセイなりにいろいろ考えて。
今日模試が終わったって理由もあるけどさ、この店へ来るのを今日にした理由は他にもあって。
今日が木曜日だから・・・なのだ。
金曜日の夜は、絶対お客さんたくさんいて大変だと思ったから。
父さんが飲んだくれて帰ってきて、母さんに怒鳴りつけられるのは、大抵金曜日の夜・・・というよりも、土曜日の夜中だから。


「あー・・・ま、大丈夫じゃない?坂口もいるし」


最初にお前と話した奴ね、と、ご丁寧に説明までつけてくれた。
奥の方覗き込んだけど、さっき俺のこと不思議そうに見てったOLさんしかいないみたいだ。


「・・・流行ってねぇの?この店」

「バカ言うな。時間的なもんだよ。ここは大人の店だから、お前らみたいなガキが寝静まってからなの」


ああはいはいそうですか。
どうせ俺はガキですよ・・・


「で?話聞く気になったわけ?覚悟決めて?」

「じゃなきゃ、こんなとこまで来ないよ。店入るのだって、すっげー緊張したんだから」


完全に覚悟が決まったか・・・って言ったら、それは嘘かもしれないけど。
でも、牧野サンのことホントに知りたいと思うし、知った後の責任もちゃんと取れると思うから。
いや、絶対に取るから。
責任って?って言われると困るけどさ。
でも、それを牧野サンに言ったり、他の奴らに言ったりなんて絶対しない。


「その前に、いっこ聞きたい事があるの。ハナザワ・・・・」


言いかけた俺の背中に鈍い衝撃。
痛いと思った瞬間に、背後で鈍い音がしてさ。
誰かが押した扉が、自分の背中に直撃したのだとわかるまでに、3秒くらいかかったと思う。


「あ、ごめん」


扉が押されれば人が入ってくるわけで・・・って、こんなこと、前どっかであったような気がするんだけど。
とにかく、扉の向こう側の、妙にダンディなおっさんが、ちょっと心配そうに言った。


「まさか人がいるとは思わなくて・・・大丈夫ですか?」

「・・・はい」


ホントはかなりきてますけど、まさかそういうわけにもいかないし。
ダンディなおっさんに対するあいつの態度見てると、どうも常連っぽいし。


「小林さん、珍しいですね、木曜日のこんな早い時間に」


俺に対して浮かべるにやけ笑いはどこへ行ったのか、すっげー感じのいい表情浮かべてさ。
嘘っぽいって思っちゃうのは、俺だけ?


「会社の部下がどうしてもここへ来たいと言ってね」


遅れて扉を開ける、ちょっとバカっぽいOLが3人。
亜門の顔見て、すっげー嬉しそうに『初めましてー』なんて言ってやがる。
基本的に女の子は好きだけど、これはちょっと勘弁だよな・・・
俺のゾーンには入ってないタイプ。


「奥へどうぞ。テーブル席をご用意いたします」


にこやかに案内した後、俺に『どうする?』と聞く。


「俺向こうに戻らなきゃだけど、待ってるか?それともまた来るか?」

「待ってるよ。あんたこの前おごってくれるって言ってたし」


俺、こう見えても記憶力いいんだぜ?
特に、自分に都合のいいことは。


「確かにおごってやるとは言ったけど、そのカッコじゃな・・・」


ちょっとあきれた表情で、上から下までじろりと見る。
『もう少し考えた服装してりゃ、大丈夫だったんだけど』なんて文句付で。
俺も同じように自分の服装見てさ、しまったと思った。
せめてシャツ着てくるとかすれば、まだ良かったかもしれないな・・・なんて。
Tシャツジーンズじゃ、どう見たって未成年だ。


「ま、いっか。とりあえずついて来いよ」


歩き出した亜門の後ろに続く。
ナタリー・コールが終わり、ルイ・アームストロングに変わる。
ジャズの中でもかなり有名なおっさんだけど、俺はあんまり良く知らない。
今日聞いて、いいなと思ったらCD買いに行こうかな・・・なんて思った。



                             NEXT→
                        BGM♪スピッツ:流れ星